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[巻頭言2023/07より] 好きこそ

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年07月号)

好きこそ

 先日、昨秋早逝した高校時代の友人(悪友と言ったら文句を言われたことがある、こっちが悪友でしたね(苦笑;))の追悼ライブに行った。身内だけの葬儀だった代わりに、彼が好きで歌っていた自作の曲を、ご家族とバンドの仲間たちがライブハウスで演奏するというもの。奥様は、ご自分の文学賞受賞が決まった日が彼の病気がわかった日で、その心中は想像し難いが、終始明るく会場を盛り上げていた。彼が、会社の後輩たちとやっていたバンドを楽しんで、長く続けていた様子がよく伝わってきた。

 一緒に行った高校時代の友人の一人が、選択が音楽より美術だった連中の方が、あとに長く楽器をやっているね、と言い出した。確かに例は少なくはなかったが、あくまでも身の回りではという程度なのに、少し思い当たる部分があった。

 曖昧な記憶だが、小学校入学後にピアノを習い始めた。自分から望んで習ったのではなく、練習は最低限、順番待ちで読む漫画が目当てだった。バイエルが終わる頃に先生の都合で、先生が替わることになった。非常に厳しい先生で、それが嫌で辞めてしまった。同じ先生に習い続けていた同級生は、今でも相当上手いことをずっとのちに知った。相性の問題と片づけることは容易いが、振り返ると結局、弾いていた音楽が好きではなかったのだ。高校の終わりくらいになって急にギターを始め、学生時代はのめり込んだ。好きな曲が弾きたかったのだ。しかし、楽器は始めたのが遅いと高く伸ばすことが難しい。できるだけ早い方がよいのだ。

 勉強は、芸術やスポーツよりも年齢が進んでから伸びる能力とわかっている。それでも、早い段階から好きにすることが大切だろう。好きになるきっかけは親が一番多いそうだ。親が楽しんでやっているものを見ると、子供は触れてみたくなる。
昨今の調査で、勉強嫌いの子供が急激に増えているのは、大人たちが勉強を嫌いだからなのかもしれない。大人こそ、楽しく学ぶ気持ちを忘れてはいけない。

※この内容は2023/07塾だよりに掲載したものです。

 楽器を練習したことがあればピンとくるのではと思うが、楽器の習熟には、全体を意識しながらも、個別の特定「部分」に自ら課題意識をもって、練習することが必要だ。いわゆるストイックな姿勢で自分の課題に対して向かい合う練習、「意図的な」トレーニングを繰り返さなければ上達するのは難しい。単なる反復練習ではなく「意図的な」トレーニングは、どんな分野でも上達のための必要条件だ。
 様々な最近の研究の結果によれば、その練習自体は、ハイレベルになればなるほど脳に強い負担がかかるため、どんなその道の達人=エキスパートたちにとっても「楽しくない」ものなのだそうだ。エキスパートたちが、その楽しくない壁を超えていくのは、その先へ行きたいと求める心が強いからに他ならない。それは何かのために努力するという考えによるものよりも、素朴な達成意欲のために、さらに好きだからという原始的な気持ちによるものの方が強く持続する。
 大人は子供に対して、努力することを楽しんでいる姿を、もっと目の前で見せることが大切なのではないだろうか。できないことをできるようにすることが「学ぶ」ことの本質である。今までできなかったことに、失敗しながらも挑戦し、それ自体を楽しむ様子をそのまま見せよう。好きなものであることが大切であり、とくに秀でている必要なはない。むしろ下手でも楽しんで新しいことに挑戦する方がよいかもしれない。
 できれば勉強そのものや、勉強に近い知的なものに対しての新しい挑戦であってほしい。
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 ギターで新しい曲を練習したくなった...。
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(学生時代)