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[巻頭言2025/2より] 受験は団体戦

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年2月号)

受験は団体戦

 年末年始ということで、高校のクラスメイトたち、大学の学科同期生たち、それぞれに会う機会があった。コロナ禍もあったため、久しぶりの再会も少なくない。もちろん、仕事の上での付き合いの同業他社や取引業者との会合なども多いシーズンではあったのだが、学生時代の友人との時間は、それらとは異なる特別なものがある。当時の行状は思い出すだけで汗顔の至り、あまり振り返りたくはないのだが、永いときを経ると、当時それほど付き合いがなかったクラスメイト、同期生でも、すぐに打ち解け、なぜか元気がでる。苦楽をともにしたというには勉学の面ではおこがましいが、同じ環境をともにした不思議な連帯感というようなものだろうか。

 今年の受験シーズンもいよいよ終盤を迎える。受験生たちは受験を越えて新しい環境へと進む。できるだけ素晴らしい環境を、と望んでいることだろう。高い志を持つことは大切である。だが、単によいところへ進みさえすれば素晴らしい将来が手に入るというわけではない。そこで自分自身が、どう努力し自分を磨き成長するかが未来を創っていくことになる。向かい合うべきは自分自身の弱い心であろう。

 明るく前向きに強い気持ちを維持することは、一人では難しい。よき指導者だけでなく、よき仲間がいることが心の支えになるだろう。できるだけ高いところに到達すれば、同じように高い志を持ち努力する仲間とも出会えるはずだ。そのためにも受験生は全力でラストスパートをかけてほしい。そしてその出会いまでに、素晴らしい仲間から友として認められるような人間に成長することを目指してほしい。

 年末に、昔の卒塾生と出会う機会が続いた。今でも懐かしく声をかけてくれるのはとてもうれしい。今の塾生たちにも、ずっと先の未来で、仲間と切磋琢磨したことを思い出し、それで元気がでたと言ってもらえるような環境でありたい。
周りを元気にすることが元気の一番の源である。受験は団体戦。人生も団体戦。

※この内容は2025/2塾だよりに掲載したものです。
「受験は団体戦」。昔はあまり聞いた記憶がないが、いつからかよく聞く言葉となった。上記の本題通りの意味を、わかりやすく伝えるにはよい言葉である。
 しかし、耳に届き易い言葉だからか、独り歩きしている印象もある。受験は、結局は個人の努力、それを団体戦と呼ぶのは、管理教育に利用しているのではないか、という意見だ。確かに、上からの管理で勉強を「やらせよう」という塾・予備校や学校は少なくない。それらの点数や合格を勝ち取ればよい、結果がでればよいという「受験」に対する根底の考え方が影響しているのかもしれない。
 また「団体戦」から受ける印象の影響も大きいのだろう。一部の、いわゆる「根性型」部活の陰湿な上下関係や、指導者の行き過ぎた勝利至上主義などから、団体のために自己の犠牲を強いるが団体競技だという負のイメージだ。
 ここで伝えたい「受験は団体戦」は、真の「仲間と切磋琢磨」への願いだ。
 もっとも自身の体験では、当時はそんな気持ちは微塵もなかったはずだ。大半が陰鬱な時間の連続と感じていた中、長い時間ののち、一部だけ美化、昇華された記憶の断片が、今見えているというところだろうか。
 しかし、それもあったからこその今である。そして、あまり接点がなくとも、会えば元気がでる仲間たちだ。若き日にそれを知っていれば、とは思うことはあるが、そのおかげで気づけたこともある。それも悪くない。良し悪しを評価しているのは自分の心。会えば元気がでる仲間がいる幸せ。「人生も団体戦」。

 夏期講習後半戦リスタート。入試時期までおよそ半年。例によって今回も季節外れのテーマとなった。
 残る半年、ずっと先に懐かしく振り返れるような、真の意味で「受験は団体戦」が経験できるように、全スタッフで頑張ります。

 頑張れ受験生!

[巻頭言2020/1より] 考え方と環境 #マシュマロテスト

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2020年1月号)

考え方と環境

 2020年もよろしくお願いします。

 年末の新聞記事でも、大き目に取り上げられたのでご記憶の方も少なくないかもしれないが、ちょっと驚いた話題をご紹介したい。
それは教育の世界では有名な「マシュマロテスト」が、再現実験により否定されたという内容である。「マシュマロテスト」とは、1970年にスタンフォード大学のウォルター・ミッシェルによって行われた有名な心理学の実験で、4歳児にマシュマロを見せ「15分間食べずに我慢できたらもう1つあげる」として一人にした後の行動を観察した実験である。約1/3の子供たちが我慢し2個目を手に入れることとなったが、18年後に追跡調査が行われ、その後の社会的成功に対して強い相関があり、大学進学適性検査SATでは210点の差がついた。さらに23年後の2011年に再び追跡調査が行われ、その後もその傾向は変わらないと結論づけた。

 教育の世界では、この実験から「自制心」が、その後の成功のための重要な原因因子であると長い間信じられてきたのだが、2018年に発表された、アメリカの大学教授3氏らのサンプル人数を増やした再現実験によると、我慢できた子供たちとできなかった子供たちには、家庭に経済的な差があり、年収の多い家庭ほど、我慢する子供の割合も、将来成功する割合も高いという結果から、自制心と成功には、相関関係はあるが因果関係は立証されず、家庭の経済力が原因で、自制心と成功の両方に影響を与えるという因果関係があることがわかったというのだ。

 つまり、自制心を育てても成功(学力)が伸びるという関係はなく、家庭の環境が、自制心と成功を決める原因となるというのである。もちろん短期的成果ではなく長期的成果(報酬)を求めることが成功への因子であることと相反しない。そして、親の教育に対する「考え方」が子供に大きな影響を与えることも間違いない。もちろん環境は家庭だけではない。改めて私たちの仕事の重要性を認識し努力します。

※この内容は2020/1塾だよりに掲載したものです。

 来月(2025/9)の塾だより巻頭言に「マシュマロテスト」に関係する話題を掲載する。この公式ブログの巻頭言バックナンバー「[巻頭言 2025/01より] ピークを越えてるために」(https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=719)のコメントで触れたことの続きにあたる話である。
 (「マシュマロテスト」が否定されたという話は、すでにバックナンバーに掲載したつもりになっていたが、確認してみたら、この記事が未整理原稿に埋もれたままになっていたので、締め切り前の来月の原稿には「改めて掲載しました」と過去形で書いておいて、発行までに掲載して帳尻をあわせました(苦笑)。)

 さて「マシュマロテスト」の件、本編では制限字数が足りず、わかりにくい部分があるので改めて整理しておく。

 初めに、本文中の実験年代の記載訂正、追記をしておく。
 オリジナルの実験は、1970年にスタンフォード大学のウォルター・ミシェルとエッベ・B・エッベセンによって行われているが、このときはマシュマロではなくクッキーとプレッツェルだったとのこと。追跡調査まで行ったいわゆる「マシュマロテスト」は1972年で、追跡調査は1988年、1990年(SATスコア)、2011年は脳画像研究を行い、前頭前皮質と線条体の2つの領域で重要な違いがあったとされている。
 2018年の再現実験は、ワッツ、ダンカン、クアンによって行われ、15歳児の学力テストで検証したもの。

 続いて本文内容の整理

 「自制心」(=原因) ⇒ 「成功」(=結果)という仮説を立証する実験論文。実験方法は、上記の通り、幼児の時点の自制心の強さを調査 ⇒ 成年後の成績、社会的成功を追跡調査し関係を立証する。結果は、因果関係があるとした。

 一方、再現実験では、標本とする子供の家庭たちの社会経済的地位を詳細に調べ、「自制心」(=原因) ⇒ 「成功」(=結果)という因果関係ではなく、「家庭環境」(=原因) ⇒ 「自制心」(=結果)かつ「家庭環境」(=原因) ⇒ 「成功」(=結果)であり、「自制心」と「成功」は「家庭環境」を原因とした相関関係であるとし、その上で家庭環境を考慮した場合、相関関係も弱まり自制心だけが原因とはいえないと立証した。ただし「自制心」が「社会的成功」に影響を与える要因であることを直接否定していない。

 さて、今回これを書いていて興味深い論文を見つけた。2022年に京都大学齊藤智教授らの研究である。https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2022-07-21-1
 日本では、マシュマロテストの実証研究が少ないため、その予備実験を行っている中で、日本の子供たちがお菓子を待っている率が高いことに驚き、日本の幼稚園や保育園、学校や家庭では、みんなそろってから「いただきます」と言う習慣が影響しているのではとの仮説を立て、アメリカの子供たちとの比較実験を実施し予想通りの結果を得た。ところが対照実験として、包装されたプレゼントを開けずに待つという「ギフト条件」に変えて実験したところ、日本の子供たちは予想通り「食べ物条件」より早く開けてしまったが、予想に反して、アメリカの子供たちは長く待つという結果となった。そこで、これはアメリカではプレゼントを長く待つ習慣があることの影響であろうと推論している。すなわち「満足遅延」(すぐに得られる小さな報酬を我慢し、将来得られる大きな報酬を優先すること) が、文化に特有の「待つ」習慣により支えられることを明らかにしたという。

 さらにここまで書いて、もう一つ発見して驚く。2024年に「Delay of gratification and adult outcomes: The Marshmallow Test does not reliably predict adult functioning (満足遅延と社会的成功:マシュマロテストは成人への機能を確実に予測するものではない)」と題する論文が発表されていた。https://srcd.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/cdev.14129
2018の分析手法を拡張し702名の満足遅延の長期予測の妥当性の検証によって、マシュマロテストの成績は、成人後の達成度、健康状態、または行動を強く予測するものではない。相関はわずかにあるが回帰調整係数はほぼすべて有意ではなかったとのこと。
 本文には辿り着けずAbstractを見ただけだが、「満足遅延」と「社会的成功」の相関関係も否定されたとあるようだ。

 梯子を外された気分...。
 なかなか頭が整理できない。のちの研究が待たれるところ。

 もともとの1970年の実験は、将来の報酬を意識することで長く我慢できるかという仮説を立証する実験で、結果は予想に反し、報酬がストレスを増大させ我慢を短くするというものだった。
 どうやら、少なくとも低年齢の間は、将来のためにと意識させることは、ストレスとなり好結果にはつながらないことは確からしい。
 もちろん、どこかの年齢から変わることも考えうるが、我慢してやることは持続しにくいのは大人になっても変わらないのではないかと考える。

 勉強を難行苦行にしてはいけない。
 学ぶことは楽しいこと。

[巻頭言 2025/07より] 予習と復習

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年7月号)

予習と復習

 奈良に「観光で訪れ」た。この「巻頭言」(2024/10)で触れた昨夏以来。梅雨入りと重なりあいにく「気候の良いとき」とはいかなかったが「飛鳥辺り」も訪ねた。

 前回、時間が足らず寄れなかった国立博物館では、折しも超人気企画展の開催期末近くで、長蛇の行列に恐れをなしたが、望外の早さで入館できた。話題の七支刀や菩薩半跏像など、やはり教科書や資料集の写真ではなく、実物だからこそ直に感じる魅力は圧巻だった。また飛鳥では、真っ先に向かったキトラ古墳で朱雀像の実物に息を飲み、高松塚、石舞台古墳、飛鳥宮跡や飛鳥寺などで周辺の風景との位置関係を体感しながら、飛鳥時代に想いを馳せてきた。

 さて、改めて帰ってきてから「復習」をしてみると、少々残念に感じる点がいくつもある。「予習」の不足だ。日々に追われて勉強し直してから行く余裕はなかった。もちろん行きの車中や、宿泊の隙間にネットで一通り目は通した。昔、日本史を勉強した基礎があることに素直に感謝した。継体天皇以降、蘇我氏台頭~滅亡、大化の改新、壬申の乱を経て天武持統くらいなら、大まかな流れと意味はすぐに思い出せはした。しかし復習して細部までわかると、ああなるほどと腑に落ちるものが多数ある。事前にもっとわかっていれば、見て感じることがあったに違いない。

 知識を基礎としてできるだけ詰めておくことは重要なことなのだ。ただし、正しい理解を伴っていなければ思考にも活用できず、丸暗記は時間の経過で消える。

 とはいえ、実物の体験から、知識の学習が意味を持ったとも言える。どちらが大切ということではなく、双方を繰り返し往復して学び理解することが重要だろう。

 夏休みは近い。この機会に子供たちに多くの実体験をと願う。いや、修学旅行生の様子や、混雑する博物館に連れられていた小学生を見ると、理解するには年齢と成長も必要とも言える。その日に備え、夏は知識も楽しくたくさん学びましょう。
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※この内容は2025/7塾だよりに掲載したものです。
(冒頭の「巻頭言」(2024/10)は、こちら)
https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=716

 知識を定着し持続するには、反復学習が必要だ。
 しかし時間は有限である。学生時代を過ぎ、仕事をするようになれば、一般活用の範囲が広い基礎知識と高度な専門知識では、学習にかけられる時間も異なってくる。効率を重視するのはやむを得ないことだろう。
 初等教育や前期中等教育の段階では、専門知識の基礎となるだけでなく、将来の教養を形作るのに重要な幅広い知識を、本質的に正しく積み重ねたい。土台がしっかりしていなければ、高く積み上げることもできないはずだ。
 中後期中等教育や高等教育(いわゆる大学以上)の課程になると、知識欲は興味のあるものに集中してしまう。さまざまなものが有機的に結びつき、知識が知恵となって活用できる段階。できるだけ多角的な刺激を受けながら専門教育を学ぶときだろう。
 教育の携わる者は、それらを期間を見通しての、長期的な教育の方向性を意識しなければならない。目の前の結果も必要だが、そればかりを追いすぎてはいけない。
 日本ではまだまだ教育というと学生時代までと考えがちだ。年齢とともに、ものの観方、捉え方も変わる。常に未知なるものの刺激を求め学ぶ気持ちを持ち続けよう。

 大人こそ、学びが必要だ。
 いくつになっても、学ぶことは素敵なことのはずである。

   
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[巻頭言 2025/01より] ピークを越えてるために

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年1月号)

ピークを超えるために

 経済協力開発機構(OECD)が、国際成人力調査(PIAAC)の結果を公表した。31か国・地域から約16万人が参加した成人(16~65歳)が持っている「成人力」についての調査で、2011年に続いて2022年度実施の第2回。日本は読解力、数的思考力で、2位(前回1位)、初調査の問題解決力で1位だったことは、報道等でご存じだろう。PISA(15歳の学習到達度調査)で常に上位を占める東アジア勢が目立たず、常連のフィンランドのみでなく北欧が高得点なのが目につく。日本が16~24歳がピークで以降年齢が上がるに連れてスコアが下降するのに対し、北欧は、16~24歳よりも、25~34歳と35~44歳のスコアが高いという違いが明らかになった。大学院進学や博士号取得、就職後のリスキリングの機会不足が指摘されている。

 だが、私たち受験に関わる立場としては、本来、通過点の目標であるべき受験の合格を勉強のゴールとして目的化してしまうことによって、進学後の学習意欲を低下させてしまうことの弊害に真摯に向き合う必要があると考える。受験勉強を通して、必要な能力を磨くことは、その後の高度な能力を引き出すための手段であり、それだけが目的となり、学習が持続しないようにしてしまってはならないはずだ。

 また、この調査では、日本人は、仕事に対してスキルが不足していると考える割合が29%で、OECDの平均の3倍と、非常に高いこともわかった。それは課題としての提言がされていたが、不足していると自己を厳しく評価する姿勢が、高い向上意欲を生んでいる可能性もある。PISA調査でも、同様に否定的に評価する割合が高かったが、相反して、やればできると考える人の割合が一番高いという調査結果もでていて、結局、トップクラスの好スコアであることを見逃してはいけない。

 他の様々な調査では、経験だけではスキル向上にはつながらないことがわかっている。大人になっても挑戦する気持ちを持続することが鍵であることは間違いない。

※この内容は2025/1塾だよりに掲載したものです。
 この調査の結果は、さまざまな示唆に富んでいる(ご興味のある方は、以下をご参照ください)。
 ⇒ 国立教育政策研究所の生涯学習政策研究部の国際成人力調査PIAAC
https://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/div03-shogai-piaac-pamph.html

 最後に触れた通り、直接の調査結果ではないが、自己評価とスキルの関係は、さらなる検証結果がほしいところだ。

 ところで、先日、TVのあるニュース情報番組で、長寿パーティーゲーム「黒ひげ危機一発」に関する実験を紹介していた(正式製品名は一発で、一髪ではないことに初めて気づいた!)。
 発売50周年を迎えるにあたり、記念版製品から正式ルールを飛び出したら「負け」から、発売時の「勝ち」に「戻した」という。もともと「黒ひげ親分を救え」という設定で、飛び出したら「勝ち」だったものが、あるクイズ番組で「負け」の設定で流行ったため、その後、正式ルールも変更し、そのまま続いていたとのこと。メーカー公式発表によると「50周年を迎え、原点回帰することによって、"負け"ではなく "勝つ"という普遍的な楽しさを提案します。」ということらしい。
T V番組では、いわゆるZ世代でどう遊んでいるかを取材し「勝ち」で遊んでいたため、世代差があるかどうかを脳波を測定しての実験を試みていた。その結果、30~50代は「負け」のときが楽しく、Z世代にあたる10~20代は「勝ち」のとき楽しく感じる結果を得た。脳波のグラフから、Z世代は「ストレス」があると、楽しさを感じないままで、30代以上が、「ストレス」からも「興味」や「楽しさ」を呼び起こすのとは、大きく感じ方が異なるらしい(そのあと、その結果についてコメンテーターが、それぞれ意見を述べ合っていて、思うところはあるが、そこは略す)。
 これは、日本人の大人世代が「我慢強い」方が「能力が伸びる」と考える率が高いことと相関関係があるかもしれない。教育学の「常識」とされていた「マシュマロテスト」という有名な心理学実験の結果が、近年否定されたことは以前にどこかで触れた。「我慢強い」は「成績」と相関関係はあるが、原因因子ではない。
 否定ではなく肯定的な見方で「楽しく」挑戦することが出発点。その後に「向上」を目指して「負荷をかける」トレーニングを自己選択する「心」を育てられるかだろう。
 楽しく学んでいきたい。

[巻頭言2024/12より] 持ち帰ったもの

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年12月号)

持ち帰ったもの

 10月の終わりに「全国模擬授業大会in名古屋」を見学してきた(blogでも紹介)。

 春と秋に全国の塾の先生たちが授業技術を競い合う大会(今回は公立中学と私立中高の先生たちも一部参加)。授業で行う「導入」部分の授業を実演し、審査員が採点。ブロック予選の勝者がセミファイナルで科目別チャンピオンを競う。さらにそのチャンピオン同士がグランドチャンピオンの冠を競うファイナルがフィナーレ。

 参加する選手を選ぶために、塾内予選をする塾もある真剣勝負。上位入賞の選手たちは大会までに相当のトレーニングを重ねてきていて質の高い内容だった。
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 ただ、うちの塾は対話参加型、生徒たち一人ひとりに、どれだけ自分の頭を使って考えさせるかという観点で授業を構成しているため、あくまでも参考としての見学までに留めている。このような競技形式では、時間制限があるため、どうしてもどれだけ「わかりやすく」組み立てて、短時間で知識を詰め込むかになりがちとなる。プレゼン技術を磨くには素晴らしい大会形式なのだが、このコンテストを勝ち抜くために、型を作り過ぎてしまうと、実践には応用が効かない。

 これは、短期的な成績を追い求め過ぎると、本質的な実力は伸びにくくなることが少なくないことと同型だ。私たちが挑戦しようとしているものは、従来、職人技、個人に依存しているとされていて、研修によって経営品質を高めることは難しい。だからこそ、ずっとスタッフ研修には力を注いできたが、コロナ禍期によって研修の形も変える必要に迫られ、そのときできることの中で全力を尽くしてはきた。

 今回の見学で、今また、それを超える時期に差し掛かっていることを感じた。単に前の状態に戻すのではなく、新たにできるようになったDX化、オンライン技術などを活用し、より高いものを目指す挑戦が可能になろうとしている。まだまだ道半ば。さらなる進化に挑戦していく想いを持ち帰った。頑張ります。
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※この内容は2024/12塾だよりに掲載したものです。
 誤解のないように最初に書いておくが、この大会の意義について否定的な発言を述べているのではない。一定のルールの下に、導入授業の技術を競い合うことは非常に意義深い。職人技の暗黙知とされがちな「伝える」ことを、形式知化して技術として高めることができれば、素晴らしいことだ。
 だが、教えることだけに焦点を絞り込んで特化しまうと、失うものは大きい。どう教えれば、わかり易くなるか、簡単にできるようになり、得点がとれるかに偏りがちだ。いわゆるコスパ、タイパという上辺だけの判断基準に引きずられがちになりやすい。全部教え込んで、それを訓練してしまえばできるようになるだろう、という教える側の傲慢な考えにも結び付きやすい。
 自ら考え、ああそうかとわかる瞬間を大切にしていきたい。ただし、それを単なる職人技としてしまわずに、経営品質として成立させていかなければならないと考えている。正しいやり方で研鑽すれば、確実に磨かれていく「教える技術」の教育。
 私たちは、その意味で「教育」の会社であることを目指していきたい。
 閃く体験が楽しさを生み、それが原動力となるように。

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[巻頭言2024/11より] 一隅

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年11月号)

一隅

 先日、ある私学の先生方との情報交換の会に出席した。広報の先生だけでなく、校長先生・副校長先生・教頭先生などにお会いできる貴重な機会。例年、いくつか定期的に参加しているのだが、重要な入試情報や学校での新たな取り組みなどは、日頃から直接取材したり、ご案内いただいたりしているので、だいたいわかっている。こういう会では、それに対してどう捉え、考えているかの微妙なニュアンスを直接お聴きして判断できる点が他にないところで、大切な機会である。

 さらに少々アルコールが入る懇親会ともなれば、ときには日頃の本音なども漏れることもある。今回もそのような流れで、最近教員の志望者が急激に減っていて大変だという話題になった。採る側の立場の方たちだから実感する話だろう。

 公立学校の教員採用試験の倍率が全国的に大きく低下している問題は、マスコミ報道などで読者の皆さまもご存知のことと思う。教育学部や教員養成系の学生たちの多くが学校の職場は「ブラック」と考えるようになり、志望者が大きく減っている。学習指導以外の雑務の多さや、部活での残業の長時間化、さらに休日がなくなるなどの問題が指摘されていて、「定額働かせ放題」「サブスク残業」などの報道もあり、少しは是正の動きにはなってきたが、根本要因は先送りというところか。

 人口減少問題や少子化問題も絡むと複雑化するが、「教育に投資する」ことに「大きな利得がある」ことは、様々な実証実験で個人のレベルでは証明済みだ。社会レベルでも同様か、さらにより大きな価値があることは確実に証明できるだろう。

 ここで大上段に意見を振りかざすつもりではない。私たちにできることは目の前の「一隅を照らす」ことだけ。子供たちに「学問は素晴らしい」ということを「継承していく」ことがどれだけやりがいがあり、人生を充実させることであるかを、縁あって集った社員たちと実現することしかない。酔い覚めしつつの帰路の想い。

※この内容は2024/11塾だよりに掲載したものです。
 就活の際に、教育を目指す学生が減っている。待遇や将来性という、いわば功利的な側面からの評価が低いことが原因であろうか。昨今の学校事情などの報道が低評価に繋がっているのだろう。
 しかしながら学生が最も身近に感じる民間教育の場は塾だ。生徒時代の通塾経験率も高い。学生アルバイトの職場としても、塾、予備校は昔から定番だったはずだ。その塾、予備校のアルバイトの経験が、教育という仕事の価値を下げている可能性もある。体験からくる実感の評価の影響は大きい。単純に他者のせいするだけにはいくまい。まずは自らを省みて襟を正するべきだろう。
 教育という仕事は、時代を超えた普遍的な価値があるはずだ。また現場でのやりがいという点では、他の仕事に比して優るものはたくさんあり、劣るものは少ないと考える。だが、それを今ここで議論しても意味がない。目の前の塾生たち一人ひとりのために、高い志をもつ社員たちが、やりがいを感じならが、明るく前向きに仕事に取り組めるように、働き甲斐と働きやすさを両立させることを頑張るだけだ。
 幸い、すでに志の高い社員がたくさん集い、さらにまた集まってきている。目の前のことに集中しよう。

[巻頭言2024/10より] 教養

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年10月号)

教養

夏前に奈良へ小旅行に出かけた。寺社仏閣、仏像の拝観や、街並みを見ながらの散策を楽しむ。盆地特有の暑さには閉口したが、時間に追われず、気の向くまま見聞して過ごすことができた。仕事の会議や視察で何度も訪れてはいたが、観光する合間はなく、歴史的なものを観るのは、時間が自由にあった学生時代以来。記憶は曖昧になっていて、とくに二月堂の造りを左右逆に誤認していたのには驚いた。

 それは極端な例だが、若い時とは見えるものや感じるものが変化していた。感性の変化や知識や知恵の積み重ねの成せることではあるだろう。だが、それは若い日に学んだ知識がベースにあることも事実だ。仏像の顔を観て生で感じる感性と、その背景の知識との適切な対照が、新たな気づきや感動をより豊かにする。

 旅行や出張の列車の車窓からの風景を眺めるのも好きだ。初めての道中はもちろんだが、何度も乗っている路線でも読書や仮眠の隙間に、何気なく外を眺めるとき、毎回何らかの新たな気づきがあり楽しい。これらも、山や川の地図が頭にあり、地形に対しての知識と、見えている景色が呼応して、そこにある自然と、それに対しての人工的な造物や建物から、そこで暮らす人々の生活の様子が初めて“見える”のだろう。目で見たままに“見える”と考えるのは、あまり正しくないと思う。

 その最も基礎となるのは小学生のときに憶えた歴史や地理の基礎知識である。それらを基盤として、さらに中学で積み上げ、本質を正しく理解し、より高度に高校で学んでいった知識たちが、感性も豊かに磨いていく。もちろん、ただ暗記しただけの知識では意味がない。正しく本質を理解し知恵として活用できるまで高めてほしい。そのまま直接的に役に立つかと功利的に考えない方がよい。それが教養だ。

 若き日に学んだ教養は、その人の人生を豊かにする。つい先日も奈良には出張で行ったが、次は観光で訪れたい。気候の良いときの飛鳥辺りがいいか。

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※この内容は2024/10塾だよりに掲載したものです。
 奈良を初めて訪れたのは、大学生の初めの頃の春休み。普通なら修学旅行の定番なのだろうけれど、残念ながらそれまで訪問したことがなかった。もはやあまり記憶もなく、流石に興福寺、東大寺や大仏殿などは行ったが、有名どころの寺社仏閣を見ていない。ユースホステルに二泊したらしく、二月堂のお水取りの籠松明を間近で見たことは憶えている。上記の通り、建物の作りは誤認していたようだが。
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 今回は、一通り定番有名地を訪問してみた。ゆっくり見て歩くと趣深い。長く続いてきたものには、その深みがあった。
 学生の頃の訪問は、少々斜に構え、あえて有名観光地を俗化していると否定して、あまり観光客が行かないところを歩いていた。今回、そのときの数枚残る写真と記憶の断片を検索したら、旧柳生街道という古道を半日ほど歩いていた。今は少し整備された様子だが、当時は、途中途中に石仏はいくらかあるものの、ほとんどは単なる地元の人の山道歩きだった。苦笑ものの体験だが、それはそれで今ではもうできまい。

 知っているものと未知なるものからの刺激。
 行ってみたい、見てみたいところはまだまだ無数にある。

 今年の7月の巻頭言でとり上げたが、このとき願った通りに、奈良を再訪、飛鳥も訪問することができた。
(その話はまた後日)

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夏期講習スタート!

夏期講習スタート!

中学受験部と高校受験部はすでに始まっていましたが、高校受験部も今日から夏期講習スタート!

高校受験生たちも、朝から集中して頑張っていました!
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頑張れ受験生!
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[巻頭言2025/06より] 書を読み、町に出よう

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2025年6月号)

書を読み、町に出よう

 GWに、ちょっと私用にかこつけて大阪に行ってきた。といっても、話題の万博や、インバウンドなどで人が賑わいそうな、いかにも大阪を感じさせるエリアはなるべく近寄らないで過ごした。先月の巻頭言で「集中のあと一度開放することが閃くための脳の状態の条件」「(GWに)子供たちの脳も、集中の負荷と一時的な開放、さまざまな経験をしてほしい」と書いたので、有言実行、率先垂範ということで、日頃のルーティーンをできるだけはずし、敢えて今まで行ったことのないところ中心にということで、博物館の常設展なども見て歩いた。その中で感じたことを少々。

 それなりに規模の大きな複数の展示施設で見ごたえもあり、見せ方の工夫などで楽しむことはできた。昔、本で(今どきは画面で)見たことがあるような、いわば教科書を詰め込んだだけの知識ではなく、実物を直接見ることには一定の価値がある。とくに、特別好きなもの、興味のあるものでは本物の実感は強い。ただ、思い入れのあるもの以外は、その一点しか存在しない国宝級のものならば別だが、本物とは言え多数あり普及しているものや、展示のためのレプリカは、どうしても知識の再確認のように感じてしまう。もちろん、それと知っているからではあるのだが。それに対して、単純比較できない極論ではあるが、初めて行った未知の街の中で、そこに行かなければ見ることがない偶然の出会いからの影響の方が強く感じた。

 しかしながら、さらに深掘りして考えてみると、その前にまず前提となる知識が十分にあり、どういうことなのかを考えるための準備ができているから、見たものから気づき、感じることができるのだ。知識がなければ、そもそも気づきもない。

 「書を捨てよ、町に出よう」と言った劇作家に影響を受けた世代ではないが、この「反語的」論理を思い起こす。捨てる前にまず読まなければ街に出ても学べない。

 今回最もなるほどと思ったのは高所から改めて眺めた生駒山地の山容であった。

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※この内容は2025/6塾だよりに掲載したものです。
 たまには、気分を変えて、ふらっと思いつくまま行動してみることは悪くない。ちょとした意外な発見が心に響く。知らない土地での、五感を使った刺激が心地よい。
 旅先には、本を多めに持って行って、夜は読書にふける。以前は、学びの本を中心に楽しみの読書も加えてと、結構な冊数を詰め込んでいたが、流石に最近は根気も続かず少し減った。
 その分、明日はどこに行こう、どうやって行こうと調べながら楽しく想像して眠りにつく。計画を綿密に組み過ぎるのも面白くない。行ってみなければわからない要素は多めが良い。

 夏休みが近い。

 来年受験する受験生にとっては、これ以上は経験できないというほど勉強に集中する毎日も大切だ。それ以外の生徒は、積極的に街にでよう。

 二度とない時間、大切にしていこう。

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東進志田晶先生の確率が面白いほどわかる本

東進数学科のエース志田晶先生の新刊本「確率が面白いほどわかる本」を献本いただいた。

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読まずに何か書くわけにもいかず、さっそくいつもの通りパラパラと眺めて、全部解くわけにはいなかいので、最後の方が難しいだろうと一番最後の問題をみると「京大」とある。

それではと解いてみた。

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はじめに問題意図を方向違いの勘違いのうっかりミス。なんだか簡単に解けて変だなと気づいてすぐ解き直し。とりあえず解答までたどり着いてひとまず安堵(解説みたらちょっと別解)。
よくみたら難易度が乗っていて、最大4までの3の評価。
最初から4のをやればよかったけれど、今日はもう一問解く時間がない。残念...。

すごく面白い問題なのに見た覚えがないなあと思って探してみらた1980年代前半の入試だった。
流石! 志田先生、いい題材を持ってきていました。

もちろん、中堅国公立大から難関大対策用、そしてトップレベル大学対策の基礎固めとあり、最初は小中学生でも解ける問題から東大京大まで並んでいて、楽しく勉強できそうです。

志田晶先生の「確率が面白いほどわかる本」は「確率が面白いことがわかる本」です!

志田先生、ありがとうございました!

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