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[巻頭言2024/09より] お手本

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年9月号)

お手本

 先日、ある座談会に参加した。業界誌の企画で、大学入試の変化にどう対応するかというお題での意見交換。話題の総合型選抜や新課程での共通テスト、情報I入試などへの変化、さらにこれから先の大学の変化、それらに対して、塾・予備校はどうすべきかという限りなく幅の広いテーマで、話をまとめての結論というより、現状と考えられる問題を並べて提起した形で終わった。

 さて、その終盤、変化への対応として、さらにオンラインやICTなどが進んでいったときに、そもそも塾・予備校の講師がすべきことは何なのかという話が出た。その場では深くは議論せずだったが、少々気になったので、整理しておこう。

 すでに現状でも、授業の「教える」部分、インプット中心のティーチングは、映像授業などに置き換えることが可能になってきている。それに対して、アウトプットが必要な、いわゆるコーチングと呼ばれている部分は、人間の先生しかできないだろう、というのがこれまでの認識だろうか。しかし、最近のAI技術の革新によって、この境界が不明確な捉え方のままでは語ることができなくなった。すでに学習成果を細かく分析し、どの部分を伸ばすのが最適か、それにはどんな勉強をすればよいかという指導に対してAI技術の導入が進められている。早晩、進路指導や受験校選択への応用にも進んでいくに違いない。すると、コーチングのやる気を引き出すコミュニケーションが残ると予想する人が多いが、この部分もAIの進化で実現する可能性すらあると考える。では、指導者しかできないことは何が残るのか。

 その一つの答は、勉強を楽しむ姿を身をもって伝えること、楽しいとはどういうことなのかを、お手本となるほど、見せて伝えることではないかと考える。「気持ち」は、人からしか伝えられない。心は、人からしか共鳴できない。学ぶことが楽しいことを、自らの姿で伝えていくのは、子供に対する大人の役目だ。

※この内容は2024/9塾だよりに掲載したものです。
 今年は、この座談会だけでなく、講演や取材などでお声がかかることが少なくない。たまたまのめぐり合わせであろう。その中には、非常に珍しい役回りとして、ある会での講演者の方に「講演後の懇親会で質問役として登壇して、インタビュー時間長めにとったので、オフレコだから存分に突っ込んでほしい」というものまであった。
 それらのおかげで、塾・予備校業界の方たちにお会いする機会で、久しぶりなのに、向こうは、最近会っている気になっていた、というのが幾たびかあった。ありがたいことである。
 座談会は、実は少し気が楽だ。講演のときは、当然十分に準備をする。基本的にスライドを使うので、事前だけでなく、当日の会場での準備も。インタビュー取材のときは、油断すると脱線して骨子が寄れてしまうので、テーマを事前に確認した上で、必ずメモを用意する。一番しびれるのは、入試当日のテレビ生解説。いつも最後の出番で、終わる時刻は絶対にはみ出せない。出番が回ってくるまで使える時間が確定しない中の、秒単位となる。
 今回の座談会は、テーマが明確なので、それなりに準備した。情報Iのサンプル問題も研究し直して臨んだが、記事となって読み直すと、ちょっと無難過ぎだったか…。

記事はこちらで読むことができます⇒ http://www.randomwalk.jp/kan/

[巻頭言2024/05より] 適切な負荷

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年5月号)

適切な負荷

 G.W.明け、いわゆる「五月病」のシーズンである。4月に新年度になり、新しい環境への適応に対するストレスが溜まっていく。1か月たち、G.W.の連休で一旦そのストレスがかからなくなり、G.W.明けに、再び元のストレスがかかる状態に戻るときに、悲観的にものごとを捉え、意欲がわかず行動にブレーキがかかる症状。ひどく進むと不登校にまで発展する。ストレスの蓄積がある閾値を超えてしまうことで発症するのだろうか。症状が出てしまうと戻すのは非常に難しく、最後はストレスを一旦全て取り除くなどするが、できるだけ早く専門医などに任せるのがよい。

 発症前の予防策ならば、一般にストレスを溜めないこととされている。新しい環境に順応していくためには、そのストレスを取り除いてしまうわけにはいかないので、溜めないように発散を促す行動のいくつかが推奨されている。

 しかしながら、ストレスは本人の捉え方次第で影響は大きく変わるはずだ。新しい環境への適応とは、従来の自分の習慣を変えることを要求されることに他ならない。習慣を変えるには、脳に対して負荷をかける必要がある。その負荷を心がマイナスと捉えていることから問題が生じる。この負荷は自分にとって必要なものと前向きに捉えることができれば、マイナスの心を生じにくくなる。だから、周りの「頑張れ」という声掛けは禁物。「大丈夫だよ」と声をお掛けいただきたい。

 そもそも勉強、すなわち新しいことを学習するためには、脳に適度な負荷がかかる状態が必要だ。これは習慣を変えることと本質は同等なもの。いやだと思いながら、我慢している状態では、マイナスの負担となり行動が抑制される。脳は負荷を逃がそうと形だけの「学習」もどきに逃げがちだ。脳に適切な負荷をかけて、脳を素早く効果的に適応させることが、学習の成果をうむ。前向きに積極的に、適度な負荷をかけることを掴んでほしい。周りはそれまで「大丈夫」と言い続けよう。

※この内容は2024/5塾だよりに掲載したものです。
 「大丈夫だよ」の話は、2つ前に書いた内容に繋がっている。
 学習には、脳に負荷をかけることが不可欠だ。
 それは、本人の捉え方がカギとなる。脳への負担につながるので、そのまま、いやなもの、やらなければいけないもの、という否定語で捉えてしまうと、行動にブレーキがかかる。効果を上げるには、自分から求めるもの、やりたいこと、という肯定的な好きなものの延長に位置して、自ら負荷をかけることを選択する状態にすることだ。
 と、書くだけなら簡単である。実際には、その状態に本人が考え自ら選ぶようにすることは容易ではない。とくにすでにマイナスの状態になってから戻すことは非常に難しい。難しい状態になってしまってからは、一度すべての負荷を取り除きリセットするしかないことが少なくない。
 いわゆる五月病や、登校拒否などの、行動にブレーキがかかる状況が発露するよりずっと前に、根から改善するしかない。本人の考え方、捉え方は、直接変えることは難しいので、間接的なコミュニケーションによって少しずつ向きを変えていく。自分なりに、負荷を加減して、かけても乗り越えられるという自信の範囲で、行動し達成することで自信を伸ばすことだろう。
 「なんだ、簡単だ」と捉えられるように、前向きな考え方を引き出すような、言葉のかけ方と聴き方を工夫していただきたい。
 理解し共感しなければ、プラスの共鳴はおきない。

[巻頭言2024/04より] デジタル教科書化元年

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年4月号)

デジタル教科書化元年

 学校では新年度、進学進級の区切りの月である。環境が大きく変化する生徒も少なくないだろう。早く慣れて、力を発揮してほしいと誰もが願うところだ。

 先日、機会を得てOECD Japan開催の「PISA2022」セミナーにオンライン参加した。PISAとはOECDが実施する81か国・地域69万人の生徒参加の国際学習到達度比較調査(Programme for International Student Assessment)で、昨年末マスコミ等が、2022年の結果で日本が実施3分野(数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシー)すべてでトップクラスと報道したので、皆様もすでにご承知のことと思う。

 コロナ禍でOECD平均が低下する中、日本は上昇した。その原因は、休校期間の短さ、学習指導要領改訂、ICTの環境整備と習熟などが報告された。さらに今回は数学的リテラシーが集中分析テーマで要因分析の報告もあった。結果がトップかではなく、比較対照によって課題点をみつけ、今後の改善に向かうことが大切なはずだ。
気になった要因分析として、日本の学校では授業でのデジタルリソースの利用時間が最下位レベルだが、数学の授業でのデジタルリソース利用に対して注意散漫になる割合の低さでは、圧倒的1位という結果。また、デジタルリソース利用と成績の関係では、長時間になるほど点数は低下するという逆相関だが、まったく利用がないよりは1時間未満の利用の方が高得点という国際的な結果だった。

 さて、いよいよ今年、文科省主導の下、小5から中3の英語でデジタル教科書化がされる(他の教科も段階的に予定)。確かに、英語では音声や検索で有効だろう。また探求型学習や情報では利用は欠かせない。今のところ、親子とも期待が多いとの調査もあるが、いざ導入となれば、反対意見、慎重論も多数出るに違いない。
もはや、どちらが良いかではなく、どう有効に活用していくかが問われる。私たちも、やや保守的に構えはするが、実証が伴うものは積極的に挑戦するつもりだ。

※この内容は2024/4塾だよりに掲載したものです。
 このOECD Japan「PISA2022」セミナーは、今回は、中心分析のテーマが数学的リテラシーということで、たまたま紹介を受けてオンラインで参加した。そこで報告された内容は、非常に興味深く、上記に触れた点以外にもたくさんの気づきを得た。
 詳細資料は、現在公開されているので、直接参照いただければと思う。
https://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/oecd/1419662_00005.htm

 このような調査結果を踏まえて、今後の教育の方向性を考えていくことが重要だが、これまでの日本の教育では、きちんとエビデンスを踏まえて施策がされてきたとはいえない。デジタル教科書化のみならず、ICT、DX化も、先に結論ありきで、都合の良い部分だけ調査結果をつまみ食いするようなことがないことを祈る。
 日本の公教育では、部分的限定的でも、比較対照実験を試みることは、感情的な不公平感を生みやすく、容易ではない。国際調査結果を正しく読み解くことは重要だ。

 このデータを基にしたテーマで、民間教育大賞授賞式記念のパネルディスカッションにパネラーとして登壇した(概要は以下に公開中です)。
http://www.juku-kyoiku.com/contents/pdf/minkan/2023/03.pdf

 学士会館は、今年いっぱいで、再開発事業で改築の予定とのこと。帝国大学所縁の電灯ある建物で登壇できたことに感謝。
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[巻頭言2024/03より] 新しい挑戦へ

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年3月号)

新しい挑戦へ

 春を迎える。新しい環境への変わり目の時期である。塾では新しい学年が早々にスタートだが、学校ではこれから春休み、そして新入学や、新しい学年へ進級となる。子供たちにとって、その変化は緊張を生む。この緊張がこれから始まる未知のモノへのワクワクドキドキとなり、前向きな気持ちにする力に本来はなるはずだ。

 ところが、学校生活が生活の中心であり、場合によっては『人生』の大部分を占めてしまっていると感じている子供たちにとって、この環境変化は、大きな圧力と感じ、マイナスの心理的負荷の原因ともなりうる。大人たちが、この過ぎ去ってしまった日の心の状態を忘れて、さらに負荷をかけてしまうことのないように、前もって子供たちの状況を正しく想像する準備をして、気をつけていただきたい。

 未知のものに対しては、新しい興味を感じポジティブになる心と、不安を感じネガティブになる心が同時に存在するはすだ。学校生活を送るには、それを単に受動的に受け取るだけでなく、能動的に行動することが要求される。不安な気持ちは行動を抑制する働きがあるので、不安が上回ればブレーキが強く働き、行動を起こさなくなってしまう。行動を起こさないことによって、より心理的負荷を増大させるので、さらに行動を起こしにくくなり、マイナスのスパイラルに陥りやすい。

 それを大人は「意志」や「やる気」で克服させようと考えがちだが、よいやり方とはいえない。行動の大半は習慣が決める。行動の結果、やる気や意志を強くする。最初の行動さえ始めれば、持続はし易い。大人が最初の負荷を抵抗なく乗り越えることができるのは、経験によって、目の前に多少壁があったり失敗したりしても、行動していけば最後は「大丈夫だ」と長期的楽観で考えているからであろう。

 新しい挑戦のとき。前向きな気持ちを引き出せるように「大丈夫」と伝えていただきたい。新しいことはワクワクドキドキする「楽しいもの」と感じられるように。

※この内容は2024/3塾だよりに掲載したものです。
 誌面の都合で、ここでは「大丈夫と伝えて」とだけ書いてしまっているが、これが実は難しい。
 不安に感じて、行動にブレーキが働こうとしてしまっている子供に、むやみに「大丈夫だよ」と言い聞かせようとすることは、十分に気を配らなければ、子供の感情を聴かずに、否定してしまう形になる。同じように「頑張れ」や「やればできる」などのポジティブとして発しているつもりの言葉も、状況と言い方によって、受け取る側は、ネガティブな否定語として受け取ってしまう。否定語は行動にブレーキをかけてしまうことは、ご存じの方も少なくないと思うが、知っていても油断すると思わぬ言葉が否定語に働いてしまう。
 「大丈夫だ」や「頑張る」「できる」などがポジティブに働くのは、自分から感じ、考えて発するときだけだ。
 ただ一方的に直接「大丈夫」と言って伝えるだけでは「大丈夫だ」とは感じない。きちんと話しを聴き、心を上向きにしていって、間接的に「大丈夫かも」と考えるようなきっかけをつくるしかない。
 相手の気持ちを引き出すには、その前にまず相手の気持ちを受け入れることからだ。

[巻頭言2024/02より] 受験は団体戦

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年2月号)

受験は団体戦

 自分の行動と心理を俯瞰して省みることで、メタ認知力を高めることができる。将棋や囲碁の感想戦がその例だろう。極限状態での瞬間的な判断を正しく行うためには、あえて過酷な条件下での思考力と判断力を鍛える訓練が必要だ。

 年明け早々の、JALの事故からの奇跡の脱出には感嘆した。実は7年ほど前、報道で盛んに取り上げられた、あのCAの皆さんたちの避難訓練を見学したことがある。非常シューターで滑り降りる訓練も目の前で見た。訓練は羽田の教育センターの中にある機体モックアップで行われていたが、訓練ごとに特定の条件を指定されて、照明を消したり煙を充満させたりして実施する。マニュアル通りの型に当てはめた行動だけでは対処できず、判断を強制するようにあえて状況を変えていた。そして最後に、指導教官からではなく乗客役のCAたちから振り返りの指摘を受ける仕組みだった。知識と技量だけでなく、その上の感知力、そしてそれを支える心の教育を重視しているとのことだった。確かに、幸運だった部分も少なくないが、危機に備えていた準備があったからこそ、幸運を奇跡にすることができたのだろう。

 受験も危機管理能力が問われている。単なる問題の解法を型として習得するだけでは通用しない。厳しい状況を模しての準備としての訓練が重要だ。もちろんどんな訓練も本番には敵わない。入試中こそ能力が大きく伸びる可能性を秘めている。

 同時に、省みる機会を一番与えるのは仲間たちからのフィードバックだ。ともに切磋琢磨してきた仲間たちと、本番の入試を通して自分の力を発揮する経験値を上げてほしい。受験は、単なる結果ではなく、どんな成長をしたかが、本当の価値であるはずだ。たとえ苦しい瞬間があっても、未来の自分のための経験と考え、最後まで乗り越えてほしいと願う。その力を与えてくれるのも仲間たち。そして、もらった以上に誰かに勇気を与えたいと強く誓って頑張ろう。受験は団体戦だ。

※この内容は2024/2塾だよりに掲載したものです。
 今年元日の羽田空港、能登地震救援の海保機と着陸中のJAL機が滑走路上で衝突した事故での、JALの乗客と乗員の緊急脱出劇は、多くの報道で、まだ皆様の記憶に新しいだろう。
 パニックになることを制し、的確に誘導した客室乗務員の皆さまの活躍は、偶然の結果ではない。まさに緊急時対応の訓練の成果であろう。
 訓練は、年に1回、全員が実施するという。緊急時訓練というと、直接的な技能的な部分、手順確認などの技術面、あるいは座学と試験による知識面のイメージが強いと考えがちだ。しかし、この見学で説明を聞いたときの記憶では、上記のような感知力、その場での判断力といった、マニュアル化しにくい暗黙知の差の部分を、どうやって、単なる経験によってだけではなく、身に着けるようにするかを軸にしているように感じた。経営破綻からの再建の経験を経て、技術面に寄り過ぎていた研修を改め、最もベースとなる心の面、人間力、人間性自体をどう高めるかにいきついたと記憶している。

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(ミュージアム、整備工場見学のあと、一般非公開の乗務員訓練センターで見学したのだが、モックアップ機体内や脱出スライダー、救命ボート(ラフト)などの写真は、公開禁止とされたのでお見せできないのが残念。客室乗務員の方たちが滑り降りるところも見学したのですが…)
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(公開されている取材映像があったのでリンク)
https://www.youtube.com/watch?v=XWQ2FZpuXbY

[巻頭言2024/01より] 「情報」教育の必要性とは

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2024年1月号)

「情報」教育の必要性とは

 東大が、共通テストの情報Iの配点を100点とすることを発表した。2025年春から共通テストは新課程入試となり、大きな変更がいくつか行われる。その中の注目点が新教科の情報I。北大が早々に、受験必修・配点0と公表し、旧帝大を始め国公立大で対応が完全に分かれた(他科目に対して、低:同:高=6:3:1程度か)。東大は共通テストの配点自体がもともと低いなどの意見もいろいろとはあるだろう。

 入試の話は一旦脇に置いて、そもそもの「情報」という教科について考えてみよう。古い感覚の方は、「情報」=『パソコンの使い方』(いわゆるパソコン教室のようなイメージ)を想像されたかもしれない。大昔のプログラミングができないと何にも使えなかった時代とは既に大きく異なるが、「情弱」という揶揄するような言葉もあるくらいで、どう使うかの能力格差は拡がってはいる。しかしだからといって、使い方を学ばせたり、単なる(現状の)用語知識を詰め込んだり、ましてや、コーディング専門のプログラマーを大量養成しようとしているのではあるまい。

 指導要領改訂の基本方針には「未来社会を切り拓ひらくための資質・能力を一層確実に育成」するために、「知識及び技能の習得と思考力,判断力,表現力等とをバランスよく育成」とある。そして「情報」という教科は「情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し,受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる力や情報モラル等,情報活用能力を含む学習を一層充実する」ことを目指すそうだ。

 若き日に関連分野を専門として学んだ立場からすると、単なるプログラミング教室化ならば肯定的意義を感じないが、所謂「プログラミング思考」を若いときに学習する重要性はよく理解できる。そしてコロナ禍やChatGPTの登場などでの見聞から、日本人の大多数の数理的理解力や論理的思考力の不足も大いに実感した。

 日本では入試がないと真剣に学習しない現実もある。まずは始めるしかないか。

※この内容は2024/1塾だよりに掲載したものです。
 さて、いよいよである。改訂される新しい共通テストに向けて受験生たちが実践的な対策の時期の夏期講習中だ。
 はたして、初めての情報Iはどうなるか。出題を担当する大学入試センターでもどの程度のレベル感にすればよいのか恐る恐るといったとこだろうか。過去の傾向などを踏まえると、改革初年度ということで、なんとなく易し目になりそうな気がする。試作問題から予想すると、問われている「学力」に対しての、設問の文章量が多すぎて、判断力の処理時間勝負になるかもしれないが、あまり深く思考力が必要なレベルの問題にはならないと予想する。結局あまり得点差はつかないのではないだろうか。
 試作問題に対しては、いろいろと言いたいこともあるが、この科目で問いたいのはこういう力と言われれば、それはそれで納得ではある。いっそのこと、数学の中でかなりの幅を利かせてきている統計分野をこっちに移動してくれた方がよいような気もしてきた。おまけに、配点も200点にしてもよいかも(笑)。

 受験生の皆さん、恐れずに準備しましょう。
 きちんと問題を読んで正しく理解して、その場で考える論理力が問われているだけです。パターン暗記のような学習では通じないけれど、本質的な理解と考える力を伸ばすつもりで臨めば、そんなに怖くないよ。

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[巻頭言2023/12より] 今が未来を創る

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年12月号)

今が未来を創る

 小学校の5,6年頃、毎週末に塾に通っていた。いわゆる中学受験のための塾で、実績があり地域(東京の西)では結構有名な塾だったらしい。住宅地域のご自宅隣接の木造平屋の大きな建物に細長い机で、ぎゅうぎゅう詰めで勉強した(テスト受験者が100を軽く超えていたのでその数で一斉だったのだろう)。一週間のテスト範囲を勉強して、4科目のテストを受ける。解説授業のあと、次回範囲の内容を習って帰るというもの。今にして思えば、当時の四谷大塚(今のYTテスト)や、今はない日進という中学受験有名塾と同じやり方だったのだろう。親の命のまま何も知らずに、低学年の頃の同級生で隣クラスの優秀な友人と通っていた。6年の終わり近くの冬のある日、友人が休みで一人で塾に行くと、ほとんどが欠席だったことから、初めて周りは受験のために通っていたことを知る(親は知っていたが)。その日が受験当日だったと記憶しているが、もしかすると直前日だったのかもしれない。

 一番の思い出は友人とバスを乗り継いで通っていた記憶。帰りにたまに、乗り継ぎのバスに乗らず、浮かしたバス代で買った肉屋のコロッケを食べながら歩いた。そして、バスの往き帰りに、友人が出す算数の難問をパズルのように考えることが、強烈に楽しかった。友人は受験の勉強をしていたはずなので、過去問などから、悩んで喜びそうな問題を狙って探して、ノートに書いてきて出題していたのだろう。

 授業内容や先生の記憶は、もはやほとんどない。それでも微かな記憶で、算数で図を描くとスパッと解ける感動は残っている。社会や理科のテキストを読んで、新しい知識に触れるのが楽しかった。毎週テスト順位も出たが、それに向けて暗記したことは全くなく、知的刺激だけで憶え、今もその大半が残っている(はずだ)。

 数十年後、塾のあった辺りの住宅地を歩いてみたことがある。楽しかった過去の名残りは全くなかった。ただ表札にあった先生の苗字は憶えていた。

※この内容は2023/12塾だよりに掲載したものです。

 日頃、ほとんど過去を振り返らない(日々の反省はしていますが…)ので、思い出すこともないが、もはや思い出そうとしても断片的な瞬間シーンしかでてこない。子供の頃の嫌だった記憶も風化してしまい、嫌と感じた感情自体は消えて、思い出せるのは嫌だったなと記憶だけにすぎない。長い時間の経過によって、今に対する評価が、過去の評価も変化させてしまったのかもしれない。
 だが、楽しかった記憶は、今も楽しいと感じることができる。当時とは異なる楽しいなのかもしれないが、ずっと残る。
 いいこと、悪いこと、今のすべてが未来を創る。若き日の勉学や受験が、耐えるだけの嫌なものとしてではなく、楽しさを伴う知的な刺激と興奮として残るように、塾・予備校として私たちは大切にしなければならない。
 楽しい記憶は、長く強く残るはずだ。

p.s.
 今、ストリートビューで見たら、住宅地に入る裏道にあった、コロッケを買った肉屋は、数年前まであったらしい。

[巻頭言2023/11より] 文化の秋

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年11月号)

文化の秋

 9月下旬、秋田に出張した。懇意の東進加盟校に、教務スタッフ3人を同行し訪問、担当の責任者の方たちと意見交換・情報交換。翌日、県立国際教養大学を見学、入試担当者の方から丁寧に説明していただく。3人を先に帰した後、当地開催の全国の有力塾経営者との勉強会に参加。さらに翌日、地元で一番勢いがあると紹介していただいた新鋭個人塾見学と、充実の3日間だったが、今回の本題ではない。

 その帰路での余話。実は知る人ぞ知るが、塾業界の『鉄人』を自称している。鉄人といっても、鉄道ファンという意味(笑)。鉄道マニアには、撮り鉄、乗り鉄、模型鉄など、いろいろなジャンルがある。だいたいその全部の「ゆる鉄」である。当然、新幹線で往復。行きは、田沢湖線区間の川沿いの渓谷を覗き込んだり、鳥海山は見えないかと探したりと車窓を楽しんだ。さて、帰路の秋田-大曲区間。ここは、進行方向が座席と逆向きで、それだけでも興味深いのだが、この奥羽本線並走区間の3駅間だけ新幹線と在来線共用で線路が3本になる区間を生で見たいと必死に車窓を見ていたら「建築限界測定車」回送列車という非常に珍しい列車を並走して追い抜くという大変貴重な場面に遭遇した(マニアックな話題で恐縮)。

 地理が好きだったのは、鉄道趣味や旅行(時刻表での空想も含む)が好きだったからか、その逆か。地図帳の資料の図や写真を眺めるのが好きだった。小さい字の解説も隈なく読んでいた。必要な知識として暗記するためでなく、純粋な興味で読んだから楽しかったのだろう。分厚い参考書も読み物として読んでいた記憶。そして苦にせず、いつの間にか覚えてしまった。同じように歴史や理科の資料集も。そのときはすぐに役には立たずとも、どこかで結びつき、ああなるほどと知識が繋がる。

 知的好奇心こそが興味を育て、興味も広げる。せっかくの文化の秋。受験生ならやむを得ないが、日常を少しだけ離れ、未知なるものへの体験に出かけてほしい。

※この内容は2023/11塾だよりに掲載したものです。

 未知なるものと出会い、それを知ること、体験すること、それらの素朴な感動が、学びの原点であろう。それらを自ら求め学ぶことが、昨今の探求型学習の理念に他ならない。
 初期の段階では、様々な面で、知的好奇心を育てるように、そして感動の芽を育て、面白さを伝える役割を誰がどう果たすかが大切だ。自分から気づき、面白いと感じるまで、そのタイミングを待ち、よく見ながら寄り添う必要がある。単に効率よく型に詰め込んでしまうことは、逆効果となる。
 しかし、二段階目では、高度な先のレベルを体感できるように導く存在も大切だ。
 教育も、きちんとした体系的な比較対照実験から、方法論を科学的に導き出せれば、大きな前進があるだろうが、国家的規模でとなると賛否を伴うだろう。
 まずは難しいことを考えずに、大人も学びの原点の好奇心を失わないために、日々の習慣にはない、未知のものとの出会いに向けて行動しよう。楽しいどうかは、結果として決まるのではなく、楽しいと思って行動することから決まるはずだ。
 大人の休日が、ワクワクする日となりますように。

これが3線区間! マニア以外は何が面白いかわかりません...
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いわゆる「萌え」ポイント
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超マニアックで、レアなシーン「マヤ返却回送」
雨粒だらけの新幹線の窓越しで残念...
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[巻頭言2023/10より] 挑戦を願う

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年10月号)

挑戦を願う

 大学進学フェスタin CHIBA 2023の開催に協力させていただいた。運悪く、台風の大雨で電車が不通になってしまったため、塾生たちや保護者の皆さまの中には、参加できなかった方も少なくなく、大変残念な思いが残った。大学側は、私立大学のみならず国公立大も参加。大変遠い地方からもわざわざ参加いただけた。旧帝大の中には、特任教授が直接生徒や保護者に個別の説明をされていた。また、大学講演のコーナーで、東京医科歯科大学では、医学部医学科長にお越しいただいて講演をしていただけた。広い会場で時間も十分にあり、とても有意義な会となった。

 さて、参加大学関係者の皆さまと順番にお話しができ、どこも少子化に危機感を感じ、自分たちの大学の魅力が高校生たちにどう届いているのかを気にされているのがよくわかったが、少々気になる点もあった。今の大学は「勉強や研究ばかりのところではないですから」と勉強に興味を持たず熱心でない生徒たちでもいいから、大学に来てほしいというような言い方をされている入試担当者の方がいらっしゃった。確かにその側面も否定はしないが、勉学の場を自ら放棄するのはいかがか。

 先日の東進衛星予備校の研修会でも、高校生たちの多くで、大学受験に向けて勉強に立ち向かおうという意識が下がっているとの情報があった。共通テストが難化したせいか、コロナ禍の影響かはわからないが、昨年あたりから目立つという。

 以前から繰り返して述べてきたように、受験勉強を、何かを得るために我慢して突破すべき壁と捉える考え方には強く異を唱えるが、若い貴重な時期に、困難に立ち向かわず、すぐに易き道に逃げる若者ばかりになることは決して良しとはしない。簡単には手に入らないものに向けて挑戦した経験は、例え蹉跌や挫折を味わおうとも意義がある。未来ある若者たちは、困難ばかりを選択する必要はないが、易きに逃げて挑戦せずに終わったことを後悔するばかりの人生になって欲しくない。

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※この内容は2023/10塾だよりに掲載したものです。

 偉そうに書いてしまっているが、自分の若き日を顧みると汗顔の至りである。
 挑戦して届かなかった経験より、躊躇し彷徨い苦悶し挫折した経験の方がはるかに多い。自らの芯に深く真剣に向かい合わず、決断を先延ばしにし、動かない言い訳の理屈を探していた、結局は怠惰な日々。今は、俯瞰して自己を評価できるが、当時の視野は、思っていたよりはるかに狭かったのだろう。若過ぎたのだ。
 その経験があるからこその今であり、挑戦の意味もよくわかる。
 考えなしの安直な行動は制すべきだが、若いからこその挑戦は大いに奨励すべきだ。
 目先の結果論に囚われず、大志を抱こう。

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[巻頭言2015/06より] 塾の本道

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2015年06月号)

塾の本道

 先日、大阪で、塾業界誌主催のセミナーで講演をする機会があった。お笑いの関西、強いアウェイ感のプレッシャーの中で話をした。恐るべし、大阪(笑)。

 コンサルタントの方から依頼されてお話したのだが、いただいたテーマは、塾として本当にやるべきことは何かというもの。生徒募集のテクニックの研究ばかりやっていないで、教育の本道、授業や教務に力を入れましょうということをお話しした。そもそも塾なのだから、至極当たり前の話なのだが、わざわざ指名されて話をしに行くくらい、当たり前のことをやっていない塾が少なくないということだ。

 また、せっかくの機会なので、地元の塾の皆様と交流しようと、セミナーの合間などに、名刺交換とご挨拶だけでなく、少々質問などにもお答えした。その中で、退塾率の低さに驚かれての質問を受けた。その話は、講演の中では触れていないのだが、コンサルタントの方から直接聞いたらしい。うちの塾の率が決して低いとは思っていないのだが、大手だけでなく個人塾も含めて、他塾の標準の数分の一で驚かれることが少なくない。しかし、これは単なる結果であり、その前に、生徒や保護者の満足がなければ、結果にはつながらない。やるべきことを、ひとり一人に丁寧にできているかが問われているのだ。他と比較して高い低いと競っても意味はない。まだまだひとり一人にできていないこと、もっとできることはたくさんあるはずだ。他からの評価に甘え傲慢になることなく、改めて、ひとり一人の満足度を上げる努力をしよう、頑張ろうと決意して帰ってきた。

 まだまだ、至らぬ点も少なくないと思います。保護者会や電話相談、面談などの際に、お気づきの点など、ぜひご指摘ください。

※この内容は2015/06塾だよりに掲載したものです。
 珍しく、不用意に、他社を批判的視点で書いていて反省...。比較すべきは、過去の自分たちと現在、または現在と未来の自分たちであろう。
 とはいうものの、自分たちしか見ていなければ、視点も偏り、客観的な自分たちの立ち位置や欠点も見えなくなる危険もある。コロナ禍で何年間か止まってしまったものが少なくないが、そういう意味での他者との交わりの機会が大きく失われていて、まだまだ戻らないのは大きい。
 今年に入って、ようやく、他社との訪問の交流や、会合なども動き出してきた。とくにスタッフを連れての見学訪問や、他社からの訪問は、情報交換・意見交換などもあり、私たちの大きな成長の機会となったはずだ。
 ただ、機会は戻っても、スタッフたちの経験値は下がっていたり、新しいメンバーも増えたりで、学びや気づきの質のレベルを戻すのには、少々時間と量はかかるだろう。
 まだまだ、これから。頑張ろう。

先日、関西からご訪問の他塾の方からいただいたお土産
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