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今が未来を創る

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年12月号)

今が未来を創る

 小学校の5,6年頃、毎週末に塾に通っていた。いわゆる中学受験のための塾で、実績があり地域(東京の西)では結構有名な塾だったらしい。住宅地域のご自宅隣接の木造平屋の大きな建物に細長い机で、ぎゅうぎゅう詰めで勉強した(テスト受験者が100を軽く超えていたのでその数で一斉だったのだろう)。一週間のテスト範囲を勉強して、4科目のテストを受ける。解説授業のあと、次回範囲の内容を習って帰るというもの。今にして思えば、当時の四谷大塚(今のYTテスト)や、今はない日進という中学受験有名塾と同じやり方だったのだろう。親の命のまま何も知らずに、低学年の頃の同級生で隣クラスの優秀な友人と通っていた。6年の終わり近くの冬のある日、友人が休みで一人で塾に行くと、ほとんどが欠席だったことから、初めて周りは受験のために通っていたことを知る(親は知っていたが)。その日が受験当日だったと記憶しているが、もしかすると直前日だったのかもしれない。

 一番の思い出は友人とバスを乗り継いで通っていた記憶。帰りにたまに、乗り継ぎのバスに乗らず、浮かしたバス代で買った肉屋のコロッケを食べながら歩いた。そして、バスの往き帰りに、友人が出す算数の難問をパズルのように考えることが、強烈に楽しかった。友人は受験の勉強をしていたはずなので、過去問などから、悩んで喜びそうな問題を狙って探して、ノートに書いてきて出題していたのだろう。

 授業内容や先生の記憶は、もはやほとんどない。それでも微かな記憶で、算数で図を描くとスパッと解ける感動は残っている。社会や理科のテキストを読んで、新しい知識に触れるのが楽しかった。毎週テスト順位も出たが、それに向けて暗記したことは全くなく、知的刺激だけで憶え、今もその大半が残っている(はずだ)。

 数十年後、塾のあった辺りの住宅地を歩いてみたことがある。楽しかった過去の名残りは全くなかった。ただ表札にあった先生の苗字は憶えていた。

※この内容は2023/12塾だよりに掲載したものです。

 日頃、ほとんど過去を振り返らない(日々の反省はしていますが…)ので、思い出すこともないが、もはや思い出そうとしても断片的な瞬間シーンしかでてこない。子供の頃の嫌だった記憶も風化してしまい、嫌と感じた感情自体は消えて、思い出せるのは嫌だったなと記憶だけにすぎない。長い時間の経過によって、今に対する評価が、過去の評価も変化させてしまったのかもしれない。
 だが、楽しかった記憶は、今も楽しいと感じることができる。当時とは異なる楽しいなのかもしれないが、ずっと残る。
 いいこと、悪いこと、今のすべてが未来を創る。若き日の勉学や受験が、耐えるだけの嫌なものとしてではなく、楽しさを伴う知的な刺激と興奮として残るように、塾・予備校として私たちは大切にしなければならない。
 楽しい記憶は、長く強く残るはずだ。

p.s.
 今、ストリートビューで見たら、住宅地に入る裏道にあった、コロッケを買った肉屋は、数年前まであったらしい。

[巻頭言2023/11より] 文化の秋

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年11月号)

文化の秋

 9月下旬、秋田に出張した。懇意の東進加盟校に、教務スタッフ3人を同行し訪問、担当の責任者の方たちと意見交換・情報交換。翌日、県立国際教養大学を見学、入試担当者の方から丁寧に説明していただく。3人を先に帰した後、当地開催の全国の有力塾経営者との勉強会に参加。さらに翌日、地元で一番勢いがあると紹介していただいた新鋭個人塾見学と、充実の3日間だったが、今回の本題ではない。

 その帰路での余話。実は知る人ぞ知るが、塾業界の『鉄人』を自称している。鉄人といっても、鉄道ファンという意味(笑)。鉄道マニアには、撮り鉄、乗り鉄、模型鉄など、いろいろなジャンルがある。だいたいその全部の「ゆる鉄」である。当然、新幹線で往復。行きは、田沢湖線区間の川沿いの渓谷を覗き込んだり、鳥海山は見えないかと探したりと車窓を楽しんだ。さて、帰路の秋田-大曲区間。ここは、進行方向が座席と逆向きで、それだけでも興味深いのだが、この奥羽本線並走区間の3駅間だけ新幹線と在来線共用で線路が3本になる区間を生で見たいと必死に車窓を見ていたら「建築限界測定車」回送列車という非常に珍しい列車を並走して追い抜くという大変貴重な場面に遭遇した(マニアックな話題で恐縮)。

 地理が好きだったのは、鉄道趣味や旅行(時刻表での空想も含む)が好きだったからか、その逆か。地図帳の資料の図や写真を眺めるのが好きだった。小さい字の解説も隈なく読んでいた。必要な知識として暗記するためでなく、純粋な興味で読んだから楽しかったのだろう。分厚い参考書も読み物として読んでいた記憶。そして苦にせず、いつの間にか覚えてしまった。同じように歴史や理科の資料集も。そのときはすぐに役には立たずとも、どこかで結びつき、ああなるほどと知識が繋がる。

 知的好奇心こそが興味を育て、興味も広げる。せっかくの文化の秋。受験生ならやむを得ないが、日常を少しだけ離れ、未知なるものへの体験に出かけてほしい。

※この内容は2023/11塾だよりに掲載したものです。

 未知なるものと出会い、それを知ること、体験すること、それらの素朴な感動が、学びの原点であろう。それらを自ら求め学ぶことが、昨今の探求型学習の理念に他ならない。
 初期の段階では、様々な面で、知的好奇心を育てるように、そして感動の芽を育て、面白さを伝える役割を誰がどう果たすかが大切だ。自分から気づき、面白いと感じるまで、そのタイミングを待ち、よく見ながら寄り添う必要がある。単に効率よく型に詰め込んでしまうことは、逆効果となる。
 しかし、二段階目では、高度な先のレベルを体感できるように導く存在も大切だ。
 教育も、きちんとした体系的な比較対照実験から、方法論を科学的に導き出せれば、大きな前進があるだろうが、国家的規模でとなると賛否を伴うだろう。
 まずは難しいことを考えずに、大人も学びの原点の好奇心を失わないために、日々の習慣にはない、未知のものとの出会いに向けて行動しよう。楽しいどうかは、結果として決まるのではなく、楽しいと思って行動することから決まるはずだ。
 大人の休日が、ワクワクする日となりますように。

これが3線区間! マニア以外は何が面白いかわかりません...
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いわゆる「萌え」ポイント
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超マニアックで、レアなシーン「マヤ返却回送」
雨粒だらけの新幹線の窓越しで残念...
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[巻頭言2023/10より] 挑戦を願う

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年10月号)

挑戦を願う

 大学進学フェスタin CHIBA 2023の開催に協力させていただいた。運悪く、台風の大雨で電車が不通になってしまったため、塾生たちや保護者の皆さまの中には、参加できなかった方も少なくなく、大変残念な思いが残った。大学側は、私立大学のみならず国公立大も参加。大変遠い地方からもわざわざ参加いただけた。旧帝大の中には、特任教授が直接生徒や保護者に個別の説明をされていた。また、大学講演のコーナーで、東京医科歯科大学では、医学部医学科長にお越しいただいて講演をしていただけた。広い会場で時間も十分にあり、とても有意義な会となった。

 さて、参加大学関係者の皆さまと順番にお話しができ、どこも少子化に危機感を感じ、自分たちの大学の魅力が高校生たちにどう届いているのかを気にされているのがよくわかったが、少々気になる点もあった。今の大学は「勉強や研究ばかりのところではないですから」と勉強に興味を持たず熱心でない生徒たちでもいいから、大学に来てほしいというような言い方をされている入試担当者の方がいらっしゃった。確かにその側面も否定はしないが、勉学の場を自ら放棄するのはいかがか。

 先日の東進衛星予備校の研修会でも、高校生たちの多くで、大学受験に向けて勉強に立ち向かおうという意識が下がっているとの情報があった。共通テストが難化したせいか、コロナ禍の影響かはわからないが、昨年あたりから目立つという。

 以前から繰り返して述べてきたように、受験勉強を、何かを得るために我慢して突破すべき壁と捉える考え方には強く異を唱えるが、若い貴重な時期に、困難に立ち向かわず、すぐに易き道に逃げる若者ばかりになることは決して良しとはしない。簡単には手に入らないものに向けて挑戦した経験は、例え蹉跌や挫折を味わおうとも意義がある。未来ある若者たちは、困難ばかりを選択する必要はないが、易きに逃げて挑戦せずに終わったことを後悔するばかりの人生になって欲しくない。

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※この内容は2023/10塾だよりに掲載したものです。

 偉そうに書いてしまっているが、自分の若き日を顧みると汗顔の至りである。
 挑戦して届かなかった経験より、躊躇し彷徨い苦悶し挫折した経験の方がはるかに多い。自らの芯に深く真剣に向かい合わず、決断を先延ばしにし、動かない言い訳の理屈を探していた、結局は怠惰な日々。今は、俯瞰して自己を評価できるが、当時の視野は、思っていたよりはるかに狭かったのだろう。若過ぎたのだ。
 その経験があるからこその今であり、挑戦の意味もよくわかる。
 考えなしの安直な行動は制すべきだが、若いからこその挑戦は大いに奨励すべきだ。
 目先の結果論に囚われず、大志を抱こう。

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[巻頭言2015/06より] 塾の本道

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2015年06月号)

塾の本道

 先日、大阪で、塾業界誌主催のセミナーで講演をする機会があった。お笑いの関西、強いアウェイ感のプレッシャーの中で話をした。恐るべし、大阪(笑)。

 コンサルタントの方から依頼されてお話したのだが、いただいたテーマは、塾として本当にやるべきことは何かというもの。生徒募集のテクニックの研究ばかりやっていないで、教育の本道、授業や教務に力を入れましょうということをお話しした。そもそも塾なのだから、至極当たり前の話なのだが、わざわざ指名されて話をしに行くくらい、当たり前のことをやっていない塾が少なくないということだ。

 また、せっかくの機会なので、地元の塾の皆様と交流しようと、セミナーの合間などに、名刺交換とご挨拶だけでなく、少々質問などにもお答えした。その中で、退塾率の低さに驚かれての質問を受けた。その話は、講演の中では触れていないのだが、コンサルタントの方から直接聞いたらしい。うちの塾の率が決して低いとは思っていないのだが、大手だけでなく個人塾も含めて、他塾の標準の数分の一で驚かれることが少なくない。しかし、これは単なる結果であり、その前に、生徒や保護者の満足がなければ、結果にはつながらない。やるべきことを、ひとり一人に丁寧にできているかが問われているのだ。他と比較して高い低いと競っても意味はない。まだまだひとり一人にできていないこと、もっとできることはたくさんあるはずだ。他からの評価に甘え傲慢になることなく、改めて、ひとり一人の満足度を上げる努力をしよう、頑張ろうと決意して帰ってきた。

 まだまだ、至らぬ点も少なくないと思います。保護者会や電話相談、面談などの際に、お気づきの点など、ぜひご指摘ください。

※この内容は2015/06塾だよりに掲載したものです。
 珍しく、不用意に、他社を批判的視点で書いていて反省...。比較すべきは、過去の自分たちと現在、または現在と未来の自分たちであろう。
 とはいうものの、自分たちしか見ていなければ、視点も偏り、客観的な自分たちの立ち位置や欠点も見えなくなる危険もある。コロナ禍で何年間か止まってしまったものが少なくないが、そういう意味での他者との交わりの機会が大きく失われていて、まだまだ戻らないのは大きい。
 今年に入って、ようやく、他社との訪問の交流や、会合なども動き出してきた。とくにスタッフを連れての見学訪問や、他社からの訪問は、情報交換・意見交換などもあり、私たちの大きな成長の機会となったはずだ。
 ただ、機会は戻っても、スタッフたちの経験値は下がっていたり、新しいメンバーも増えたりで、学びや気づきの質のレベルを戻すのには、少々時間と量はかかるだろう。
 まだまだ、これから。頑張ろう。

先日、関西からご訪問の他塾の方からいただいたお土産
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[巻頭言2023/08より] どの山に登るのか?!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年08月号)

どの山に登るのか?!

 目標は先に決める。これがものごとを成就させる第二歩目。

 その前の一歩目は、目的意義。つまり、それを「何のために」するのか。これを明確にするのが最初に重要。次は、目標を具体的に「決める」ことである。この目標を正しく決める能力、即ち「目標設定力」がそのあとの行動と成果に密接な関係があることは、ここで何度か書いた(目標は高くなければいなけないが、高過ぎてもいけない。
https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=647

 さて、今回は、先に決めるのはなぜかという話。それはよく「どの山に登るのか?」と例えられる。観光地の山を軽くハイキングするのか、富士登山か、ヒマラヤ最高峰への挑戦なのかでは当然、準備しなければならない装備が異なってくる。どこに向かうのかゴールを先に決めて、そのために必要な準備をしなければゴールには達しない。毎日歩き続けていると、ある日、気がついたら南極点に到達していた、にはならないのだ。先にゴールを決めてから、どうやったらそこに届くかを考えながら行動し続けなければ、ゴールに達することはない。決めることから始まる。

 受験生は(もしまだなら)、自らの強い決断で志望校を先に決めてほしい。なんとかギリギリ届くかもしれないと信じられる上限(根拠は重要ではない)の高いところを、自分の強い意志で決断する。そしてそれに向けての準備に最善を尽くす。ただし、自己選択感がカギ。保護者を含め周りは、決断まで我慢しなければならない。
もちろん、必ずしも挑戦が成就できるとは限らない。が、それでよい。届いた処から、さらに挑戦をやめなければ、きっと同じような高みに到達できると信じる。

(2023年春に卒塾した高校受験生たちの、後に続く後輩たちのために書き記した挑戦へのメッセージの一部を公開しています。ぜひご覧ください。)

天王山を超えろ! (夏)版
https://www.jasmec.co.jp/gokaku/gokakusha/gokakusha-2023-2.htm
桜咲く(春)版
https://www.jasmec.co.jp/gokaku/gokakusha/gokakusha-2023-1.htm

※この内容は2023/08塾だよりに掲載したものです。

 「どの山に登るのか」を先に決めよ、というのはよく引用される話だ。
 ゴールを先に決めてから、そこに立つまでに必要なものをリストアップして準備する。行動によって成果を上げるためには、現状とゴールのギャップを測り、ゴールから逆算して、必要な行動計画を立てることは必須条件だ。ゴールを客観的に見ずに、現状からできそうなことだけを、そのときの気分で進めているのでは、望むゴールには達しない。非常に当たり前のことのはずだが、現実に直面しているときは、そこまで自分を客観的に見ることは難しい。
 受験では、その手がかりになるものが模擬試験であろう。志望校合格に向けて、現状から何をあとどのくらい頑張ればよいのかを分析する大切なツールとなる。視点を時間軸の中で正しく意識して、現在と未来のギャップを測っている数値であることを理解していれば、とても有効なツールのはずだ。
 しかし、多くの受験生たちは、志望校判定の結果ばかりにとらわれ過ぎて、一喜一憂してしまいがちだ。模試の結果は、自分のもともと持っている「固有の」能力の評価ではない。能力は固定した決まったものではない。入試で問われている能力は、努力によって変化する。つまり未来の結果は、現在の努力によって可変である。
それを信じて、今、立ち向かうべき課題を乗り越えていってほしい。

[巻頭言2023/09より] 言うは易く行うは難し

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年09月号)

言うは易く行うは難し

 今日、盛岡からの帰路車中で考えたこと。

 「私学・私塾教育ひとすじに歩まれた」東北の故理事長を偲ぶ「感謝の会」に参列した。進学塾から出発した学校法人の2代目として、高校の一教諭からスタートされ、私立高校・附属中学校、多数の各種専門学校、幼児教育、日本語教育、国際人財教育、予備校、そして最後は大学までの総合専門教育グループを大きく展開された方。多方面から多くの方が集まり、故人の「楽しく」の言葉通りの会だった。

 帰路で拝読した冊子には、机上に残された絶筆として「熱意、誠意、思いやり、挑戦」「創意工夫」「謙虚さ」「寛容」の手書きメモが掲載されていた。最後の2つについては、それぞれに対する考えの添え書きも。要介護区分が進んでの、亡くなられる数日前まで執務室に向かわれていたとのこと。詰まる思いを感じる。

 これらの言葉は、どれも、よく使われる「良い」言葉であり、誰しもが大切なことだとわかっているものだ。だがそれは、わかっているつもりでも、常にそうあるか、できているか、と問われれば難しい。凡人には、常に言語化して問いを発し続けなければ、実現はできないのではないだろうか。

 大人はそれを、子供に対して、つい強く要求してしまいがちになる。言うだけなら簡単なのだ。しかし強く言い続けることでは、子供の考えを変えることは難しい。自ら気づき欲しなければ本質は変わらない。だからこそ、子供たちに要求するのではなく、自らの行いを振り返り、問い続けることから始めなければならないはずだ。
故理事長は、若き日に取り組んだ格闘系武道からくる脅威による教育を悔い続けていたそうだ。苦労し老成されてからの柔和な表情しか知らずだったので、そのエピソードは少々の驚きとともに聞いた。座右の銘は「感謝に勝る能力なし」で、生かされていることへの感謝を忘れることはできないと結ばれていた。ご縁に感謝。

※この内容は2023/09塾だよりに掲載したものです。

 公式の「お別れの会」が午前中に行われたあと、縁のあった方々への「感謝の会」として開催された。数度しか接点はなかったのだが、ご案内をいただいき参列した。本文の通り、冒頭に「楽しく」との故人のお言葉の紹介があり、その通りの会となった。
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 何年か前に開催された塾業界の勉強会で、訪問見学させていただいたことを思い出す。私立高校・附属中学校の見学だけでなく、多種の複数の専門学校を、直に見学した。専門学校の現場を見ることはめったいないので、とくに興味深かった。東北北部3県の人口で、他の地域では、この規模でいろいろな専門学校を維持することは無理だと紹介されていたが、なるほどと思う内容だった。
 しかし、一番感銘を受けたのは、ご講演の中で触れていた、出発点の塾として創業した先代の志、そしてご自身が、引き継がれたときの気持ちであった。

(そのとき見せていただいた創業時の看板)
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 改めて、感謝とともに、ご冥福をお祈りいたします。

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[巻頭言2015/05より] ゾーン

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2015年05月号)

ゾーン

 難関中学高校受験研究会の林成之先生のご講演に、たくさんの保護者の皆様にご参加いただきありがとうございました。オリンピックチームへの脳科学に基づいた指導のお話はいかがでしたでしょうか。

 最後の、北島康介選手の「チョー気持ちいい」が、最後の10mでゾーンに入ったからだという話は、勉強で成果を上げる子供たちとよく一致する話だったのではないだろうか。最後まで頑張り成果を上げる子供たちは、勉強を目的のために我慢する苦痛と思っていない。勉強して達成することを、心地よいゾーンの中にとらえている。好きだからやり続けて、その結果、わかることやできることで、達成感を得る。達成感を得るから好きになる、というプラスのループの中で行動している。「好きこそものの上手なれ」の典型だ。

 子どもの時ほど、周りの環境が大切。その環境をリードするのは大人。よき手本となるように大人が努力を楽しむ姿を見せることが一番だ。

 以前に、子供の成績に影響する家庭の要素は何かを調査した結果があったが、親が本を読む、本が家庭にたくさんある、新聞を親が読む、ニュースを親がよく見るなどは、成績に対して密接なプラスの関係があった。逆に、週刊誌・雑誌を読む、テレビドラマやワイドショーを親が見る、は負の相関があった。

 まず親自身が知的な体験を大切にする心が重要。子どもに、あれこれ指示を口にする前に、まずは親自身が自らの学びで「チョー気持ちいい」と言おう。

 難関高校受験研究会AP、そして難関大学受験研究会受験生Programが始まります。ぜひご参加ください。

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※この内容は2015/05塾だよりに掲載したものです。

 毎年の恒例だった難関中学高校受験研究会での講演に、世界的脳外科医の林成之先生に来ていただいたときの話である。少々古い話にはなったが、水泳の北島康介選手がオリンピック2大会連続2種目金メダルを取った北京大会のときに、平井伯昌代表コーチらの要請で、勝つための脳の戦略的使い方を指導された方だ。NHKのクローズアップ現代などマスコミでも多数とりあげられたのでご記憶の方も少なくないだろう。当日の講演内容はもちろんだが、例によって、楽屋での脳科学についての談義も大変興味深かった。五輪での内容についてご興味のある方は、ご本人の著書に詳しいので、ぜひそちらをお読みいただきたい。
 さて、ゾーンの話。スポーツの世界では、フローとも呼ばれているらしいが、トップアスリートが試合の瞬間に、自分の意識と、行動している自分が離れたように感じる特別の状態を指すという。このゾーンの実体験談は、同じオリンピック北京大会100m×4リレーでトラック競技日本人男子初のメダリストとなった朝原宣治さんの講演を聴いたことがある。スタートの合図で第一走者が走り始めた瞬間、それを見ている自分と、練習の通りルーティーンで動く自分との意識が離れ、ゴールして掲示板を確認しようとしたところで元に戻ったということだった。
 意図的にゾーンに入ることは、超一流選手でも難しいと言う。朝原さんは前のアトランタ大会で一旦引退を決意した後、再挑戦へそれまでの考え方を改めて、一発勝負にピークを合わせて力を出すという考えを捨て、練習のときから常にベストの記録を維持するコンディションを続け、決勝のときも同じ状態を再現するという考え方に行きついたと話されていた。
 勉強は、瞬発力ではなく、毎日の努力の積分値だ。瞬間的に集中力を発揮するゾーンとは少し異なるものかもしれない。だが、勉強中に集中しているときは、ゾーンの状態とよく似ている。ゾーンは、修行を積んだ僧が瞑想するときの脳の状態と似ていると言われているので共通するものが少なくないのだろう。
 集中力を高める緊張状態と同時にリラックスした状態になっているのがゾーンの特徴という。勉強でも、その状態になるいくつかの方法は経験的に知っているが、再現性は高くはない。意図的に、勉強でゾーンに入る方法を究めたい。

[巻頭言2015/04より] 誉め方

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2015年04月号)

誉め方

 知己の脳科学者岩崎イチローさんによると、「誉め方」が影響を与えるという、ニューヨークでの実験結果があるそうだ。

 小学生に誰でも簡単に解くことができるパズルをさせて、誉める実験をする。そのとき、2つのグループに分けて、それぞれで誉め方を変える。片方のグループの子供たちは「頭がいいんだね」と誉める。もう1つのグループの子供たちは「よく努力したね」と誉める。そのあと、難しいテストと簡単なテストを生徒たちに選ばせたところ、「頭がいい」と誉めた子供の9割は簡単なテストを選び、「努力」を誉めた生徒は難しいテストを選んだそうだ。さらに続けて、もっと難しいテストを与えると、「頭がいい」と誉められたグループは、すぐにあきらめてしまい、「努力」を誉められたグループは熱心にこの難しいテストに取り組んだそうだ。

 「頭がいいんだね」誉めるのは、その子の「能力」、つまりテストや成績の「結果」を誉めていることにあたるかもしれない。「結果」を誉めると、「結果」の失敗を恐れ、リスクに挑戦することを選ばず、簡単に「結果」だけ出すことを選ぶ。そしてできないことに挑戦しなくなる。それに対して「努力」を誉めると「結果」の失敗を恐れず「努力」を選び、たとえ失敗しても自分の「努力」が足りなかったと考える。

 親は子供のために「結果」ではなく「努力」を誉めよう。

 高校受験部では、難関高校受験研究会はSpecial Programに続いて、5月上旬からAdvanced Programが始まります。脳科学に続いて、親の役割について学年別にお話します。こちらもぜひご参加ください。

※この内容は2015/04塾だよりに掲載したものです。

論文の引用の記載がない。記載だけでなく、元の記録もきちんと整理していなかったので、どの論文が根拠なのか改めて調べてみた。おそらく、出典はコロンビア大学のミューラー教授らの論文「知性をほめることは、子どものやる気や成績を損う可能性がある」(Praise for Intelligence Can Undermine Children's Motivation and Performance / Claudia M. Mueller and Carol S. Dweck Columbia University / Journal of Personality and Social Psychology 1998, Vol. 75, No. 1, 33-52) だったようだ。(この論文結果は経済学者中室牧子教授著「「学力」の経済学」の中でも紹介されている。同著は、数年前に話題となったベストセラーであるが、この「巻頭言」より少し後の発行で、そちらからの引用ではない。ご興味のある方は、同著または元論文を参照ください。)
 改めて全文を読んでみると、「カギ」となっている部分について、上記よりかなり踏み込んだ研究をしている。まず、最初に簡単なテストを実施したあとに、子供たちを、「能力」を誉める、「努力」を誉める、比較対象群の3つのグループに分け、次に敢えて挫折を感じさせるようにかなり難しいテストを実施、続いて元と同程度の簡単なテストを実施するという3段階のテストを行った。さらに様々な他の仮説を検討し計6種類の研究を実施し、子供たち本人の考え方への影響を検証している。
 その結果、驚いたことに、能力を誉めた子供たちは3回目のテスト結果が低下するという。もちろん習熟効果のため3回目はやや上昇することが期待され、比較対象群は実際上昇傾向を示す。そして努力を誉めた子供たちは、大きく上昇するという。誉め方の違いだけで、結果は有意性のある違いを示すとそうだ。
 また実証の結果では、能力を誉めると、努力を誉めた場合に比べて、この課題のゴールが、何かを学習することではなく成績であると考える割合が高くなる。さらに成績は能力で決まると考え、2回目の成績が悪かった原因は自分の能力が低いことであると考えてしまう。それに対して努力を誉められた子供たちは、成績が悪い原因は努力の不足であると考え、努力しようとするようになる。そして、そのテスト課題そのものへのやる気や楽しいと感じるも大きな影響を与える結果となったそうだ
 また、次の試験に向けて欲しい情報を選ばせると、努力を誉めた子たちは、課題を習得するのに役立つ情報を好むのにたいして、能力を誉めた子供たちは、他の(誰だか知らない)子供たちの成績を知りたがる割合が高くなる。さらに自分の成績をよく見せるような嘘をつく(評価者ではない、知らない人に)割合も高くなるそうだ。
「誉めると伸びる」は必ずしも正しいとは言えない。「誉め方」も、正しい科学的根拠とともに学ばなければ、効果がでないだけでなく、悪い影響を及ぼす可能性もある。
 親も指導者も、子供以上に学ばなければならない。

[巻頭言2015/03より] 親の心得

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2015年03月号)

親の心得

 新学期スタートである。siriusは先月から、また高校部は昨年12月から新学年スタートだが、大多数のクラスは3月から新しい学年で新年度が始まる。これからの新しい一年もよろしくお願いします。

 さて、先日、お恥ずかしい話ではあるが、お腹にくる風邪からちょっと体調を崩した。おそらくはウィルス性のもので、幸い軽くて済んだ。ちょうど週末に重なり授業にまでは影響なし。また受験シーズンなので、普段なら自然に治るのを待つ程度だったのだが、念のために医者に行き薬ももらって素早く対処もした。

 寝込むまでではなかったので、調子が良かった昼間はちょっと出かけたりもしたが、流石に気合いが入らず、一旦寝たらなかなか起きられない。いつも、やる気は行動が作るとよく言っているが、それもまずは健康あってこそ。

 子供の成長も同じであろう。親は、ついつい足りないところばかり見つけてしまうが、今あるものは忘れがち。まずは健康第一。無事にこれからの一年間過ごせるように、子供の体調を管理するのは親の役目の中でも一番大切なことである。

 それから、次に目的と目標。さらにそれを具体化するための行動に具体化することと続くが、これはなかなか子供には難しい。中3の受験期にそれができるようになるのが理想だ。高校生になってもなかなかできないことも少なくない。だが、この部分は主に塾の役目。そして最後にその行動の実行。これは子供が主役だが、やる気を維持するためには、周りが認め誉めることが大切。親には親にしかできない役目があり、親ではできないこともある。親としても成長していただきたいと願う。

 難関高校受験研究会では、そんな講演を予定している。ぜひご参加ください。

※この内容は2015/03塾だよりに掲載したものです。

 人は、足りないところに目が行きがちになるらしい。できてないところ、ダメなところを見つけ指摘するのは簡単だ。だが指摘されただけで治るなら、誰も苦労はしない。そもそも、子供でなくても、他人から指摘されたところを素直に認めて治そうと受け入れること自体が難しい。自ら気づき、自分から治そうと考えて試行錯誤する過程を経ることで、初めて必要なアドバイスも受け入れるようになるのだろう。
 その状態に導くことは親にとっては非常に難しいかもしれない。まずは、あるもの、できていることを認めることから始めよう。これは意識すれば比較的簡単に身に着けられることだと思う。
今あるものに感謝し、自分しかできない役目を正しく理解して、自身が成長する努力に集中しよう。自分が考え方を変え、行動を変えれば、周りも変わるはずだ。

[巻頭言2015/02より] 受験は団体戦!

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2015年02月号)

受験は団体戦!

 入試シーズンの前哨戦、序盤戦を終えて、いよいよ中盤戦から後半戦にさしかかるところ。これがお手元に届く頃には、中学入試はいよいよ最後の難関、都内入試と県内2次、高校入試は私立高校の後期入試から公立高校前期入試へ、大学入試は私大個別試験スタートの時期を迎えているだろう。この時期、毎年同じようなことを書いているが、今年も敢えて同じようなテーマで書こう。

 絶好調の生徒、第一志望をすでに勝ち取った生徒もいるが、なかなか思うような結果を残せていない生徒もいるはずだ。そんなときこそ最大のチャンス。試練こそが人を鍛えるチャンスなのだ。力が一番伸びるのは、入試の本番の最中であろう。本番の一発勝負の経験は、本番でしか体験できない。その経験が次の成長を生み出す。うまくいかなかったときこそ、その現実から目を逸らさずしっかり見つめることが大切。その経験の中から、今の自分に足りないものを見つけ出して、教訓としてほしい。そして、決して逃げることなく、諦めずにチャレンジしよう。

 あと少しだと考えると、脳はブレーキをかけるようにできているそうだ。まだまだゴールはずっと先。気を抜くことなく駆け抜けよう。受験は団体戦。頑張る仲間がいるから頑張れる。その仲間のために、自分が必死に頑張る。自分の頑張る姿で、仲間に勇気とやる気を与えられるくらいに頑張ろうと決意する。仲間のためにと誓おう。その気持ちがやる気をさらに生み出す。「誰かのため」と利他の気持ちで頑張るとき、脳は一番力を発揮する。そんな仲間たちが、たくさん集い、ともに切磋琢磨する環境が、誉田進学塾グループだ。受験は団体戦!!

 今年もやります! 千葉テレビ公立高校入試解答解説の番組を今年も生放送で担当させていただきます。少しでも受験生たちへの励みになるよう頑張って準備します。ご期待ください。
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※この内容は2015/02塾だよりに掲載したものです。

 入試が「団体戦」となるためには、必死になったとき、苦しく悩んだとき、ともに刺激し合い頑張った真の意味での「仲間」がいなければ成立しない。
 長時間、ともに勉強に集中し過ごす夏期講習は、仲間意識が生まれる大切な機会となるはずだ。そしてこのあと、受験を強く意識し、周りもその空気で支配されていく秋から冬にかけては、さらに意識に大きな影響を残す。
 真の意味での仲間とは、ともに切磋琢磨しながら、お互いによい影響を与えあうライバルでもあり、また苦しいときにも頼れる信頼できる友のような存在であろう。受験の真の敵は、自分自身の弱い心である。「受験戦争」と揶揄されるような、ライバルを敵視し、蹴落としてでも自分だけが、というマイナスの心からは、大きな力を発揮し続けることはできないはずだ。
 そのような仲間と出会い、ともに成長する経験をするためには、特別の場が必要となる。進学塾として、そのような「強い磁場」となることを望む。
 後半戦が近い。

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