手を焼く学年は中2。一般的によく言われることです。
だれる姿を見せる割に、口は立つ。馬鹿もやりますし。
頭にくることはたびたびあります。
(このブログでも、そんなことを書いていました。)
夏期講習も怒ることは多かったです(怒ってばっかだったかもしれません…)。
そんな夏期講習を終えた9月の頭。
自分が中2の時を思い出しました。
やっぱり、私も馬鹿をやっていました。
どうしてもみんながいると、おもしろいことをやりたいと思ってしまい、余計なことをして怒られました。
いろんな先生に怒られました。
「バッカモーン!」「やべー逃げろー」
のようなやり取りもたびたび。
みんなといるのが楽しくて、普段とは違うことをやってみたくなって、結局それで怒られて…。
でも、今振り返ると、こうした生活を通して大きくなったのかな、と思うのです。
では、なぜ大人になったら、そういうときを忘れて怒ることが多くなってしまったのか? そんなことも考えました。
・模範となる生徒になってほしいから?
・言うとおりに行動してほしいから?
・自分の担当するクラスはよい、と言われたいから?
あまり意識しない「なぜ」をいろいろ考えました。
そうしたら、一つの答えにたどり着きました。
「ね、結局エゴなんだよ。自分の都合なんだよ。自分の思い通りにしたいんでしょ。そんなことできるわけないじゃん。」
ということに。
わかっているつもりのことすらもわかっていない自分がいることに気づきました。
「教育」とは何なのか? 難しい問いです。
一言で定義できませんし、人によって解釈も違いますので。
使い古された言葉を用いるならば、「自立した人間にする」ということでしょうか。
では、どうすればいいのでしょうか。
どうするもこうするもないです。
「大人がその場その場で必要なことを伝えていけばいい」のです。
教育に即効性のある薬などないのですから。
よくないことをしてしまったときに、
「バッカモーン!」
と叱れればいいのです。
一度やったことをくどくど問い詰めたところで答えは出ません。
そもそも馬鹿をやる子たち自身、その行為に意味があるとは思っていませんから。
怒られるか、怒られないか、そんなハラハラした状況で馬鹿をやるのが楽しいときがあるんです。不思議です。中2は。
たまたま、生徒たちにこういう話をしたんです。
その時に生徒たちに、こう伝えました。
「2つだけ覚えていてね。1つは「他人に迷惑をかけることはしてはいけない」。もう一つは「怒られたことで良くないことを自覚するのはいいが、委縮はしないように」。これを忘れないようにね。」
叱り方によっては、生徒は委縮する可能性があります。
例えば、
・注意すべきことを注意すればいいものを、過去の話を引っ張り出して何かとくどくど言う
・まわりにわかるように恥をかかせる
・人格を否定する
など。
中学校時代が楽しかったのは、「バッカモーン!」と言ってくれる先生が多かったからだと思うのです。
やってしまった今のことをものすごい勢いで怒る。誰にも平等で怒る。
けれど、そのあとはなかったように対応してくれる。
「言うときに言ってくれる人」
これが先生への信頼につながったのだと思います。
いい教育環境の中学校だったと思います。
だから、なんにでもチャレンジしました。
失敗もしましたし、成功もしました。もちろん、怒られもしました。
その中から、何が正しいかを学び取っていったと思うのです。
先生たちは手を焼いたでしょうが、生徒側の私たちは、あの日々があったからこそ、今があると思っています。
それを思い出しました。
ぶつかって、ぶつかって、ぶつかり続けたその先に、未来があるのでしょう。
今一度、真摯にならねば。
教育をわかったつもりになっていなかったか?
自戒の念を込めて、このブログをしたためます。
(内田)