Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年7月号)
予習と復習
奈良に「観光で訪れ」た。この「巻頭言」(2024/10)で触れた昨夏以来。梅雨入りと重なりあいにく「気候の良いとき」とはいかなかったが「飛鳥辺り」も訪ねた。
前回、時間が足らず寄れなかった国立博物館では、折しも超人気企画展の開催期末近くで、長蛇の行列に恐れをなしたが、望外の早さで入館できた。話題の七支刀や菩薩半跏像など、やはり教科書や資料集の写真ではなく、実物だからこそ直に感じる魅力は圧巻だった。また飛鳥では、真っ先に向かったキトラ古墳で朱雀像の実物に息を飲み、高松塚、石舞台古墳、飛鳥宮跡や飛鳥寺などで周辺の風景との位置関係を体感しながら、飛鳥時代に想いを馳せてきた。
さて、改めて帰ってきてから「復習」をしてみると、少々残念に感じる点がいくつもある。「予習」の不足だ。日々に追われて勉強し直してから行く余裕はなかった。もちろん行きの車中や、宿泊の隙間にネットで一通り目は通した。昔、日本史を勉強した基礎があることに素直に感謝した。継体天皇以降、蘇我氏台頭~滅亡、大化の改新、壬申の乱を経て天武持統くらいなら、大まかな流れと意味はすぐに思い出せはした。しかし復習して細部までわかると、ああなるほどと腑に落ちるものが多数ある。事前にもっとわかっていれば、見て感じることがあったに違いない。
知識を基礎としてできるだけ詰めておくことは重要なことなのだ。ただし、正しい理解を伴っていなければ思考にも活用できず、丸暗記は時間の経過で消える。
とはいえ、実物の体験から、知識の学習が意味を持ったとも言える。どちらが大切ということではなく、双方を繰り返し往復して学び理解することが重要だろう。
夏休みは近い。この機会に子供たちに多くの実体験をと願う。いや、修学旅行生の様子や、混雑する博物館に連れられていた小学生を見ると、理解するには年齢と成長も必要とも言える。その日に備え、夏は知識も楽しくたくさん学びましょう。
※この内容は2025/7塾だよりに掲載したものです。
(冒頭の「巻頭言」(2024/10)は、こちら)
https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=716
知識を定着し持続するには、反復学習が必要だ。
しかし時間は有限である。学生時代を過ぎ、仕事をするようになれば、一般活用の範囲が広い基礎知識と高度な専門知識では、学習にかけられる時間も異なってくる。効率を重視するのはやむを得ないことだろう。
初等教育や前期中等教育の段階では、専門知識の基礎となるだけでなく、将来の教養を形作るのに重要な幅広い知識を、本質的に正しく積み重ねたい。土台がしっかりしていなければ、高く積み上げることもできないはずだ。
中後期中等教育や高等教育(いわゆる大学以上)の課程になると、知識欲は興味のあるものに集中してしまう。さまざまなものが有機的に結びつき、知識が知恵となって活用できる段階。できるだけ多角的な刺激を受けながら専門教育を学ぶときだろう。
教育の携わる者は、それらを期間を見通しての、長期的な教育の方向性を意識しなければならない。目の前の結果も必要だが、そればかりを追いすぎてはいけない。
日本ではまだまだ教育というと学生時代までと考えがちだ。年齢とともに、ものの観方、捉え方も変わる。常に未知なるものの刺激を求め学ぶ気持ちを持ち続けよう。