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[巻頭言2023/05より] 向学の志

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年06月号)

向学の志

 学士会館にて民間教育大賞受賞式に参列し、高齢で本人欠席のため受賞者挨拶を代読してきた。この栄誉は、塾生たちの頑張りと、保護者の皆様のご理解ご協力で、塾が長い間かけて発展してきたおかけです。ありがとうございます。

 さて、奇しくも「帝国(東京)大学発祥の地」の学士会館での受賞、こんなときしか機会がないので、父の話も書いておく(少々自慢話臭いですがお付き合いを)。

 亡父郁夫は旧制の学校制度での京都帝国大学の学生のときに、学徒出陣となり、満州の厳しい戦地で従軍した。ソ連に追われながらなんとか復員。戦後の混乱期に父親を亡くし苦労した上で、のちに復学し卒業した。清水家は徳島市の隣町で元禄年間から過去帳が残る名字帯刀を許された医者の家系と聞く。墓のある山から見渡す限りの田園地帯一帯は清水家の土地という大地主の長男だった父、子供の頃から学問が好きで、祖母にそんなに勉強すると身体を壊すと叱られていたと言う。戦後の農地改革ですべての財産を失い、子供の頃からの夢だった学者の道を諦め、京大卒業後、会社員に転じる。家族の生活を守るために仕事を続け、大手生保本社から、のちに得意の語学(本人曰く5か国語できる=英語、独語、仏語、露語、関西弁)を活かし外資系に転じて定年、塾でも英語の指導で手伝ってくれていた。そんな忙しい仕事の中、「文武両道」と一念発起、合気道を習い始める。遅く(私が幼児だった頃)始めたハンディを努力で乗り越え晩年には7段まで授かり、亡くなる直前まで、全(オール)三菱合気道部創設者、京大合気道部名誉部長として後輩の指導を続けた。学問の道も晩年まで諦めず、書斎の1万冊を遥かに超える蔵書の山に囲まれ、フランス文学の研究を続けた。

時代の運命で自由に夢を追い求めらずとも「向学の志」を持ち続けた。今は努力で自由になる時代、「向学かつ好学」を塾生たちへ受け継いで行かせたい。
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※この内容は2023/04塾だよりに掲載したものです。

(この話は前回の続きです。また表彰式後にも書いていて、繰り返しになるので、以下のリンクをご参照ください。)

https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=660

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