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[巻頭言2013/10より] 見える化

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年10月号)

見える化

 受験生は、模試シーズンである。連続していろいろなタイプの模試を受験し、結果が返却される。だが、その結果に一喜一憂してはいけない。

 模試の一番の目的は現状把握。志望校判定はとても気になるものだが、それは過去の努力の結果である。

 大切なことは未来への今の行動。まず現状を客観的にしっかり見つめる。決していやなことに目をつぶってはいけない。まずしっかり見ることが出発点。そして次にゴールの位置を明確に掴む。志望校合格に必要な得点まであとどの科目、どの分野、単元を何点伸ばせばよいか、具体的に分析する。最後に、それを達成するのに必要なことは何か、具体的な行動に分解する。やるべき課題としてできるだけ具体的に細かく分解して、日々の行動に落とし込む。このときに忘れがちなのは期限。日付の期限をつけて、日数で「割り算」して時間当たりの量に、行動を分解する。

 模試は、単なる「評価」ではない。具体的な行動を引き出して初めて意味を持つ。そしてその行動は、自らの意志で「自己選択」した行動であり、必ず「できる」と潜在意識で信じられる「ぎりぎり」の上限に設定したときに、いちばん力を発揮できる。このとき、できるだけ明確にゴールが見えて描ければ描けるほど実現の可能性が高くなる。

 親が手伝ってやれることは、わずかしかない。私たちが手伝えることもわずかしかない。最後は本人の学びに対する意識。

 その原動力に点火できるようにスタッフ一同全力を尽くします。
受験面談が始まりました。ご協力よろしくお願いします。

※この内容は2013/10塾だよりに掲載したものです。
 「目標」を具体化する。成果を掴むためには、非常に大切な考え方だ。
 だが、それ自体は簡単で、実践が難しい、と感じる方も少なくないかもしれない。はたしてそうだろうか。実践が難しいのは「目標」の問題ではないだろうか。
 日本語は曖昧な言葉なので、目標というと、ゴールの「場所」の設定だと勘違いしやすい。ここでいう行動によって成果を実現するために必要な「目標」という概念を表すには、それだけでは定義が曖昧で、成果にはつながらない。
 まず第一に、ゴールは期限が決まっていないと有効ではない。「場所」と「時間」の両方が揃って初めて機能する。ここまでがゴールを明確にする段階。もちろん、どこに、いつまでにと決めるか、という「目標設定能力」が大切なのは言うまでもないが、それは、また別の回に。
 これだけで「目標」をたてたと思い込みがちだが、ここまでだけでは「目標」は機能しない。単にゴール地点が決まっただけである。
 次に必要なことは、そのゴールに至るまでの行動「計画」を立てること。ただし、この計画は、ただ、こうしよう、ああしようという感覚的なものでは役に立たない。ゴールから逆算して、必要な要素に分解し、ゴールと現状のギャップ(差)を測り、課題を明確にして、それを解決するための具体的な行動計画に分解し、最後に、期限までの時間で割り算して、日々の行動までブレイクダウンする。ここまで具体的な計画を立てて、初めて「目標を具体化」したことになる。その具体化した行動計画だけで、成果の実現に対して、必要十分性を満たすかまで検証しておくと、さらによいだろう。
 だが、「目標」は、それだけでは実現しない。ゴールに行きたいという気持ちを大きく抱いて、実践し続けるためには、日々の努力が、どれだけ前進したかが体感としてわかること、フィードバックが必要である。「見える化」は、その進捗状況を常にリアルタイムで体感するためのツールであろう。「見える化」は、「目標」と対で初めて機能する。
 ちょうど、本題の時期と同じ時期である。受験生にとっては、ラストスパートに向けて、まさに「目標を具体化」し、実践し続けることが重要な時期だ。また他の学年も、毎日を、日々の惰性にゆだねることなく、次の学年に向けた行動の指針を決めるべき大切な時期だ。
 迷う気持ちを振り払い、「目標」のための具体的な「行動計画」の「実践」に集中して、ゴールを実現してほしいと願う。

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[巻頭言2013/09より] やっていることを好きになる

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年09月号)

やっていることを好きになる

 夏期講習が開けると、いよいよ受験生たちにとっては終盤戦。ここまで蓄えた力を見せるときがやってくる。時間がどんどん迫ってくる。苦手科目からも逃げるわけにはいかない。勉強が「敵」に見えるときもあるかもしれない。

 しかし、勉強は「敵」なのだろうか。

 勉強を、問題と戦って得点を取らなければならない相手だと思うと、確かにそう見えてしまうだろう。だが、本当の「敵」は自分自身の中にあるはずだ。わかっていてもつい怠けてしまう気持ち、苦手だと嫌だと逃げたくなる感情、解決への行動を起こさずに、現状維持で先送りしてしまう弱い心。自分にとって、マイナスの「結果」を引き起こしている真の「原因」は、すべて自分自身の中にある。

 勉強は、その自分自身を外へと伸ばす大切な方法なのだ。やり続けることで、自分自身を磨くことができる。将来、大きな力を生み出すのは、取った点数やどこに合格したかという受験の結果ではなく、その結果を創り出した自分自身だ。その自分自身の力は、努力して自らを磨き成長することでしか伸ばすことができない。勉強は、そのための一番優れた方法、すなわち「味方」なのだ。

 けっして、勉強を「敵」ととらえてはならない。大切なのは、今与えられた全てのことを、自分に与えられたチャンスと思いやり続けること。そして、好きになるまでとことんやり続けること。最後に「勉強」が自分の「味方」をしてくれるようになるまでやり抜くこと。そのために、好きなことをやるのではなく、今、やっていることをまず好きになろう。道はそこから拓ける。

 受験生は終盤戦。保護者の皆様、体調管理をよろしくお願いします。

※この内容は2013/09塾だよりに掲載したものです。
 すべての「原因」を自分の中に求めて、それに向かい合い、自らのマイナスを変えていくことで「結果」をプラスに変えていく。勉強だけに限らず、すべての人生において言えることだ。
 「言い訳をしない」「愚痴や不平不満を言わない」「悪口や人のことを言わない」は、子供に、躾として言う代表的な言葉の例であろう。強く叱って、命令することとも少なくないだろう。子供はいやいや従うが、そのうち反抗期を迎え、親の言うことを素直に聴かなくなる。いやだと思いながらやらされていることは結局は身につきにくい。
 ときには叱ることも必要かもしれないが、その前に、なぜ言い訳や愚痴、不平不満、悪口はダメなのかを、大人は子供にきちんと説明しているだろうか。
 それらは、すべて「原因」を人のせいにすることと同値だ。「他責」にしてしまうと、潜在的に自分は正しいから変えなくてよいという考えを強くすることになる。
 「自責」と考え、自分の悪いところに向かい合うことは、自己防衛反応が邪魔をして難しい。だが、その嫌な気持ちを乗り越えなければ、自己変革は生まれない。
 日本の若者は、自己肯定感が不足している、若者の無気力はそれが原因だ、と言われることがある。しかし、安易に、現状の自分をただ肯定することが、本来の「自己肯定感」ではないはずだ。努力すれば、もっとよくなると考える「自己有用感」からの「自己肯定感」の方が大切なのではないだろうか。
 将来「好きなことをやる」ではなく、今「やっていることを好きになる」ことは考え方次第ですぐに変えることができる。
 そして、「やっていることを好きだ」と感じさせることは、教育の力で可能なはずだ。それが教育の第一歩であろう。

[巻頭言2013/08より] 知行合一

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年08月号)

知行合一

 夏期講習前半が終了したところ。後半も頑張ります!

 勉強で大切なことは「わかる」こと、そして「できる」こと。とくに、最近の世間の子供たちを取り巻く環境を見ていると、効率よく「できる」ことばかり求めて、「わかる」こと抜きになっていることが気になる。まず、どういうことなのか本質がわかるまで諦めずに学習しなければ、応用になればなるほど通用しなくなる。

 しかし、わかっていても「できる」まで習熟しなければ、自分の力にすることはできない。「わかる」は脳のシナプスとニューロンの配線が繋がる瞬間で、「できる」は脳の思考回路を反復して習慣化することにほかならない。潜在意識にまで落とし込むように、条件反射的に解決できるように、繰り返し繰り返し練習する。

 ただ、そのために無理やり強制的に練習させすぎると、イヤイヤやることになって逆効果になりやすい。間違えたことを厳しく否定する注意ばかり与え続けると、行動を起こす前に恐怖心で固まってしまう。この恐怖心は脳の扁桃体が司っていると言われているが、オキシトシンという脳内物質が、この扁桃体の活性を抑える働きを持つことが研究でわかっているそうだ。そしてオキシトシンは、人から思いやりをかけられたり愛情を感じたりした時に分泌されることも明らかになっている。

 挑戦する勇気を与えるために、ぜひ夏休みの間、お子様に愛情を注いでほしい。成果を誉めるだけでなく、失敗したときも、その挑戦自体を認めてあげてほしい。

 そして一番重要なことは行動。わかっているだけ知っているだけでなく、その通りにできることが大切。子供の欠点を指摘するだけなら容易い。その前にまず大人が手本となるように、勉強、すなわち新しいことへの挑戦の姿をみせよう。

※この内容は2013/08塾だよりに掲載したものです。
 「わかる」と「できる」についてである。これはたびたび取り上げるテーマだ。
 小中学校の勉強では、昔から目立つのは周知の事実。高校の参考書も、その傾向は強い。比較的最近、大学の教養課程レベルのいくつかの数学分野で、複数の参考書を見る機会があった。「わかり易い」という意味の副題が派手についた最近の流行りものらしいが、計算テクニックだけに終始していて、ハウツー本のようで驚いた。また理工系の資格試験などに必要となる物理分野の参考書を見たときにも、公式の使い方に終始していて、これでは暗記して計算だけできても、意味するところは理解できないはずで、そんな資格で安全なのだろうかいう感想を抱いた。だが、このような本の購入者は「難しい」理屈はいいから、とにかく点数だけ取りたいと考えるのだろう。
 教育、とくに民間教育では、目の前の結果を優先し過ぎて、効率よく「できる」方法論を選んでしまいがちだ。だが、本質的な「理解」を伴わない手順の反復学習は、いわゆる「型」の単なる詰め込みになり、応用が利かない。さらに自ら考える力を生み出す力になりにくい。
 一方、「わかる」ことを教えることは難しい。考えることや理解することが必要なものは、単純に教え込めば「わかる」わけではない。頭ごなしに正解を教えられ続けることは、なぞなぞの答えを丸暗記させられている状態と同じだろう。
 そこで、いわゆる「探求型」の学習を、となるのだが、これも非常に難しい。方法論を持たずに、なんでも体験だ試行だと、習うより慣れろの教育論も、効果の再現性という点で大きな問題がある。自由に考えろと本人任せにすると、興味のまま思考も散逸してしまい、何かを「わかる」ところまで、解決するところまでたどりつけずに終わることが大多数となるだろう。テーマだけ与えただけでは、自ら深く探求することはできない。できるための、基礎の知識や一定の「考える型」は必要なのだ。
 自ら考え「わかる」ことを、引き出すことは、とても難しい。
だからこそ、挑戦し続け、教育の方法論にまで高めることを努力していかなければならないと考える。
 原題は、知行合一。行動も実践していかなければならない。

[巻頭言2013/07より] 逆境との遭遇

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年07月号)

逆境との遭遇

 いよいよ夏期講習が近づいてきた。受験生にとっては天王山!!

 つい目の前の得点や結果に目を奪われると本質を見失う。どうやって得点を上げるか、成績をよくするやり方は何かと、成果を出す方法論ばかりを見ていてはいけない。得点や成績は結果であり、その結果を生み出す本当の原因、真因を見つめてみよう。

 結果を出す方法はただ一つ、ゴールから逆算した適切な行動計画を実行し続けることしかない。その行動を維持するには、心、すなわち精神力を鍛えなければならない。では、心はどうやって鍛えられるのか。心を磨くには、逆境を乗り越える経験をすることが必要であろう。簡単にたどり着くような整地された道を歩いているだけでは、決して心は成長しない。心にとって少し大変だと思うことを与えなければ磨くことはできないはずだ。

 ただし、挑戦する前から無理だ、できないと諦める気持ちがあってはいけない。それでは成長する前に、簡単に挫折する道を選択してしまうことになる。一度諦めるとそれが習慣化する。

 諦めない気持ちを育てるには、やればできるという乗り越える体験が必要だ。そのためには物理的な、難しいけれど乗り越えられると思えるぎりぎりの階段をうまく用意すること。そして、何より一番大切なことはその経験のスピードを限りなく早くしてたくさん繰り返すこと。実はこの夏期講習の目標の一つがそこにある。

 どんなに苦しく感じるときも、毎日、休まずに通塾することが一番大切。一度塾に来てしまえば何とか乗り越えられるように工夫してある。まずは休まず塾に来ること。保護者の皆様のご理解とご協力をお願いしたい。

 乗り越えるための「逆境」、ただ今、鋭意準備中です。

※この内容は2013/07塾だよりに掲載したものです。
 私たちの塾は、ときどき誤解を受けることがある。高校入試直前期の塾生たちが勉強に集中する姿から、イメージだけによって、勉強をやらされている、詰め込まれているのではとの誤解だ。そのイメージは、私たちの塾との実際とは全く異なる。
 いわゆる管理教育とは、まったく相反する考え方である。勉強の面白さを伝え、自分から自然に取り組み、それがわかって、できたという達成体験により、自発的、能動的に困難に立ち向かう気持ちを引き出す。小さい学年から、丁寧にトレーニングを組み立てている。どちらかというと、点数を取る詰め込みの量のトレーニングではなく、心のトレーニング。
 ただ、巻頭言本文だけ読むと、初めから安全なルートだけが用意されているように少々誤解されるかもしれない。このようなトレーニングは、一人ひとりがこれは困難かもと思うようなものをチャレンジするのでなければ効果がない。それは仕組みだけでは可能にはならない。易き道に心が逸れることなく、挑戦し続ける気持ちを引き出すためには、同時にメンタルのサポートも欠かせないからだ。
 このような考えによる指導によって入試時期になると、驚異的な集中力を発揮する。その姿がスパルタなものを連想することからの誤解だろう。やらされている行動と自分からやりたいと思っての行動とでは、次元が異なる力を持つ。見かけは似ているが、いわゆるスパルタによって頑張らされているのと、自らの意志で頑張り続けることとは、まったく違うものだ。
 そして、その心を順調に育てていけば、大学受験では、「物理的」に手を貸すような場面はほとんどなくなるはずである。スポーツの世界で言えば、必要なのは技術コーチではなくメンタルコーチということだろう。
 そのような指導で、多様な一人ひとりの生徒たちを育てるには、膨大な手間と時間がかかる。だが、それを諦めずに続けていきたい。

 写真は、同じ号に載っていた、救命救急の訓練の様子です。消防署の方たちに指導していただきました。

 こちらは安全過ぎるに越したことはないはずと信じている。
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[巻頭言2022/09より] 「無知の知」の「知」

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年09月号)

「無知の知」の「知」

「無知の知」はソクラテスが残した言葉としてご存じであろう。「自分に知識がないと知っている者は、それを知らないものより賢い」という意味で言ったと伝えられている。「不知の自覚」とも訳されるそうだ。
メタ認知について調べている中で、たいへん興味深い研究(理化学研究所脳神経科学研究センター思考・実行機能研究チーム宮本健太郎チームリーダー、脳機能動態学連携研究チーム節家理恵子研究員、高次認知機能動態研究チーム宮下保司チームリーダーによる2022/03の論文)を見つけた。
メタ認知とは、自身の思考や知覚などの「認知」自体を「認知」することである。この能力が高度な学習の効果を高めることに影響していると言われている。
研究では、ある事柄を知っているか、知らないかの判断の脳の働き(マカクザルのfMRIデータ)を分析した。既に、記憶のために働く場所(視覚野と新しい記憶処理回路)とそれを監視する場所(前頭葉第6野)に対して、記憶している(海馬と長期記憶処理回路)かを監視する場所(第9野)が異なること(2017)、さらに知らないということを知覚する場所(前頭極第10野、海馬と強く同期)が異なること(2018)を発見していたが、今回その両者を、後部頭頂葉で融合統合し、確信度や内省を生み出すことを見つけたという。
つまり「知の知」と「無知の知」は脳の働くシステムが異なり、統合するシステムが別にあるというのだ。知のメタ認知が脳最前部外側にあることは知っていたが、統合は脳の後ろ寄りということに驚いた。十年以上前、脳科学者の篠原菊紀さんと、閃くために脳の前から後ろへ意識を移動するための方法について議論した(と自慢するほどではないが)ことがあったが、有効な考え方なのかもしれない。
現在のAIは、試行が多数必要な判断は飛躍的に難しくなる(次元の呪い)ため、少ない試行から推論できる人間の脳システムの研究が進められている。その知見を活かし、学習効果を高める応用を、実践を通して取り組んでいきたいと思う。

※この内容は2022/09塾だよりに掲載したものです。
この塾だよりの「巻頭言」は、文字数に限りがあり、言葉足らずでわかりにくいこと、言を尽くせないことが少なくない。単に、言葉数を増やせばわかりやすくなるかというと、そうとも言えないだろうが、まず、補足しておこう。
「あることがら」を最も原始的に記憶する「知」のメカニズム(視覚野と新しい記憶処理回路)と、その働きを監視する(階層化され脳の外側にある)メタ認知のメカニズム(前頭葉第6野)がある。さらに、その原始的な「知」を長期的記憶にするためのメカニズム (海馬と長期記憶処理回路)があることまでは、ご存じの方も少なくないであろう。ここまでを併せて、ひとまず「知」のシステムとでも呼ぼう。
その「知」が、過去にあったか、今もあるかを記憶する(さらに階層化された)メタ認知メカニズム(前頭葉第9野)がある。例えば「これは前に見たことがある」や「名前を知っているはずだが思い出せない」というようなことは誰しも経験があるだろう。「知っている」ことを知っているということ。これを「知の知」と呼ぶことにする。
ところが、それでだけでなく、「知らない」ということを知覚するメタ認知メカニズム(前頭極第10野)が、場所(階層)の異なるところにある。これは「知らない」モノと判断するシステム。まさに「無知の知」。
その「知の知」と「無知の知」を融合統合し判断する部分が、今度は単に階層が異なるだけでなく、大きく離れた、後部頭頂葉にあるというのだ。それより確信の度合いを判断したり、内省したりということができるらしい。
メタ認知が、現在のAIの壁である。AIはデータが複雑で大量になると、処理速度の壁に突き当たる。単なる量の増加ではなく、その要素項目が増える「次元」の増加によって、n倍ではなくn乗という幾何級数的な時間が必要となるからだ。
ヒトは、この次元の壁を、少ない試行の中で、閃きというような瞬間的な判断で突破していく。高度なメタ認知を活かした量を突破する判断が、ヒトができて、AIのできないことである。たが、現在の脳の研究の急速な積み重ねが、いつか、それを可能にしてしまうかもしれない。
その先のことは、あまり考えてみたくはないが、この「無知の知」の仕組みを「知」ることによって、「メタ認知」による考える力を伸ばすことが、時代を超えて重要であることは、改めて明らかになったと考える。
そのメタ認知を鍛えることを念頭にした教育方法を進化させ実践していきたい。
考える力は、時代を超えるはずだ。

[巻頭言2013/06より] 能力は現在進行形で見よう

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年06月号)

能力は現在進行形で見よう

 まず残念なご報告から。5月に東進衛星予備校の全国大会があった。今年も運営部門優秀校の表彰は受けたが、合格実績部門の表彰から漏れた。京大や医学部、早慶上智などではしっかり結果を出したものの、東大の実績が後退したのが響いた。

 しかしながらそれは結果。そこに至るプロセスの中に、明確な課題を見つけられなければ修正して進歩することはできない。そしてその課題を解決する具体的な行動ステップに分解して落とし込めるかどうか、それを継続して続けられるかどうかが、結果を変える力になる。すでにその課題は分析し、対策を具体化した。スタッフ全員でベクトルを共有して、実行している。

 このやり方自体は、受験生のみならず子供たちの課題克服に対しても同じだ。テストの成績はある時点での現状分析に過ぎない。その中から課題を明確に見つけ出し、それに対しての対策を具体的に立てて、その実行を一歩一歩継続し続ける以外に解決する方法はないはずだ。

 もう一度、保護者としての役割を思い起こしてほしい。けっして今の成績だけ見て子供を評価してはいけない。また子供自身も成績に一喜一憂させてはいけない。まず、今の良いところを認めることから始めよう。そして、子供自身に次はどんな点数を取りたいかを描かせる。どこまで前進したいかという本人自身の気持ちを引き出すことが大切。最後に、それを具体的な行動に分解することを自分で考えさせること、未来を自分で描かせることがポイントだ。そのためには、親は子供の能力を現在進行形で見よう。必ず素晴らしい成長をすると信じる心が、肯定のメッセージを生み出し、その言葉が、本人のやる気を生み出す。

 いよいよ高校部東進衛星予備校五井駅前校を開校します。まだまだ道半ばも至りません。これからも皆様のご期待に応えるように一歩一歩努力します。
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※この内容は2013/06塾だよりに掲載したものです。
 高校部東進衛星予備校五井駅前校の開校のときである。
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 東進衛星予備校の運営ノウハウも、年数が繰り返され始めて、さらに大網白里校で3校体制となり、改善のスピードがどんどん加速してきた時期だ。いわゆるPDCAループ。組織的に取り組むことで、経営品質を一定以上の水準を保ちレベルアップすることが素早く進み進化する。
 そして、さらに次なる挑戦へと、五井駅前校を開校し、ユーカリが丘校、おゆみ野駅前校と開校を続けていくスタートになった。
ちょうど、今年、新規開校を行う状況と似ている。しばらくは、厳しい環境になるかもしれないが、その試練を乗り越えて、次へ進むつもりである。
 受験生が試練を乗り越えて成長するように、私たちの能力も未来進行形で捉えて、さらなる高い経営品質を目指します。

premium高校部東進衛星予備校鎌取駅南口校2号館いよいよ開校!

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10月1日、いよいよpremium高校部東進衛星予備校鎌取駅南口校の2号館が開校します!

本館と並びになり、移動も簡単になります。
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ただいま直前の最後の準備中。
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最新設備の快適な校舎で、勉強を!

なお、向かい側の分室は、3Fは移転となり2Fはそのままです。
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[巻頭言2013/05より] ブラスのメッセージ

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年05月号)

プラスのメッセージ

 別ページ報告の通り、難関中学高校受験研究会Special Programを開催した(今年もたくさんの保護者の皆様にご参加いただきありがとうございました)。その中の入試報告の部分を見ていて、改めて思ったのだが、今年の卒業生たちはとてもよく頑張って成果を掴んでくれた。全体の合格者数の数字だけ見ているだけではあまり気づかないが、ひとり一人の進学結果、誰がどこに進学したかを見ていくと、よくわかる。とくに公立高校入試の実質不合格者数の少なさには、リハーサルの時点で、スタッフ一同唸った。これから難関大学受験研究会で報告する大学受験も合格者数だけ見ると去年ほど目立たないが、頑張ってくれたという点は同じである。

 しかし、私たちとしては、それに甘えてはいけない。まだまだもっと成果に繋げることができた要素はたくさんある。現状分析から目を逸らせてはいけない。自分たちにとって都合の悪いことも、きちんと正視することで、はじめて前進する糸口を、自らの手で見つけ出すことができるのだ。

 これは子供たちにとっても、全く同様である。うまくいかないとき、失敗したときこそ本当は大きなチャンスなのだ。悪かったところを逃げずに見ることができれば、自分で解決する方法に気づき行動に移すチャンスが生まれる。だが、その悪いところを素直に認めることこそ一番の難関。それは自己否定に繋がるからだ。本能的に回避してしまう。そしてまた同じような失敗を繰り返してしまう。
だからこそ、保護者が自己肯定感を強める役割が大切になる。自己肯定感が強ければ、自信を持って客観的に自分のマイナスを見つめられるようになる。どんなときでも、親からの肯定的なプラスのメッセージを積極的に伝えてほしいと願う。

 6月に高校部4校目の校舎、五井駅前校を開校します。前進すべき課題がたくさんあるが、一歩ずつ皆様のご期待に応えるように努力します。ご期待ください。

※この内容は2013/05塾だよりに掲載したものです。
 子供たちは「心の成長」によって大きな成果を生む。ただし、成長の過程での短期的成果に目を奪われると、長期的成果、もっと先の人生の大切なものを失うかもしれないことを、受験の指導者は心得て取り組まなければならないだろう。
 冒頭に出てくる難関中学高校受験研究会は、コロナ禍で形態を変えながら続けているが、数年前まで大ホールで、保護者のための講演会も組み込んで開催していたことは何度か触れた。毎年、さまざまな分野の専門家から、子育てに参考になる話をお聞きする会。この年は、小児科医であり、ベストセラー「子育てハッピーアドバイス」シリーズの著者である明橋大二先生をお招きして、お話をお聴きした。子供の自己肯定感の重要性と、それを高めるため具体的な声のかけ方の例を挙げながらの楽しいお話に、たくさんの参加された保護者の皆さまにご満足いただけた。
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 思春期・反抗期の子供は、声のかけ方の、ほんのわずかな違いで、大きく異なる反応をする。「売り言葉に買い言葉」がきっかけとなり、今まで思っていなかった考えを生み出し、口に出したことで引っ込みがつかず定着させ、道を大きく踏みはずすことにつながるかもしれない。やり直しはできないこともたくさんある。
ほとんどの親は、親の「プロ」ではない。子供の存在によって「親」となり、親として成長するチャンスをもらっている。子供を 正しく成長させるには、親としての成長が必要となる。
世の中の親たちは、その大切な役割を、日々試行錯誤し悩みながら頑張っている。
 少しでも、そのお役に立てるようにサポートしていきます。

[巻頭言2022/08より] 不易と流行

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年08月号)

不易と流行

 先日、ある学習塾全国団体から、大変立派な感謝状をいただいた。表彰状には、素晴らしい文面の表彰理由が書かれていたが、その実態は、単に長く会員であったということに対する表彰なので、自慢できるようなものではない。まあ、記憶のためにと思い、知り合い以外には非公開のSNSに祝辞無用と念押しして、何気なく写真をアップしたら、そこそこのおめでとうの言葉をいただいてしまった。意に反して、少々得意げな公開となってしまったかと後から汗顔の至り。

 もちろん、そこまでだけなら、ここに取り上げることではないが、いただいた言葉を読みながら、改めて思い直す。40年を超えて長く続けているということだけでも、意味のあることなのかもしれない。その間に、中小塾、個人塾の多くは淘汰され、塾長の高齢化で廃業になった。大手塾も栄枯盛衰が激しく、昔の有名塾のかなりの数が消えていき、また看板は残っても買収され、人や中身は全く別のものになったところも少なくない。そして世の中からは忘却の彼方へ。

 民間教育に限らずどんな業種、仕事でも、時代を超えても変わらない志を追求し続けながら、時代の変化に適応して存続するだけでも難しい。その盛衰を決めるのは、周りの社会からの評価である。一個人だけなら、それでも体力気力が続く限りは可能かもしれないが、組織化して人の思いを集めながら、存続だけでなく、成長し続けることは、一般的に、非常に困難だということだろう。

 思い返すと、私たちは単調に成長してきたわけではない。少し前との比較だけでも進化し続けてきた。昔と比べたら大きな違い。当時は想像もできなかった多くのことが、挑戦し続けた結果、今はできるようになった。だが、先は遠い。本質的な教育の目指すものを変えずに追求しながら、まだまだ革新への挑戦を忘れないように進むつもりである。年初の目標「不易と流行」へ後半も頑張ります。

※この内容は2022/08塾だよりに掲載したものです。

 「継続は力なり」という。
 しかし、ただ続ける「だけ」でよいと勘違いしてはいけない。常にパーフェクトを目指し、進化し続けなければ、時代の変化に適応できず、継続して存続し続けることはできないだろう。
限界を決めているのは自分の心、ともいう。諦めずに挑戦し続ければ、道は拓けるということだ。このくらいだろうと考えてしまうことで、そこが限界となってしまう。勉強でも仕事でも、人間の営みすべてに共通することだろう。
 この「継続は力なり」という言葉は、児童文学者の久留島武彦という方の言葉だそうだ。アメリカで「考えは力なり」という言葉、「考えは、ダメだと思ったらダメなことばかり、なんとかなると思えば、なんとかなることを教えてくれる。考えは自分が作る」という考えに出合い、さらに、どんなに良い考えを持っていても継続しない考えは役に立たないと考えて、座右の銘にしたのが始まりだという。
 つまり、ただの継続ではないのだ。まずよい考えを持つこと。それに向けての努力を続けること。
 そんな思いを新たにした。

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[巻頭言2013/04より] ちょっと背中を押す

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年04月号)

ちょっと背中を押す

 塾では3月から新年度が始まり、続いて春期講習中である。学校でも、この4月、いよいよ新入学、または新しい学年に進級するときだ。

 新しいスタートは、ワクワクする。と同時にドキドキする不安な気持ちも強くなる。どんな未知への挑戦も、高鳴る高揚とともに必ず躊躇する気持ちが生まれる。怖がることはいけないのかというとそうではない。何物も恐れない行動は、勇気ではなく粗野な行動、すなわち蛮行なのだそうだ。真の勇気は、恐怖の感情を理性でコントロールして行動することから生まれる。

 未知の問題にチャレンジするときもよく似ている。後先考えずにでたらめに試行するだけでは正解にたどり着く可能性はとても低い。そして、いつまでもゴールできない疲弊感から、やり続けることができず、行動自体を停止してしまう。ただ運に頼るだけの姿勢では、運も呼び込めないのだ。

 だからといって最初から正解を求めすぎてもいけない。得点をとることにとらわれすぎた生徒ほど、いきなり正解だけを得ようとして、試行する行動がスタートできない。過程での間違えを恐れすぎては、挑戦する気持ちも芽生えない。そして、解けなければ、解き方だけ覚えて、その場だけ解決するようになってしまう。

 知能の高い子ほど後者になりがちであることに注意しなければならない。行動する前に悪い結果を予想してしまい行動を始めることができなくなりがちなのだ。

 そんなときは、横にいる大人が、過程の失敗をよいと認めてプラスの感情に変え、挑戦したこと自体を誉めてほしい。子供がちょっと不安になって振り返ったとき、親が笑顔で大丈夫とちょっとだけ背中を押すことが、次の前進への勇気を生む。

※この内容は2013/04塾だよりに掲載したものです。
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 同じ号の記事に掲載されていた写真である。
 社員合宿の写真。社員が3名しかいなかった時代から、20数年続く行事。当初から社内の研修や教育機関見学などと同時に、他塾の校舎を見学し、そこの取り組みの話を聴くものをセットにして実施してきた。コロナ禍でここ3年は中止。それ以前数年は、塾の成長とともに社員の数が増えて、受け入れ先としてお願いできる他社を準備できなくなり、社内研修のみのスタイルに変更せざる得ないことになった。
 貸し切りバスなどでの近県他塾訪問が多く、新幹線で移動したことも2回ほどあった。
 他社を見学することで学ぶことは、非常にたくさんある。現場でなければ気づけないものは少なくない。
 このような外から学ぶときには大切な姿勢が二つある。ひとつは、自分たちと異なる視点のものを見つけなければならないこと。意識しなければ、どうしても自分たちが「良い」と思う考えと「同じもの」を見つけて、やっぱりね、と安易な「肯定」をしてしまう。また自分たちの考えとは「違うもの」に対して「違う」と短絡的に「否定」する。このような姿勢では、改革や進歩を生み出さない。脳は、意図的に圧力を加えないと、同じ繰り返しの省エネを選択するのだ。
 第二は、本質を考えること。他でうまくいっていることを、そのまま丸ごと真似して取り込もうとしても、ほとんどはうまくいかない。その本質的なカギとなっている原理自体がどこにあるかをきちんと見極めて、そこから私たちならどうするべきかという考えで新しく組み立てていかなければ、成果の上がるものには発展しない。
そのような考え方で、取り組んできた。常に新しい視点で仕事を見つめ続けていなければ、停滞し陳腐化し衰退する。
 外からを刺激として、内から新しい発想が生み出す。
 学びとは、要領よく真似して答えを覚えることではなく、本質を自ら考え、理解し、それを応用し成果を上げるまで努力し続けることであろう。
 学ぶのは、塾生たちが主役であるが、その前にスタッフたちが主役として学ぶことから始まる。
 コロナ禍で、人と人との交流が簡単ではなくなっている現在こそ、意識的に取り組んでいこう。

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(例年、春の恒例行事。写真はこのときに見学した満開だった上智大学名物の土手の桜並木)
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