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多摩地区の西寄りへ
教材会社主催の情報セミナー&展示会にて依頼された講演に
塾関係者対象で、久しぶりのトーク。
開催は午後までだが、講演は朝一番で、初回なので念のためを考えて荷物も多いため、渋滞やトラブルを回避するために早朝暗いうち出発。
予想通り順調に早く到着して駐車場へ。周辺を少し歩いたらおいしそうなパン屋さんを発見して、昼食と思って買ったが、あまりにいい匂いで朝食として全部食べてしまいました...。
だからお昼抜き。苦笑。
講演は、概ねご満足いただけたようだ。
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多摩地区の西寄りへ
教材会社主催の情報セミナー&展示会にて依頼された講演に
塾関係者対象で、久しぶりのトーク。
開催は午後までだが、講演は朝一番で、初回なので念のためを考えて荷物も多いため、渋滞やトラブルを回避するために早朝暗いうち出発。
予想通り順調に早く到着して駐車場へ。周辺を少し歩いたらおいしそうなパン屋さんを発見して、昼食と思って買ったが、あまりにいい匂いで朝食として全部食べてしまいました...。
だからお昼抜き。苦笑。
講演は、概ねご満足いただけたようだ。
年が明け、冬期講習が無事終了と思ったら、あわただしくしているうちにあっという間に2週目も終わる。
とりあえず近況
先週末の連休から入試がスタート
恒例の入試解答速報のために問題を解く
スタッフたちは受験生の対応、受験生以外の授業や対応などで忙しいので、算数、数学の助っ人として参入
今年も解きまくっています♪
次なる飛躍へ! 挑戦します
誉田進学塾グループは、誉田進学塾の代名詞「合格力」の原動力となる「やる気アップメソッド」の再現性に拘ったブラッシュアップを強力に進め、次なる「飛躍」に挑戦します。
大学入学共通テストが難化し、「思考力、判断力、表現力」だけでなく「処理能力」を問う方向へ進みました。高校入試でも、公立高校入試で学校選択問題の「思考力を問う問題」が実施され、「処理速度」で大きく差がつく傾向となりました。今春は実施校が拡大、千葉・千葉東・東葛飾の3高校となります。また学習指導要領改訂で、小学校から本格的に学習することになった4技能型英語は、従来の英語とは学習内容が様変わりし、中学校段階で差が大きく広がってきています。今後、入試へも大きく影響していくことになるでしょう。
このような変革の流れの中、私たち誉田進学塾グループは、3年かけて時代を先取りしてカリキュラムを大幅に刷新しました。とくに小学生は、明確に3つのコースに分けています。
難関私立中学受験専門塾の誉田進学塾siriusは、本質的な思考力を伸ばす指導で、学ぶ楽しさと合格に拘るという両極端を並立しながら、最大限の力を引き出します。
最難関高校受験専門の誉田進学塾(鎌取・土気教室)小学部では、知識に基づいて思考力、判断力、表現力を発揮するためのトレーニングを一段と強化します。公立中高一貫校の県立千葉中・市立稲毛国際中の受験にも積極的に対応するカリキュラムです。
難関高校受験専門の誉田進学塾ismの小学部は、中学進学後に学力を高く大きく花開かせるための土台作りに重心を置き、思考力・判断力を伸ばすとともに、幅広い知識への知的好奇心を育て、学ぶ楽しさを体感する教育に力を入れます。
またコロナ禍を契機として、オンライン配信、双方向型映像指導、AI学習コンテンツなどの新技術を積極的に導入してきましたが、学習指導の中核と位置づけて進化に力を入れます。
しかしながら、目指すべきは、変わることのない「自分で考える力」「解決する力」を伸ばすことと考えます。私たちは開塾以来「真の意味での英才教育」を目指して、子供たちが自らの力で未来を切り拓くことができるよう、保護者の皆様とともに育てることに邁進してきました。「本格的な勉強」によって適切な負荷をかけ、本質的な「人間力」を磨くための本物のトレーニングの開発です。「学ぶ楽しさ」を真正面から伝え、真剣によき道へと導く指導者のもと、お互いに「切磋琢磨」しながら、ともに成長する真の意味での仲間がいる、まるで「磁場」のような環境で、意欲を生み出し、困難に挑戦し達成する経験こそが、教育の本質であると信じています。いわゆる出題パターンの反復学習で効率的に点数を取らせることを目的化した受験対策指導とは対極にある本質的な指導の成果が、驚異の「合格力」なのです。
「合格力」という成果を上げ続けながら、その本質的な指導を発展させることは容易ではありませんが、この激動の時代は、私たちの真価が試されていると受け止め、強い信念を持ち続け、スタッフ一同全力で「さらなる進化への挑戦」を続けます。
小中高一貫指導で、ひとり一人の子供たちを、責任をもって育て伸ばすことで、結果としての「合格力」を伸ばすと同時に、教育の真の使命を通じて、地域の未来に貢献します。
誉田進学塾グループにご期待ください。
Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年12月号)
創造性を引き出すには
ちょうど読んでいる本に興味深い記載があった。米国の企業組織論の中でだが、クリエイティブであり続ける組織のマネジメントに関する記述で、実現可能なアイデアはいくらでもあるはずなので、組織がクリエイティブにならない原因は、部下のアイデアや能力が足りないのではなく、上司のアイデアを受け入れる力が足りないのだと指摘する。マネジメントする側が、部下のアイデアを検証する前から、思いつく限りの欠点や問題を指摘し、潰す評論家のようにふるまわないことが必要だという。日本の組織では、もっと身近にありがちな話しではないだろうか。
そしてこれは、そのまま子供の教育に対する指導者や保護者の立場に置き換えることができそうだ。失敗させまいと、子供の悪いところを強く指摘することで、そもそものやる気を失わせてしまってはいないだろうか。それは、勉強だけに限らない。成長ではなく、短期的な勝利を優先してしまうような少年スポーツの指導にも当てはまりそうだ。型に強くはめすぎる指導は、初期は早く伸びるかもしれないが、いやいやの練習を誘発し、自ら創意工夫し、努力を惜しまず伸び続けようとする原動力となる気持ちを削いでしまうことになる。
では、どうすればよいか。この答も列記されていた。あら探しをしない。失敗しても、叱責するのではなく、次へ向けての気持ちを引き出し、励まし、後押しする。もしその失敗を自分がやったなら、どう扱われたいか、どう扱われたらやる気になるだろうか、と考えれば、どう扱うのがよいかの正解を探すのは容易だろう。
さらに好奇心を刺激することが大切だと説く。それには質問が有効。指導する側が命令ではなく質問で、追い込むような質問ではなく問いかけで気づきを引き出す。そして本人の疑問からの質問を導き、それを認め聞き入れる姿勢がカギだ。
すべて、そのまま教育に対しても、示唆的ではないだろうか。
※この内容は2022/12塾だよりに掲載したものです。
コロナ禍が長期化して、子供たちへの影響がじわじわと表面化してきている気がする。3年近くという期間は、従来なら体験できたはずの多くを失ったまま、受験学年の生徒たちは、高校生活、中学生活を過ぎ、次のステージに進まざるを得ない。
来年度新卒の学生たちの就活時期には「ガクチカ」のネタがないというのが話題になった。「ガクチカ」とは「学生時代に力を入れたこと」を略した、就活での定番の質問のことである。確かに、学業だけでなく、サークル活動やアルバイトなど、学説自体にしかできない体験のほとんどを知らずに社会にでることになる。それでも受験生の中高生たちと比べれば最初の一年間があっただけましなのかもしれない。
しかし、過ぎ去った過去について言及しても得られるものはない。前向きに好奇心をもって次のステージに進むために、今できることに集中してほしいと願う。
そして、来る新年、さらにその先の未来が彼らにとって素晴らしいものになるように、明るく前向きに、夢と希望を抱いて進むことを願う。
私たちもできることをやり遂げることで、応援していきます。
Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年10月号)
原動力は好奇心
幕張メッセで開催されていた宇宙博を見た。子どもの頃からの年季入りの宇宙好きとしては物足りなさもあったが、普通の人が余り注目しないようなものでも、「ああこれ」がと好奇心を満足させられるものがたくさんあり、楽しい半日を過ごした。
理系、とくに工学的なモノにいつから興味を持つようになったのかは、自分でははっきり記憶がない。特別な体験がきっかけになったわけではないようだ。おそらく、遊んだおもちゃ、読んだ本、テレビなど様々な周りの環境と経験が積み重なって、そういう指向性を作ってきたのだろう。前に紹介した同級生の東大教授Fくんと前に二人で飲んだ席で、彼が化学に興味を持ったきっかけについて聞いたことがある。小学生の頃、父親に化学実験器具を買ってもらったのだそうだ。それがうれしくてずっと遊んでいたらしい。その当時はわからなかったが、その連れて行ってもらった店は、大学の研究室が購入するような専門店だったのだそうだ。
子供の頃の影響は大きい。ただし、親がよかれと思っても、あれしろ、これしろと、勉強と役に立つものを押しつけてしまっては、うまくいかない。役に立たないようなことも含めて、たくさん興味をもって、自ら経験したことが、のちに活きてくる。勉強だけで、純粋培養して育てすぎるのはあまりよろしくないようだ。
さすがに受験生は、いよいよ追い込みのシーズン。直接成果につながらない脱線をしている暇はないが、受験生以外は、ぜひさまざまな知的な体験をさせていただきたい。今のうちなら、一見挫折にみえることでさえ、次の成長の糧になる。
土台がなければ、高いゴールを目指せない。太い根を、大きく広げるような知的な好奇心を育てる機会や環境を、親も意識してみよう。
※この内容は2014/10塾だよりに掲載したものです。
この宇宙博に行ったときのことを懐かしく思い出した。宇宙は、子供の頃の記憶の中では、魅力的な希望に満たされていた。
小学校の図書館で、一時、毎週末、冊数の上限まで本を借りて帰っていた。これが読みたいという本を、ではなく、あまり選ばずに決めていた気がする。だから、ほとんどは、読み始めで面白くないとそのまま読まずに返していた。あるとき偉人伝のようなシリーズを端から順番に借りていた中で出会い、興奮したのがフォンブラウン博士の伝記。だから、この宇宙博で一番感激したのは、フォン・ブラウン博士愛用のテンガロンハット。マニアック(笑)。
その帽子を、フォン・ブラウン博士の、子供の頃からの夢、宇宙旅行を、ナチスドイツ時代のミサイルV2号の開発から、アメリカ亡命、不遇時代を経てのNASAでのアポロ計画で、実現に至るまでに思いを馳せ、見入った。
今、コロナ禍で、子供たちがさまざまな体験ができるチャンスが減っている。子供たち一人ひとりに、どんな分野でどんな活躍をする未来が待ち受けているかは、大人が決めるものではない。子供の純粋な好奇心が原動力となるはずだ。
そんな心を育てていきたいと強く思う。
※この宇宙博は撮影可能でうれしかった。
Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年11月号)
吾、十有五にして…
「飢えて困っている人に、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という言葉をご存じだろうか。公式ブログの巻頭言バックナンバー記事に関連して、この言葉の出典が少々気になり調べてみると、中国の故事と言われているが、文献として確認できる一番古いものは19世紀のイギリスの小説だ、と見つけた。
それはさておき、この言葉は、海外協力の世界などではよく引用されていたが、教育の世界でも引用されることが少なくない。「勉強」を教えるには、単に知識を教え憶えさせることや、問題の答を教え解答できるようにすることではなく、「勉強」のやり方・方法を教えることの方が重要だという意味となろう。
もちろん、その考え方は大切である。その考え方での教育法を追究することも必要だ。まだ十分に究められているとは言えない。だが、現代の日本の子供たちに求められる教育は、それでは足りないと考える。それだけでは、結局、教えられた方法でしか課題を解決できない大人へと成長させることに繋がるだろう。
自ら解決法を生み出せる人を育てなければならない。そのためには「勉強法を教える」を越え「勉強の目的意義」を明確にすることが必要ではないだろうか。
ただし、使命感で行動が迷わず強く持続できるようになるには、かなりの年月が必要だ。論語では「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とある。渋沢栄一著「論語と算盤」では「(15歳にして)学に志すは大いに疑問で、これから大いに学問をしなければならないな、くらいに考えていただけではないか」とある。使命とわかるのは50歳だ。
10代の子供たちには「勉強の楽しさ」を教えることの方がさらに重要だ。(私は釣りは知らないが)釣りが楽しければ、釣り方を考える工夫をするようになるに違いない。そして楽しく釣る人は「釣りの楽しさ」を伝えることができるはずだ。
※この内容は2022/11塾だよりに掲載したものです。
知識や答えを直接教える =「勉強を教える」ではなく、「勉強のやり方」を教えることの方が大切であることは言うまでもない。
知識を直接教え込み、目の前の点数を取らせるような「勉強」を押し付け教え込んだとしても、教えている者を超えるところにはたどり着けない。そして、そのような勉強は教えられている側の視点で見ると、やる気を生み出しにくい。
だから「勉強のやり方」を教えることの方が重要だ、となるのだが、そもそも、教えようとしているその勉強法自体がはたして正解なのか、明確なエビデンスがないことが少なくない。
さらに、習ったやり方でしかできない人間に育ててしまったならば、真の創造的な成果を生み出す人にはなり得ないはずだ。
自ら課題を見つけ、解決の方法を考えて生み出し、成果がでるまでやり続けるような人間を育てなければならない。最近の「探求型学習」や「アクティブラーニング」という考え方は、その線上にあるものだろう。
ただ、そのためには、指導者をどう育てるかと、学習のプロセスをどうカリキュラム化して一定の再現性のある品質に作り上げるかという2点の大きな問題がある。「教育法」の「科学的な追求」が必要であると考えるが、それはまた別の機会に譲る。
初期の教育段階では、それらの前に「やりたい」という気持ちを引き出すことがもっとも重要である。どんな困難に出会っても、諦めずにやり続ける人たちには「使命感」という共通の要素がある。ただし、本題で述べたかったことは、使命感が強く形成されていくのは成長のかなり後の段階であるということだ。
それまでは、やりたいという素朴な原動力、「楽しい」を伝えることが一番だと考える。
「学ぶことは素敵なこと」なのだ。
Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年09月号)
目標と挑戦
夏期講習も無事に終了した。受験生にとっては、ひとつの限界に挑戦した夏になったはずだ。そして、いよいよ志望校に真剣に向かい合う時期を迎える。
ゴールを最初に描くことは、ものごとを成功に導く出発点である。そしてそのゴール地点の設定をどこにするかが、とても大切なことだ。目標は高い方がよいとよく言われるが、それは必ずしも正しいとは限らない。
筋力トレーニングでは(目的とするのが筋力の瞬発力なのか持続力なのか筋肉量なのかで異なるそうだが)、ウエイトが重いほどよいわけではない。また回数が多ければよいのでもない。最も効果的なトレーニング法は10~15回の反復回数で自分の限界に達する適正な負荷をかけ、それを越えようと力を振り絞って頑張ることだという。この原理は脳でも同様だ。自分のできないこと、少しだけ難しいことに挑戦し続けることが、脳を一番活性化させるのだそうだ。他人とどちらができるかという比較ではなく、本人の限界を超える挑戦に意味がある。
もちろん低すぎる目標では成長を促さないが、高すぎる目標も意欲を生み出さない。できると確信できる限界ギリギリを少しだけ超えるところに設定することが成長の大きなカギ。ただしその限界点は、客観的な判断ではなく本人の潜在意識が支配している。周りが無理に高くすると、挑戦する意欲を失うだけ。高く挑戦する気力が足りないときは、まず届く目標を決め、できるだけ早くクリアする。達成が意欲を生む。その意欲で、次のより高い目標を目指す。この適正な負荷と前進感が、気力を創り、結果を実らせる。
保護者の皆様、お子様にとって常に適切な負荷となるように、その時期の目標をお導きください。
※この内容は2014/09塾だよりに掲載したものです。
目標設定能力が、その人の能力を大きく決めるという話は重要なので、繰り返しとりあげている。長期的に追跡した研究も発表されている内容だ。
ここでいう目標設定能力とは、どこまで、いつまでに達成するかを、決める能力のことである。ただし、ここで述べているように、現状から届く結果を客観的に正確に予測することに意味があるのではない。本人が潜在意識で本気で届くと信じられる、ギリギリの限界ラインか、少しだけ上の、もしかすると、無理かもしれないが頑張れば届くかも、と思えるところに定められるかがカギである。客観的な限界ではなく主観的な限界を、自ら選ぶことができるかの能力が、その人の能力の限界を決めてしまう。
その、主観的な信じられる限界を超えた、高い目標を無理に決めてしまうと、意欲は減退する。だから目標は高ければ高いほどがよいというのは、正確には正しくはない。行動する意欲を生み出すには、自分の努力によって結果が変わると信じていること、限界的努力をし続ければ到達可能だと信じていること、その範囲の中で敢えて最も高い目標を選ぶこと、そして自ら選択することが必要条件だ。
ところが、自己肯定感が低い場合、信じられる限界が客観的事実より低すぎて、限界的努力が必要な高い目標を選ばないことが多い。自信のない子供は、自信のない目標を選び、それでも自信を持てずに失敗する。低すぎる目標では、意欲的な努力を生み出さない。
そういう子供に、無理やり高い目標を押し付けてもうまくいかない。そのときは、時間軸を短く選ぶことがよい。ずっと先の高い目標ではなく、今すぐ行動すれば、すぐに結果がでるちょっとだけ高い目標を選択して行動を促し、達成体験を積み増していくことで、自己肯定感が増加する。その繰り返しで、徐々により遠くの高い目標へと進むことがよい。
「保護者の皆様、お子様にとって常に適切な負荷となるように、その時期の目標をお導きください。」と結んでいるが、目標を選択するのは「本人」でなければ意味がない。保護者にできることは、一歩引いて俯瞰し、「本人」が、自分で選択する機会を提供することだけであろう。
保護者として、より成長しようとしている皆様を応援します。
Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年08月号)
数値の役割
夏期講習前半が終了したところである。
先日、経営者の勉強会で出張の際、視察ツアーがあった。その中で、パイロット訓練用飛行機の展示があり、コックピットに座ることができた。たくさんの計器がある。当然、ちょっと説明を聞いただけでは何が何だかわからない。
パイロットはこのメーターを全て見て、操縦の判断をする。飛行機を、意図した通りの正しい飛び方にするためには、この数値の読み取りと判断に、高い精度が要求されるはずだ。おそらく、研ぎ澄まされた神経で、一つひとつの数値を常に意識しているので、少しでもおかしい数字があれば、ピンとくるに違いない。まるで数字の方から飛び込んでくるような感覚なのではないだろうか。
勉強と試験の関係も同じだ。試験は、それまでに努力した結果の分析をするためにある。大きな模擬試験だけでなく、どんな小テストでも、どの科目の、どの単元の、どの部分に改善すべき課題があるのかを見つけることができる。そして、なぜ失敗をしたのかという、自分の中の原因を探し出す。最後に、それをどうすればできるようになるかの解決への対策を考える。一番大切なのは、その最後の部分だ。対策は、できるだけ具体的な実行可能な行動によって解決できるものでなければ、成果を生み出さない。そして、その行動を実行し続けなければ達成できない。
勉強の場合、点数の結果の正否ばかりを追求しがちではないだろうか。パイロットはメーターをみて、数値がいいか悪いか評論することはない。すぐに操縦レバーを動かして適正な方向に操縦するはずだ。重要なのは軌道修正するアクションだ。夏期講習後期に向け、軌道修正の貴重な時間としてほしい。
※この内容は2014/08塾だよりに掲載したものです。
例によって時期外れの夏の時期の話である。
受験生なら、ちょうど、夏明けから模擬試験の数値に一喜一憂する時期が始まる。そして晩秋が近づいている今頃はそのピークであろうか。よい結果がでていれば安心もするが、芳しくない結果の場合、間接的にしかタッチできない保護者はイライラが募る。ついつい厳しく口をはさみたくもなろう。
だが、間接的な立場としての役割を忘れてはならない。途中経過の数値がいいか悪いかを議論したり評価するのが役割ではないはずだ。
本人が、現実をより客観的に厳しく見つめて、自己分析をし、次へ向けての改善をより具体的に考えるために、数値を利用しなければ意味がない。
一番大切なことは未来に向かう気持ちである。
こう考えると、保護者は、子供の未来に向かう心を引き出すことが大きな役目となる。「次は何点にしたい?」「何をやれば届くと思う?」「いつまでにそこまで行きたい?」というような、前向きな気持ちを引き出すコミュニケーションを試みてほしい。自らの意志で選択した行動ほど、実行する確率は高くなる。そのために親の考えを押し付けるのではなく、子供の気持ちや考えをよく聴く努力をお願いしたい。
厳しい現実に対峙させようと、過去を評価する話ばかりにならないように気をつけていただきたいと願う。失敗したことは、それをやった子供自身が一番よく知っているはずだ。