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[巻頭言2008/12より] フィードバック。

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2008年12月号)

フィードバック。

先日、教育コーチング認定の更新研修を受講した。教務スタッフの認定グレードによって差はあるが、事前の課題レポートに加え、朝から7時間近くの実践セッションを中心にした研修だった。その研修の際、スタッフたちは、研究をより実りあるものとするために、協会の研修官に対して、さまざまな疑問をぶつけ、最後には研修そのものへのいろいろな提案をしながら進める形となった。あとで研修官に聞くと、今までにこのような積極的な形での研修をやったことがないとのこと。すべてものごとに対する真剣で前向きな態度と期待の表れ、スタッフたちを大変心強く思った。

 翻って考えてみると、保護者の皆様から、イベントアンケートや電話相談で、塾やイベントの運営に対して、貴重なご意見、ご提案をたくさんいただいている。さらには耳の痛いお叱りを頂戴することもある。しかし、それもすべては私たちに対する期待からくるお言葉である。大変ありがたいことだ。

 そう考えていくと、子供たちに対しても、教えるために怒る叱るではなく、本人が気づき進歩するためのフィードバックを返してやることはとても大切だ。フィードバックは、評価を一切排して、そのままを端的に返すのがよい。

 ただ単に、今の状態はこうなってるよと、本人に知らせる鏡のような役割だけでよい。ぜひ保護者の皆様の積極的な取り組みを期待しています。

※この内容は2021/06塾だよりに掲載したものです。
 塾は、ただ勉強の内容だけを指導するのでは、得られる成果は多くはない。
 昔は、ただ授業を垂れ流すだけの、いわゆるマンモス予備校が少なくなく、「お客さん」と呼ばれる、受け身でただ聞いているだけの生徒たちがたくさんいたはずだ。また大きな教室に生徒を大量に集めていた昔の塾も同じだったかもしれない。
 だが、徐々にそれでは成果が上がらないことが、生徒や保護者にもわかるようになり、顧客満足を提供できないところは淘汰されてきた(と信じたい)。
 私たちは、かなり昔から、指導するのは内容だけでないという本質を正しく理解して、生徒たちのやる気を引き出し、さらに自らやる気を創りだせるように成長させるメソッドに拘ってきた。このずいぶん昔の巻頭言でも、今も変わらない生徒を成長させるカギとなる考え方に触れている。

 この本質は、不変のもののはず。これからも、さらに進化させ続けていきます。

[巻頭言2008/11より] 30周年、ありがとうございました。

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2008年11月号)

30周年、ありがとうございました。

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 誉田進学塾は、今年10月、創立満30周年を迎えました。ここまで発展できたのは、地域の皆様、保護者の皆様のご理解とご協力、そしてなにより卒業生たちひとり一人の努力の成果のおかげです。ありがとうございました。

 30周年ということで、卒業生のみんなから近況報告をいただいている。へぇあの子がね、というよい意味での驚きの報告も少なくない。勉強に、学生生活にと活躍、そして社会に出てからも大活躍していてとてもうれしい。

 一方、高校部で生徒たちと話しているといろいろなことに気づく。高校部では、誉田進学塾出身でない生徒も通っている。その子たちと話してみると、今やっている勉強と、自分の未来がどうつながっているのか全く理解していない生徒がいる。勉強は大学受験のために我慢してやらなくてはいけないものととらえている。自分自身を鍛えることが自分の未来を輝かすもの、そして今を充実させるもの。新たなものに出会い、それを理解すること自体が素晴らしいものであること。それを伝えるのは先に生まれた人の役目といえる。

 スタッフ一同、新たな気持ちで、次のステップに進む決意である。
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※この内容は2008/11塾だよりに掲載したものです。
 創立30周年のときのものだ。このときは、卒業生たちが教室に集まれるイベントも開催し、懐かしい顔に再会したり近況報告を貰ったりした。
 その記事に写真も掲載されているが、改めて眺めると、卒業生として顔を見せてくれていた中に、現在、教務として活躍してくれている当時学生の2人が(別々に)写っていた。また別の記事では、公開模試Vもぎ全県1位を達成として写真掲載されている生徒も、今ではうちの教務として頑張ってくれている。
 こうして、歴史が積み重なっていくことで、私たちの目指す教育の志が受け継がれ、濃縮されていくことを改めて意識した。
 日頃、過ぎた過去を振り返る習慣がないが、たまには思い起こして決意を新たにするのも悪くない。

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[巻頭言2021/06より] 入試があるから?

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2021年06月号)

入試があるから?

 四国の塾・予備校はどこも大変なのだそうだ。と言ってもコロナの影響ではない。

 うちの塾は同業(異業種もだが)他社に広く門戸を開いて交流しているせいか、もともと各地の塾との付き合いが広い。コロナ禍で、あちこちと情報交換をしていて聞いた地方地域の教育事情、とくにその代表として四国の話を例に挙げたい。

 四国では、少子化の進行速度が上がっているそうだ。出生率減に加え人口減のダブル効果。対する公立高校再編が的確にできなかったせいか、入試倍率が低く競争が成り立たない。ある地域ではトップ校でも不合格は一桁、別の県のあるトップ校では定員160人に対して受験者150名。そのため受験勉強しなくてもなんとかなるという雰囲気が広まり通塾率も低下しているらしい。大学受験も同じ感覚で捉えて塾予備校に通う時期も遅く当然全国レベルでは通用しない。受験期に初めて現実に気づくが既に手遅れ、地元国公立大に受かる少数の生徒はよいが、たいていは地元の地方私大進学となるのだそうだ。あおりで四国の塾はどこも業績不振らしい。

 千葉県は早い段階で公立高校を再編したが、その後の変革が遅れ、今春、郡部の大半や都市部上位校以外の公立高校の多数が定員割れとなった。他人事ではない。

 だが、「入試があるから」「競争があるから」勉強する、でよいのだろうか。

 また、他塾経営者と話していると「受験のために我慢して勉強を乗り越える」とよく聞かされるが、その言い方には大きな違和感がある。もちろん達成のために努力することも価値があり、否定するわけではない。しかしそもそも「学ぶこと」は根源的に「楽しい」ことではないのか。未知のことが氷解する瞬間、できなかったことが、できるようになる達成の瞬間自体に、大きな喜びとやりがいがあるはずだ。

 学ぶことは無意味な難行苦行ではないはずだ。学ぶことに楽しく向かう子供たちを育てたいと願う。そう感じる生徒ほど人生の最後まで学び続けるに違いない。

※この内容は2021/06塾だよりに掲載したものです。
 少々舌足らずで、毎回だが、言いたいことがきちんと伝わるように書けていない。反省。
 この巻頭言はスペースの関係で字数に制限があり、ギリギリに内容を煮詰めて書いている。このブログでのバックナンバー再掲載の通り、近年は少しだけ字数も増えたが、もちろんまだ足りない。

 さて、一番お伝えしたかったこと、それは「受験のために」に「勉強」があるわけではないということ。受験のニーズがなくなったら、塾の経営は大変だということではありません(苦笑)。
 私たちの塾は、未知のものがわかる瞬間の感動とともに、知的好奇心豊かな子供を育て、どこまでも学ぶことを辞めない、知的に挑戦し続ける大人になってほしいと、日々挑戦しているつもりだ。学ぶことが好きになり、やり遂げる喜びを知って勉強すれば、成績や受験という短期的な結果は当然ついてくるはずである。どこまでも知的な根源的原動力で学び続け、解決するまで努力し諦めない人を育てることこそ長期的成果。
 少子化で、難関校以外は厳しい受験の競争が薄れてきたため、近年では「もう勉強は懲り懲りだ」と、いわゆる入学試験を受けずに楽をして大学生になるルートを選ぶ高校生も少なくない。
 一番重要なことは、本人の成長。受験を通して、自らの力で未来を切り拓くことができるよう成長することを目指し続けたい。
 保護者の皆さまがお子様に「受験がなくなったら、勉強しなくてよいの?」と、問いかけたとき、「勉強するのは楽しいから」と即答するような子に育ててほしいと願う。

 頑張ります。

2021合格者のことば

2021年版「合格者のことば桜咲く版」を公開しています。
http://www.jasmec.co.jp/gokaku/goukakusya.htm

あとに続く後輩たちに向けて書いてくれたメッセージより抜粋したものです。

ぜひ、ご覧ください。

[巻頭言2008/10より] 結果を分けるもの

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2008年10月号)

結果を分けるもの

 この夏の模擬試験の結果はどうだっただろうか。志望校判定を見て悲喜交々の時間を過ごしたかもしれない。もちろん模擬試験の結果は全てではない。その日そのときの出来に左右される部分も少なくない。偏差値の「発明者」桑田昭三さんの言葉を借りれば「試験の神様」が握っている点、その範囲を含めて見れば、やはり実力を表していることになるだろう。そして当然ながら、その結果を分けているのは、そのときまでの日頃の「行動」である。

 現在の成績だけを見て一喜一憂しているだけでは解決には繋がらない。「行動」のみが問題を解決する。まず現状を逃げずにしっかりと見つめて分析し、解決するために必要なものの優先順位を決めて、「行動」を起こすしかない。受験生にとって必要なことは、今、するべきことをすぐに実行すること。それがスムーズにできるようにするには保護者のサポートも欠かせない。

 受験生にとって重要な、難関高校受験研究会FPや受験面談の時期となる。保護者の皆様にも、十分に研究していただく予定です。

※この内容は2008/10塾だよりに掲載したものです。
 どんな分野でも、「優れた結果を残すために必要なことは、才能ではなく努力である」と考えている人ほど、諦めずにやり続け、結果を残すという事実がある。
 つまり勉強に努力する「行動」によって、偏差値の「結果」が変わるという因果関係が成り立つということで、これには異論はないだろう。偏差値は、その人の能力(才能に依存し不変のものと考えた場合の)を「評価」するものではなく、その途中経過の現在の能力(努力によって可変のものと考えた場合の)であり、これをみて現状の努力の有効性の度合いを測り、今後を改善するための「指標」に過ぎないはずだ。
 だが、この基本的な概念は、「数字が独り歩きしやすい」ためなのか、ときに正しく理解されず、誤解を受けやすい。「偏差値」は、誤解の被害者として悪者扱いされることが少なくなかった。1993年に起きた、脱偏差値、業者テスト禁止の騒ぎなどはその代表的できごと。「発明者」の桑田さんも、その不遇の扱いをなげいていらっしゃったようである。この稿を書くにあたって確認したら、5年前にお亡くなりになったようだ。業者テスト廃止騒動から少し経った頃だったか、所縁の業者テスト業者の方から、そのうち紹介しますよと、言われたままになっていたことを思い出す。お会いしてお聞きしたいことがたくさんあった。心残りである。改めてご冥福をお祈りするとともに、決意を新たにしよう。

 私たちが、正しく理解して、受験生たちが努力するための重要な「指標」として有効に使用することが、「偏差値」自身のためにもなるはず。
 偏差値を正しく活用して、受験生を指導し、応援していきます。

[巻頭言2008/09より] いよいよ実りの秋

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2008年09月号)

いよいよ実りの秋

 夏期講習が終了、いよいよその成果を発揮する秋、後期が始まる。

 受験生は、このあと模擬試験が次々とあり、その合格判定結果に一喜一憂するかもしれないが、模試とは、自分の現状を分析し、次までに克服すべき課題を具体化して、次の行動を起こすためのツールである。その機能を十分に活かして、勉強への努力が空回りすることなく、確実に実りのあるものとしてほしい。今後の道を切り拓くのは、本人の行動のみであるはずだ。

 そしていよいよ志望校選び。といっても受験生はなかなか時間をとれない。スクールフェアなどを活用して効率よく研究するしかない(併願校などの受験作戦は難高研FPや塾の面談にお任せください)。またシリウスの小4・小5のみなさんは今のうちに文化祭めぐりなどを十分にしておいてほしい。

 最後に中2・中1は、この時期は当面の目標がなく、脱線しやすい危険な時期となる。日頃の様子に目を配ること、そして「譲らない一線」をしつかり維持することが一番大切だ。細かいことばかりの言いすぎは禁物です。

※この内容は2008/09塾だよりに掲載したものです。
 まもなく夏期講習である。コロナ禍に対する対応に、長期的に意識を奪われ続けているうちに、早くも二巡目の夏を迎えようとしている。
 昨年は、最初の緊急事態前後の学校休校に対応する為に急遽、前半のカリキュラムを変則的にした影響で、夏期講習もカリキュラムと時間割を調整して最善を尽くした。今年は、まだ油断はできないものの、なんとか従来の枠組みに戻す形で乗り切れそうな見通しである。
 この夏が、素晴らしい「実りの秋」の準備の夏となることを願って、スタッフ一同、準備します。

[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その3]

(4つ下の「根岸英一博士の訃報に接して」からお読みください)

根岸博士のノーベル賞受賞記念公開講演を聞きました。

根岸博士のノーベル賞受賞記念講演を聞いた。

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会場は東大安田講堂。
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東大教授F君に先日会ったときに紹介されたので、参加した。

根岸先生のお話、中盤からは化学構造式などを交えての専門的な話で、有機化学がわからないと...??
だったが、理系出身なのでなんとか、だいたいどんなことを考えて研究されていたかは、掴めたつもり。
物理系出身ではあるが、昔、少しは有機化学を勉強していてよかった。もっとちゃんと勉強しておけばもっとよくわかったかもしれないが。

ご講演の中で印象深かった点を挙げよう。

最初のところで、ノーベル賞を受賞するとはとお話された。
10の7乗分の1くらいの可能性だと考えると宝くじより大変に見えるが、1/10のセレクションプロセスを7回通り抜けると考えると十分に可能性がある。すでに、3回くらいはパスしてところからスタートしている状態なら、あと4回。これなら十分チャンスがある。
なるほど、である。

続いて、研究で何を考えていたかを専門的なお話された。
そしてまとめで、人の研究や論文は、まず参考にする、だがそのままでは真似で二流以上にはなれない。
そこから先だ、と力強く話された。

最後に「これからをめざす若い人から質問を」に対して
Q:「もし人生をやり直すとしたら?」
A:「やっていくうちにうまくいく、こんな楽しいことはない、人の真似は楽しくない、発見で身体が震えた体験をする若い研究者もたくさんみた、そういうことをしながらお金も、そういうものはあまりない、スポーツ選手などもっともらえる人もいるかもしれないが、私はこの程度でも十分。好きな化学をもう一度やる」
そして、
「有機化学によって、エネルギー問題、環境問題、食糧問題を解決したい、遷移金属にはその可能性がまだまだある、今の自分では全部できないかもしれない。だからもう一度化学をやる」
「化学者のやるべきことはまだたくさんある」
と締めくくられました。

感動的で、こちらもちょっと涙ぐんでしまいました。

たくさんの勇気をいただきました。
研究内容の専門的な部分をお話されたときは、終始楽しくてしかたがないという様子で話されていたのがとても印象的でした。
素敵なときを過ごせた余韻を、キャンパスの綺麗に色づいた銀杏が見送ってくれました。
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時間がなくて会えなかったF君にも感謝!

[2010/12/01当ブログに掲載の記事]

[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その2]

受験勉強とは何か(その2)(続きです。その1からお読みください。)

受験勉強の本質の二番目は、自分自身の気持ちをコントロールする訓練であることだろう。

目的のために、自分自身で目標を設定し、行動し続けることで達成し成果を掴む。
目標を達成するには、行動し続けることが大切である。そのためには、習慣化が決め手となる。そしてその規律を保つことができるかが問われている。

自分の意思の力で、自分の感情をコントロールすることで、苦しいときもやり続け、結果を出すまで決してあきらめることなくやり続ける規律を保つ。
そのためのトレーニングの一つが受験勉強であると考えてみよう。
もちろん結果として成果を残すことも大切かもしれないが、たとえ、うまくいかずに苦しんだことであっても、大切な経験なのだ。思考錯誤しながら、プロセスを体験すること自体が貴重なのだ。そして若きの挫折は、決して無駄にはならない。

そう考えてみると、最近の現役志向には将来のためにならないケースも少なくない。自ら努力することなく、どこかに合格できればそれでよいでよいのだろうか。たとえ浪人してでも、目的のためならあきらめない精神力。もちろん、その意識が早く芽生えて結果として現役で合格するなら、それでよい。覚悟がないままの浪人では意味がないのだ。

しかし、受験戦争と批判を受けることが少なくない。確かに、膨大な単純記憶、知識を意味もなく暗号のように記憶することが受験勉強だとすれば、そのような単純記憶からは独創的な創造力は生まれない。そして、勉強が、難行苦行として、強いられていることは批判されるべきであろう。

だが、勉強の本質は、そのような知識の丸暗記ではないのだ。そして、我慢する試練の一種でもないのだ。

本来、知的な興味を持って、学び、未知の知識や考え方に出会い、その本質を理解した瞬間は、大きな知的な満足感が得られるものだ。人は誰でも「わかった」「できた」の瞬間は、感動する。
その達成体験をたくさんもつものほど、もっと知りたい、わかりたい、そしてできるようになりたいと願う気持ちも強くなる。知的好奇心にあふれ、わくわくどきどきする気持ちで学ぶはずなのだ。
そして、その気持ちは、勉強することでしか育たない。

「学ぶことは素敵なこと」なのだ。

[2010/10/17 当ブログに掲載の記事]

[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その1]

受験勉強とは何か(その1)

ノーベル化学賞を受賞した根岸英一パデュー大学特別教授は、受賞会見の冒頭で、「私は日本の悪名高い受験地獄の支持者だ」と発言したという。高度な研究になればなるほど「基本が大事になるから」、そしてそれは日本の教育で身につけたということらしい。

たしかに日本のノーベル賞受賞者は、有力な国立大学の出身者か、そこで研究で係わった人たちが占めている。
しかし世間ではよく、受験勉強では独創性は育たないとも言われることもある。

受験勉強の本質について、考えてみよう。

まず第一の側面。学力の基礎基本とは何か。

例えば、数学の問題について考えてみよう。大学入試に出題されるような微分積分の問題を考える。図を書いてそれを数式で表し極限を考えて解こうとする。その際に文字式や方程式の計算力は欠かせない。そしてもっと原始的な計算力、掛け算の九九などは無意識で、つまり潜在意識が処理することになる。

このように、思考するときの意識は何段階もの階層構造になっている。

同じように自転車に乗るときを思い浮かべてみよう。
自転車に乗るには、ハンドルのさばき方や、ブレーキ、ペダルをこぐ力と速さ、そして体のバランスなど、たくさんのことを同時にこなさなければならない。だが、サイクリングに出かけるときに、それを一つ一つ必死に考えているだろうか。
初めて補助輪をとって乗ったときなら「あっ、右右、ハンドルっ、ブレーキ、もっと右、バランスバランスっ」などとやっていたかもしれないが、上達するとそんなことは脳は考えていないはず。「次の角を右に曲がって、その先を左に」、道順は意識しているかもしれない。しかしサイクリングを楽しんでいるときは、それすら潜在意識でコントロールして、周りの景色や、顔に当たる風の心地よさなどに意識がいっているのではないだろうか。

原始的な思考を観察している、より上位の思考をする自分が存在する。このようなメタ構造で脳が働いている。脳科学の研究によれば、ワーキングメモリという脳の使い方を鍛えることで脳の能力が増すという。
そして、独創的な閃きは、下位の階層から自由に離れることができなければ、生まれないのではないだろうか。

受験勉強は、基礎基本を潜在意識に到達させる訓練になる。初めは大変なときもあるが、練習すればより簡単に落とし込めるようにもなる。受験勉強は、その脳の基礎的なトレーニングを集中して鍛える大切なチャンスであるのだ。

そして、より高度な脳の使い方、ワーキングメモリを自由に行ったり来たりする力を磨く数少ないチャンスでもある。日常生活の中でこのような階層を複雑にコントロールする必要があることはそれほど多くない。ワーキングメモリを使う、脳トレなどのゲームも流行ったが、受験勉強ほど複雑で多様な脳の使い方を要求するものはないのではないだろうか。

第一に、受験勉強は、脳を鍛える、そして脳の使い方をマスターする素敵なチャンスなのだ。

(続く)

[2010/10/13 当ブログに掲載の記事]

[巻頭言2010/11より] [根岸英一博士訃報に接しての掲載です]

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2010年11月号)

受験勉強とは何か

 ノーベル化学賞を受賞した根岸英一パデュー大学特別教授は、受賞会見の冒頭で、「私は日本の悪名高い受験地獄の支持者だ」と発言したという。高度な研究になればなるほど「基本が大事になるから」、そしてそれは日本の教育で身につけたということらしい。

 確かに基礎基本が大切である。それを鍛えるのに受験勉強は役に立つだろう。そして、保護者のみなさんの多くは、意志の力で自分自身の気持ちをコントロールし成果を掴むまで諦めずにやり遂げるという、困難を乗り越え達成する経験としての受験勉強の効用をあげるだろう。

 しかし、本質的な勉強を続けることで体験することができる、わかった瞬間、できた瞬間の感動を忘れてはならない。学ぶことはとても素敵なことなのだ。ぜひ受験を通して、学ぶことの素晴らしさを感じる心を育ててほしい。

 (公式ブログKan’s Blogに同内容の記事を掲載しています。ご覧ください。)
 (WebTVの若者にエールを贈るインタビュー番組「覚悟の瞬間(とき)」に出演しています。ご覧ください。)

※この内容は2008/08塾だよりに掲載したものです。
続けて再掲載のブログ記事をお読みください。