内田です。2連続でございます。
ひとつ前のプログで、人と関わることについて書かせていただきました。
外部の方向けのブログでは、わりと私が思うことを中心に書かせていただいております。
それぞれご家庭のカラーと言うものがありますので、いろいろ考えてから、誉田進学塾を検討していただければと思います。
少し前はこんなことを書きました。
http://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/diaryopen/diaryopen01/diary.cgi?no=2045
最近思うのは、「ご家庭の芯をつくるのは難しいなぁ」というもの。塾生の保護者の方とお電話しているとつくづくそう思います。
私は親と言う立場ではないので、なんとも言えないところですが「大変なんだなぁ」と思って聞いています。
子は親を映す鏡、と言います。
子どもが上手く育っていない場合は、親の側が「ここを直すか」と自省することで事態は好転することがあります。
子どもは初めから悪い子はいませんから。
親の何かを映しているんでしょう。良くない何かを。
今日、お電話して思ったのは「いい子は2種類に大別される」ということです。
一つは「家庭の芯があるいい子」
もう一つは「家庭の芯がないいい子」
「芯」は「哲学」でも「幹」でも「価値観」でも「基準」でもいいです。
いわゆる「うちはこうだ!」と示すものです。
それがあるかないかで違うのか? 全然違います。
芯が「判断基準」につながるんです。
それはいいことなのか、悪いことなのか。
これを判断できるかできないかで、人生は大きく変わっていきます。
人間は楽な道を生きていきたいと思います。
芯がなければ、そういう方向に。
芯があれば「でも、そればっかりでも…」とストップがかかります。
芯はいわば「家庭が作り上げた善悪判断基準」です。
それをつくれている家庭は世の中にどれだけあるのか??
そういう考えをもって子を育てているのか??
結婚は生活。
その覚悟をもって、子どもを授かる。
子どもが生まれたら、両親ともに、子どものために生きていく。
当たり前の話です。
その時にどれだけ話し合ったか。
改めて、どれだけ互いを理解したか。
どれだけ芯の重要性を実感していたか。
家庭の芯は、そのまま子どもの芯になります。
芯がブレると、人生があやふやになります。
そういうものだ、と私は教えられてきました(両親に)。
私の家は「うちはこういう方向で行くからな!」と父が毎日のように言っていたことを覚えています。
その時は「はーい」と言う程度でしたが、それから十数年経つと、どれだけ大きいものだったかがわかります。
芯をつくることは「教育」とも言えるかもしれません。
親は子どもより早く死ぬもの。
残った子どもが問題なく、人生を謳歌しながら生きていけるか。
芯の「真価」はここで問われるのでしょう。
答えが出るまで長い長い道です。
短期的視点では「失敗か」と思うかもしれませんが、長期的に見れば「成功」だったかもしれません。
(その基準も、家庭の芯があらわしますが…)
それが子育て。それが教育だと思います。
だから、子どもを育てるって大変だなぁと思うのです。
世のお父さん、お母さんは本当にすごい。
いつか私もそうなりたいですね。
なんだから余計な、おせっかいな、大きなお世話なブログになってしまいましたが、「ふーん」と思いながら、お読みいただければと思います。
(内田)