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論理コロナ論考

こんにちは。おゆみ野駅前校の渡邉です。

「コロナに負けない!」「コロナに勝つ!」と、目にする機会が増えました。
もちろん、感染症対策は国民一人ひとりの意識と実践が極めて重要です。
私たちも、万全を期して日々の業務に当たっています。
本投稿が、決してその点に疑義を唱えるものではないことは、予めご了承ください。

しかし、特に思想や言語などに興味がある皆さんには是非考えていただきたい内容です。
つまり、「コロナに負けない」あるい「コロナに勝つ」とは、一体どういうことでしょうか。
もしコロナに負けることが人類種の断絶だとすれば、その可能性は現状極めて低そうです。
声高に主張せずとも、いずれは得られる結果に思われます。
では、いったいそのような言明の意図と、その背景には何があるのでしょうか。

まずは「負ける」という言葉について考えてみましょう。議論の前には、語の定義が必要です。
「負ける」あるいはその対極たる「勝つ」には、大きく2種類の用法があると言えそうです。

一つには、スポーツやゲームにおいて、予め条件が定められた上での結果です。
客観的な結果としての「負け」。違いが分かりやすいように、こちらは「敗北」と呼ぶことにします。
もう一方は、明確ではないものの概ねの合意によって形成されるものです。
あまり良い表現ではありませんが、「勝ち組」「負け組」といった表現が代表的です。
何かしらの基準があるわけではなく、全員が合意する必要もない、多数少数の決をとっているわけでもない。
そのテーマに参加する人の無言の合意による、という点で特徴付けられそうです。
こちらは引き続き、「負け」を呼ぶことにしましょう。

さて、今回の文脈は「コロナに敗北しない」か「コロナに負けない」のどちらがより適切でしょうか。
もちろん後者ですね。少しずつ様子が見えてきました。
それでは、いよいよ本題です。
このテーマに参加しているのは日本国民全体です。
「コロナに負けない」「コロナに勝つ」ということを、いったいどう想定しているのでしょうか。

これには、どちらがより頻度高く使用されているかという点が示唆的です。
個々人の日々触れる情報源にもよると思いますが、ここでは検索エンジンを利用してみましょう。
2020/5/1 googleにて
「コロナに勝つ」  約 20,000,000 件
「コロナに負けない」約 88,400,000 件
後者に軍配が上がりました。
「勝つ」よりも「負けない」と表現している人が多いようですね。
この結果を考慮しながら「負けない」と「勝ち」の差異を考える必要がありそうです。

さてさて、議論はまだまだここからですが、一旦筆を置かせていただきます。
出発点は共有できたかと思いますので、皆さんも是非考えてみてください。
機会があれば、続きはいずれ。

最後に、あえて申し上げておきたいと思います。
どのような定義とするにせよ、生徒の皆さんは決して「コロナに負けない」と信じています。

(おゆみ野駅前校 渡邉)