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近況報告

ご無沙汰になってしまいました...

バタバタと日々の仕事に追われているうちに、もはや夏期講習直前
反省とともに、近況から

先週、東海地区の視察と訪問の出張
今回は、大学受験部の今年新校長になった3人を連れての勉強に

まずは、豊橋周辺の塾予備校の様子を外から視察
続いて三河地域の進学校の最寄り駅の東進衛星予備校加盟校を訪問して、校舎見学と情報交換、そしてさらに夜の懇親意見交換会

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いつも仲良くしていただいている母体なので、快く校舎の隅々まで見せていただき、忌憚ない情報交換もでき、同行の校長たちも大いに刺激を受ける

翌朝、岐阜に移動
岐阜駅周辺の塾予備校の視察から
前日も暑かったが、岐阜はさらに暑い...
そして同業間の競争も熱い...

訪問先の社長、取締役の方と昼食をともにして情報交換
人気店の飛騨牛ランチをごちそうになりました...

さて肝心の校舎見学と意見交換
ここは東進衛星予備校ではない同様の映像授業型予備校と独自のライブ授業型高校生予備校を、隣接した校舎でうまく組み合わせているところ。

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東進との違いや同じところについてしっかり勉強してきました

徳川家康公の若い頃の像に書かれた「厭離穢土欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)の言葉に刺激され、私教育の世界で浄土を成す志とともに、同行全員で記念写真
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[巻頭言2023/02より] 受験は団体戦!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年02月号)

受験は団体戦!

 コロナ禍の第8波が見通せない(1/12現在)。今年も、毎年恒例のこのタイトルを書くときとなったが、コロナ禍に触れる書き出しは3年連続となった。思えば、今年の受験生たちは、3年間をコロナ禍とともに過ごしてきた。機会を失ってしまった行事なども少なくなかったはずだ。そのまま次のステージに進む。若き日の体験は、そのときその瞬間だけのもの。せめてこのコロナ禍での、いわば特殊な体験が逆に将来に生きてくるように願う。そのためにも、この受験の本番で持てる力を出し切れるように、最後まで「心」の指導に最大限に努力します。

 受験では「心」が大切だ。「志」と「心のコントロール」の両面が必要だろう。一発勝負の本番で、持てる力を発揮するためには、いわゆるメタ認知による心のコントロールが必要となる。一段高い所から状況を判断する能力である。例えば、閃かずに詰まったとき、待てよと問題文を読み直そうと判断したり、上がっているときでも、自分は上がっているなと観察したりできれば、追い込まれていても力は発揮できる。

 その力を伸ばすのは、修羅場を経験することが一番であろう。ただし、ただ経験するだけでは成長できない。極限状態の自分の心をモニタリングし、改善点を具体的に見出しフィードバックすることによって力は驚異的に伸びる。もちろんその課題点に対しての具体的対策を繰り返して次の本番に臨む必要があるのは言うまでもない。

 塾では長い間ともに切磋琢磨してきた仲間たちと、ラストスパートで実戦に取り組む時間を多く過ごす。それは、お互いに比較することで課題を見出すためだけではない。同じように勉強してきた仲間たちの頑張る姿が、自分の力になる。そして自分の努力が周りの力になると信じ頑張る力を生み出す。だからこそ、逃げずに受験に立ち向かい続けてほしい。

 チャレンジする心を育てることこそが、次のステージを切り拓く力になるはずだ。

※この内容は2023/02塾だよりに掲載したものです。

 WBC準決勝、決勝の息詰まるとき、そして歓喜の瞬間。スポーツの世界では「団体戦」の意義が目に見える形でよくわかる。もちろんそれは超一流の選手たちの厳しい鍛錬の末での、わずかな差が大きな結果を分ける凌ぎ合いが見えるからだからこそであろう。
それに対し、一般には受験は個人の競争と捉えられがちである。確かに個人の能力と努力の高低を競い結果が決まるように感じられる。しかしその見方にとらわれていると長期的には力を発揮しにくくなるのではないだろうか。
 周りよりも少しでも勝てばよい、さらには人を蹴落としてでも自分だけが生き残ればよいという利己的な考えに陥りやすい。そのような勝ち負けに拘る考えでは、短期的な成果を求めてしまい、却って長期的な大きな成長を得にくくしてしまう。
 そもそも受験自体は目的ではないはずだ。将来に向けて、自分の力を成長させるための大きな機会のはずである。自分の課題を真正面から正しくとらえ、逃げずに鍛錬に立ち向かう。切磋琢磨とは他人と競うことではなく、仲間と刺激し合いながら、厳しく自分を律し、自己と闘うものであろう。
 これまで、そのような『磁場』の力が、飛躍的な成長を引き起こす場面をたくさん見てきた。
 さらに、強い『磁場』に導くようにしていきたい。

社員研修

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久しぶり♪

今日から春期講習スタート
その前に昨日、コロナ禍以降、初の全社員が集まる研修会を開催。

例年は、1泊2日の合宿で開催だったが、緊急に学校が休校となった2020年3月に中止して以来で4年ぶりの開催。

会場は最新の2号館を中心に東進鎌取駅南口校。
2号館には、初めて来たスタッフも多数。

全体での研修に続いて、事業部に別れてチームでdiscussion。
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やる気を高めて春期講習スタートです。

民間教育大賞受賞のご報告

 3月22日、帝国大学(東京大学)発祥の地、学士会館での日本民間教育大賞授賞式にて、誉田進学塾塾長(創業者)清水妙子(母)が栄誉ある民間教育最高功労賞をいただきました。
 母は、今月2日に92歳(たぶん最高齢受賞者)になりました。おかげさまで元気にしておりますが、表彰式は長距離長時間のため欠席させていただき、挨拶を預かり代読させていただきました。
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(2度とない機会ですので、長文となりますが、挨拶の紹介と補足を少々書かせてください)

(受賞挨拶)
 日本民間教育大賞という、大変栄誉ある賞をいただき、驚きました。
 ご選出いただいた委員の皆様方に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 私は、昭和6年、京都市に生まれました。思春期は、戦中戦後の混乱の時代でした。女学校時代、空襲警報のサイレンが鳴る中、地下の下駄箱室に避難している際に、歴史の先生が聞かせくださった西洋史のお話しに胸が躍りました。専門的な学問を学びたいと思う気持ちを強く持ち、先生と同じ奈良女高師を目指すようになりました。ところが戦後、新制大学に大きく制度に変わることになり、女子が大学に進学できるようになったのです。その第1期生として、京都教育大学教育学部に進学、史学科で人文地理学を専攻しました。
 先生として赴任した京都市立柳池中学校は、明治2年開校の日本初の公立学校柳池校を受け継ぐ伝統校です。そこで7年間、子供たちに社会科と美術科を教えました。
 夫の東京転勤で退職し、主婦に専念していましたが、千葉に転居して、子育ても一段落したので、大手学習塾での講師を1年半勤めた後、自宅最寄りの千葉市誉田町の駅前に小さな塾を開きました。
 当時のこの地域は、時代遅れで学校が荒れていた田舎でした。学校では、勉強したいという子、ちょっと勉強ができる子というだけで仲間外れにされてしまうようなところでした。
 その子供たちに、純粋に学問の面白さ、楽しさを伝えたいと毎日、たくさんの話をしてきました。
 また、勉強だけにとどまらず、冬期講習の昼休みに毎日百人一首をしたり、クリスマスに特注のケーキを配ったりと、子供たちと楽しく過ごしました。
 私自身は、ただ教えることだけに専念していたのですが、だんだんと塾の指導が地域に浸透していき、生徒が増え、教室が増え、社員が増え、今年45年が経とうとしています。
 このたびの受賞は、楽しく一緒に勉強してくれた塾生たちの頑張り、保護者と地域の皆様のご理解とご協力、塾創立の精神を受け継いでくれている社員たち、OBOGとして活躍してくれたたくさんのチューターたちのおかげです。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。
 最後に、これから先の時代を築いていく塾、予備校、民間教育業界の皆様にお願いいたします。どうか学問の入り口に立つ子供たちに、学問の道筋をつけ、その広がり、奥行きを追究しながら、学問を楽しむ気持ちをお伝えください。よろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。

(挨拶ここまで)
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(以下、挨拶には入りきらなかった本人の話などを、少々、自慢話気味で僭越ですが書かせていただきます。ご容赦ください)

 45年前、母は、当時、塾など何もなかった田舎の駅(駅前飲食店もそば屋1軒のみ)近くの路地の奥に、古い小さな木造平屋を借りて塾を始めました。47才主婦の創業でした。
 玄関の引き戸を開けると、やっと10名が座れる部屋ともう一部屋だけのささやかの教室でした。トイレは一旦外に出てから入る汲み取り式、いわゆるボットン便所(苦笑;)。
 それでも、勉強の面白さを伝えたいと、子供たちのためにずっと教え続けていました。その当時の卒業生たちからは、今でも「妙子先生」と親しく声をかけていただく付き合いです。
 終電が早い田舎のため、生徒の送迎をしようと、50才を過ぎてから運転免許に挑戦し取得しました(そもそも運動神経はかなり鈍いのに...)。
 それだけ勉強したい子に学問の楽しさを伝えたい気持ちが強かったのでしょう。

 母は、幸い京都で戦火を免れ、女子が女学校卒業後に専門的な学問を目指すことができた唯一の道、関西では奈良にしかなかった女子高等師範学校を先生から薦められ目指します。
(奈良女高師⇒新制奈良女子大、東京女高師⇒新制お茶の水女子大)
 ところが、戦後の新制大学制度に変更する年に当たり、女子が大学に進学できる道が開けることになり、両親に「お嫁入道具も何もいりません、大学に行かせてください」と頼み込み京都教育大学(当時は京都学芸大学、旧制府立師範学校⇒新制京都学芸大学⇒京都教育大学)に進学。戦後の自由で希望に満ちた大学生活を過ごします。
 新卒で、日本初の公立学校発祥の柳池校(京都市内の御所の正面にあたる「柳」馬場通、御「池」通の交差点、市役所の隣の京都市内中心部)に赴任したことは、今でも母の誇りです。2万人受験した京都府教員採用試験でトップ合格したので伝統の学校に配属されたと言います。
 その中学時代に担任した生徒さんたちとは、昨年も、京都での同窓会会場から電話がかかってきて、代わる代わる話しをするなど、70年近くたつのに、まだ慕われて交流が続いています。
 教育の本質とは、長い時間ののちに真の評価を受けるものであると考えます。

 今回の受賞は、まず母が長生きしてくれていること、そしてその間に、塾業界に関係する皆様の力で、業界が大きく発展し続けてきたことのおかげと思います。

 奇しくも「帝国大学発祥の地」の学士会館での受賞となりました。
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 亡父は旧制の学校制度での京都帝国大学の学生のときに、学徒出陣となり、満州の厳しい戦地でソ連に追われながらなんとか生き延びて復員。戦後の混乱期に父親を亡くし苦労した上で、のちに復学し卒業。子供の頃からの学者になりたいという夢を諦め会社員の道に進みます。家族の生活を守るために仕事を続け、大手生保本社から、のちに得意の語学(5か国語=英語、独語、仏語、露語+関西弁)を活かし外資系に転じて定年。
 そんな忙しい仕事の中、「文武両道」と一念発起、合気道を習い始めます。遅く(私が幼児だった頃)始めたハンディを努力で乗り越え晩年には7段に。全(オール)三菱合気道部創設者、京大合気道部名誉部長として後輩の指導を続けました。
 学問の道も晩年まで諦めず続け、書斎の1万冊を遥かに超える蔵書の山に囲まれ、フランス文学の研究をしていました。

 そんな両親に育てられ、子供の頃は期待されながら、親の意に背き、若き日を堕落し無為に過ごした「不肖の息子」が私です。
 少しは改心したつもりですが、「教育の心」を次に繋げていけるように、社員たちを導き育てていくことを、改めて誓い、頑張ります。
 塾民間教育の業界のさらなる発展に、微力ながら貢献していきます。

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[巻頭言2023/01より] フィードバックの重要性

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年1月号)

フィードバックの重要性

 「TOP GUN」という名称は、今年、映画続編が大ヒットしたので、皆様ご存じであろう(実は私は新作も前作も見ていないので内容を知らないのだが…)。ベトナム戦争時に空中戦での戦績が悪いことに対して、航空格闘戦いわゆるドッグファイトの訓練のために作ったアメリカ海軍戦闘機兵器学校という組織の通称だという。厳しい訓練を習得したあと、部隊に戻り、その技術を教導し、同様の組織を作らなかった空軍の戦績が変わらなかったのに対して、大幅に向上させたそうだ。

 これを聞くと厳しい「訓練」によって能力を伸ばしたと、単純に思い込みがちだが、実際に大きな効果を発揮した要因は、少々違うらしい。

 前提として「コンフォートゾーンの外」に追い出す訓練だったこと。コンフォートゾーンの外とは能力の限界を少し超えた負荷をかけた過酷な状態という意味だ。

 その上で、最も効果があった要因は、フィードバックに基づく再訓練だったという。訓練では能力の高い教官が圧勝する。その直後に、録画した映像を見ながら、そのときの状況判断について、振り返り、気づかせる質問をすることで、自分で考えさせる。翌日、同じ状況で再度訓練をする。これを繰り返したのだそうだ。

 勉強に限らず、どんなことでも努力は重要であることは間違いない。しかし、ただ努力するだけでは能力は伸びないということを、正しく理解する必要がある。

 3つの誤解の排除が必要だという。1つ目は、能力の限界は遺伝的特徴で決まると考える誤解。2つ目は、長い間継続すれば上達するという誤解(ただ継続するだけでは、停滞し緩やかな低下を招く)。最後は、努力さえすれば上達するという考え方(改善すべき課題を特定し、そのための練習法でなければ能力は伸びない)。

 課題を自ら見つけ、考え、立ち向かわすためには、その訓練をフィードバックする役割が大切ということになるだろう。それこそが私たちの仕事である。

※この内容は2023/01塾だよりに掲載したものです。
 映画のTOP GUN、正月の休みを利用して、ようやく1作目だけは見た。(2作目はまだ見ていない(苦笑;)
 映画では、物語に必要な最低限の部分は取り上げられたところもあるが、この通称TOP GUNと呼ばれている、アメリカ海軍戦闘機兵器学校United States Navy Fighter Weapons Schoolという組織自体については深くは述べられていない。元の論文が見つからず、引用の伝聞情報からで、引用元により数値等が異なるものがあるのだが少しまとめておく。
 ベトナム戦争の初期に、米海軍1機失うごとに、北ベトナム軍3.7機の割合で撃墜していたのが、1:2に低下、1968年には1:1にまで下がる。
 その対策として設立されたのがアメリカ海軍戦闘機兵器学校、通称TOP GUNなのだそうだ。研修生は、海軍の中でも優秀なパイロットが選抜されたが、教官には、さらに最高のパイロットが選ばれ敵役となって、毎日、撃墜寸前まで追い込むような戦闘演習を繰り返す。研修生は定期的に入れ替わるが、教官はずっと残って経験を積むので、圧倒的な差になったらしい。
 ポイントはそれからだ。訓練の後には必ずセッションが行われ、データをみながら何を考え、どう選択し、他にどんな選択肢があるかを徹底して詰問され考えさせられたという。そしてまた実戦訓練の繰り返し。
 それらを通して、比較にならないほどの経験を積んだ訓練生が、こんどは所属部隊に戻り、訓練担当として周囲のパイロットに伝えていったそうだ。
 結果は劇的で、1969年の空爆停止期間ののちの1970年から1973年には1:12.5になったという。さらに、この劇的効果から、空軍も加えてベトナム戦争終結後も訓練は続けられ、湾岸戦争の初期には1:37と歴史上の例のない圧倒的な勝率になったという。
 
 質の高い指導者の育成こそ、私たちが取り組むべきテーマである。
 ヒントはまだまだたくさんある。一つずつ取り組んでいこう。

特別公開授業開催

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鎌取駅南口校で特別公開授業を開催しました。

東進数学科のエース志田晶先生の数学の授業
最近の入試問題で考えて解くと楽しい、わかると楽しくなる新鮮な問題をみんなで勉強♪

生徒たちはとても楽しく勉強してくれたようです!
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志田晶先生ありがとうございました!
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東進 志田晶先生の公開授業開催します

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明日は、東進数学科の志田晶先生の特別公開授業を開催。

なんと旗艦校である鎌取駅南口校で公開授業を開催するのは初!!
生徒数とキャパシティーの関係で、これまで開催できなかったのが、分室を新館に移転したので、ようやく開催できるようになりました!!

初の開催といえば、やっぱり志田晶先生の「体の芯からよくわかるおもしろ数学 数学を楽しもう!!」でしょう。

寝る前に、ちょっと予習に問題を見ておこうと思ったら、問題が面白くて、ついつい調子に乗って全部解いてしまいました(笑)。
最後の方で、思わず問題文を読み落として、危なくミスところでしたが...

明日の解説が楽しみです。
みんなと一緒に数学を楽しみます!

共通テスト

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今日は共通テスト初日

そして同日体験受験も開催。

問題が公開された直後に、超高速で印刷。
おゆみ野駅前校のパックヤードの高速製本印刷機が2台フル稼働しています!

頑張れ受験生!
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近況3

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1/13
多摩地区の西寄りへ

教材会社主催の情報セミナー&展示会にて依頼された講演に
塾関係者対象で、久しぶりのトーク。

開催は午後までだが、講演は朝一番で、初回なので念のためを考えて荷物も多いため、渋滞やトラブルを回避するために早朝暗いうち出発。
予想通り順調に早く到着して駐車場へ。周辺を少し歩いたらおいしそうなパン屋さんを発見して、昼食と思って買ったが、あまりにいい匂いで朝食として全部食べてしまいました...。
だからお昼抜き。苦笑。

講演は、概ねご満足いただけたようだ。

近況2

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1/12木曜日
3年ぶりに都内の塾専門の教材展示会に参加

どちらかというと展示内容より、ご挨拶周りが目的。
あまり目立たないようにさっとと思っていたら、あちこちで見つかってしまい、声をかけられた。

ありがたいことでした。

全国模擬授業大会優秀賞受賞者による実演もやっていたが、時間があまりなく、早々に帰路につく
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