授業時の雰囲気づくり。
実は、授業以上に大切なことだと思う。
授業者はただ単に授業をすればいい、というわけじゃない。
それじゃ、届かない。
だから、「彼らの心に届かせる」場をつくらないことには、いくらいい授業をしたところで意味はない。
(いい授業をしたところで、それで生徒が出来るようになるかも、それもまた別の話になるが)
じゃあ、いかにして届かせるか。
おそらく「その場を自分の色に染め上げることができるか」にかかっているんだと思う。
では、どうやって「自分の色」に染めるか。
それは自分が「確立」していないとダメなのだと思う。
「今日はこういう方向でいくからね。自分についてくれば大丈夫だからね。」
そういう思いを情熱持って体現できるかによる。
では、どう「確立」するか。
それは、各個人の勉強だ。ここを他人に頼ったところで、自分が成長することはありえない。
経験がものをいうところでもあるだろう。
では、自分の色に染め上げることを「効果的に」するにはどうすればいいか。
その点は奥が深い。
「体現」といったが、言葉の通り「体」を用いる。
声の大小
声の高低
声の速遅
目つき
…他にもいっぱいある
ここに書いたとおり、私は「声」と「目」が重要だと思う。
上に書いた4項目一つ一つを10の段階があるとしよう。
声の大小…大きめのうちの5
声の高低…低めの3
声の速遅…早めの6
目つき…細めの2
のような感じに。
もちろん、その時の空気でそれを瞬時に適切なものにシフトチェンジする。
そうやって「場をコントロール」することによって、生徒はこちらにひきつけられ、授業者がすすめる方向についていく。
こうして、その授業者の「色」ができていく。
でも、そんなことよりも大切なのは「生徒と関わる時間を増やすこと」だろう。
私が尊敬する森賀先生は、「生徒を怒るには、その何倍もの時間の雑談が欠かせない」とおっしゃっていた。
本当にその通りだと思う。
生徒との仲を深めるからこそ、こちらの言いたいこともまっすぐに届く。
勘違いしやすいのは「迎合」。それは違う。
つまりは「主導権」なのだ。
生徒を知り、仲を深める中でも、主導権をもちつつ、自分の色を体現する。
これができてやっと届く。
そう思うと、授業というのは奥が深い。
長々と書いてしまったが、まだ私だって全然である。
もっともっと高みを目指して進んでいく必要があるように思う。
けれど、こういうメンバーが揃っているのが誉田進学塾なのだと思う。
(内田)