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[巻頭言2013/08より] 知行合一

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年08月号)

知行合一

 夏期講習前半が終了したところ。後半も頑張ります!

 勉強で大切なことは「わかる」こと、そして「できる」こと。とくに、最近の世間の子供たちを取り巻く環境を見ていると、効率よく「できる」ことばかり求めて、「わかる」こと抜きになっていることが気になる。まず、どういうことなのか本質がわかるまで諦めずに学習しなければ、応用になればなるほど通用しなくなる。

 しかし、わかっていても「できる」まで習熟しなければ、自分の力にすることはできない。「わかる」は脳のシナプスとニューロンの配線が繋がる瞬間で、「できる」は脳の思考回路を反復して習慣化することにほかならない。潜在意識にまで落とし込むように、条件反射的に解決できるように、繰り返し繰り返し練習する。

 ただ、そのために無理やり強制的に練習させすぎると、イヤイヤやることになって逆効果になりやすい。間違えたことを厳しく否定する注意ばかり与え続けると、行動を起こす前に恐怖心で固まってしまう。この恐怖心は脳の扁桃体が司っていると言われているが、オキシトシンという脳内物質が、この扁桃体の活性を抑える働きを持つことが研究でわかっているそうだ。そしてオキシトシンは、人から思いやりをかけられたり愛情を感じたりした時に分泌されることも明らかになっている。

 挑戦する勇気を与えるために、ぜひ夏休みの間、お子様に愛情を注いでほしい。成果を誉めるだけでなく、失敗したときも、その挑戦自体を認めてあげてほしい。

 そして一番重要なことは行動。わかっているだけ知っているだけでなく、その通りにできることが大切。子供の欠点を指摘するだけなら容易い。その前にまず大人が手本となるように、勉強、すなわち新しいことへの挑戦の姿をみせよう。

※この内容は2013/08塾だよりに掲載したものです。
 「わかる」と「できる」についてである。これはたびたび取り上げるテーマだ。
 小中学校の勉強では、昔から目立つのは周知の事実。高校の参考書も、その傾向は強い。比較的最近、大学の教養課程レベルのいくつかの数学分野で、複数の参考書を見る機会があった。「わかり易い」という意味の副題が派手についた最近の流行りものらしいが、計算テクニックだけに終始していて、ハウツー本のようで驚いた。また理工系の資格試験などに必要となる物理分野の参考書を見たときにも、公式の使い方に終始していて、これでは暗記して計算だけできても、意味するところは理解できないはずで、そんな資格で安全なのだろうかいう感想を抱いた。だが、このような本の購入者は「難しい」理屈はいいから、とにかく点数だけ取りたいと考えるのだろう。
 教育、とくに民間教育では、目の前の結果を優先し過ぎて、効率よく「できる」方法論を選んでしまいがちだ。だが、本質的な「理解」を伴わない手順の反復学習は、いわゆる「型」の単なる詰め込みになり、応用が利かない。さらに自ら考える力を生み出す力になりにくい。
 一方、「わかる」ことを教えることは難しい。考えることや理解することが必要なものは、単純に教え込めば「わかる」わけではない。頭ごなしに正解を教えられ続けることは、なぞなぞの答えを丸暗記させられている状態と同じだろう。
 そこで、いわゆる「探求型」の学習を、となるのだが、これも非常に難しい。方法論を持たずに、なんでも体験だ試行だと、習うより慣れろの教育論も、効果の再現性という点で大きな問題がある。自由に考えろと本人任せにすると、興味のまま思考も散逸してしまい、何かを「わかる」ところまで、解決するところまでたどりつけずに終わることが大多数となるだろう。テーマだけ与えただけでは、自ら深く探求することはできない。できるための、基礎の知識や一定の「考える型」は必要なのだ。
 自ら考え「わかる」ことを、引き出すことは、とても難しい。
だからこそ、挑戦し続け、教育の方法論にまで高めることを努力していかなければならないと考える。
 原題は、知行合一。行動も実践していかなければならない。