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[巻頭言2022/12より] 創造性を引き出すには

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年12月号)

創造性を引き出すには

 ちょうど読んでいる本に興味深い記載があった。米国の企業組織論の中でだが、クリエイティブであり続ける組織のマネジメントに関する記述で、実現可能なアイデアはいくらでもあるはずなので、組織がクリエイティブにならない原因は、部下のアイデアや能力が足りないのではなく、上司のアイデアを受け入れる力が足りないのだと指摘する。マネジメントする側が、部下のアイデアを検証する前から、思いつく限りの欠点や問題を指摘し、潰す評論家のようにふるまわないことが必要だという。日本の組織では、もっと身近にありがちな話しではないだろうか。

 そしてこれは、そのまま子供の教育に対する指導者や保護者の立場に置き換えることができそうだ。失敗させまいと、子供の悪いところを強く指摘することで、そもそものやる気を失わせてしまってはいないだろうか。それは、勉強だけに限らない。成長ではなく、短期的な勝利を優先してしまうような少年スポーツの指導にも当てはまりそうだ。型に強くはめすぎる指導は、初期は早く伸びるかもしれないが、いやいやの練習を誘発し、自ら創意工夫し、努力を惜しまず伸び続けようとする原動力となる気持ちを削いでしまうことになる。

 では、どうすればよいか。この答も列記されていた。あら探しをしない。失敗しても、叱責するのではなく、次へ向けての気持ちを引き出し、励まし、後押しする。もしその失敗を自分がやったなら、どう扱われたいか、どう扱われたらやる気になるだろうか、と考えれば、どう扱うのがよいかの正解を探すのは容易だろう。

 さらに好奇心を刺激することが大切だと説く。それには質問が有効。指導する側が命令ではなく質問で、追い込むような質問ではなく問いかけで気づきを引き出す。そして本人の疑問からの質問を導き、それを認め聞き入れる姿勢がカギだ。

 すべて、そのまま教育に対しても、示唆的ではないだろうか。

※この内容は2022/12塾だよりに掲載したものです。
 コロナ禍が長期化して、子供たちへの影響がじわじわと表面化してきている気がする。3年近くという期間は、従来なら体験できたはずの多くを失ったまま、受験学年の生徒たちは、高校生活、中学生活を過ぎ、次のステージに進まざるを得ない。
 来年度新卒の学生たちの就活時期には「ガクチカ」のネタがないというのが話題になった。「ガクチカ」とは「学生時代に力を入れたこと」を略した、就活での定番の質問のことである。確かに、学業だけでなく、サークル活動やアルバイトなど、学説自体にしかできない体験のほとんどを知らずに社会にでることになる。それでも受験生の中高生たちと比べれば最初の一年間があっただけましなのかもしれない。
 しかし、過ぎ去った過去について言及しても得られるものはない。前向きに好奇心をもって次のステージに進むために、今できることに集中してほしいと願う。
 そして、来る新年、さらにその先の未来が彼らにとって素晴らしいものになるように、明るく前向きに、夢と希望を抱いて進むことを願う。
 私たちもできることをやり遂げることで、応援していきます。

[巻頭言2014/10より] 原動力は好奇心

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年10月号)

原動力は好奇心

 幕張メッセで開催されていた宇宙博を見た。子どもの頃からの年季入りの宇宙好きとしては物足りなさもあったが、普通の人が余り注目しないようなものでも、「ああこれ」がと好奇心を満足させられるものがたくさんあり、楽しい半日を過ごした。

 理系、とくに工学的なモノにいつから興味を持つようになったのかは、自分でははっきり記憶がない。特別な体験がきっかけになったわけではないようだ。おそらく、遊んだおもちゃ、読んだ本、テレビなど様々な周りの環境と経験が積み重なって、そういう指向性を作ってきたのだろう。前に紹介した同級生の東大教授Fくんと前に二人で飲んだ席で、彼が化学に興味を持ったきっかけについて聞いたことがある。小学生の頃、父親に化学実験器具を買ってもらったのだそうだ。それがうれしくてずっと遊んでいたらしい。その当時はわからなかったが、その連れて行ってもらった店は、大学の研究室が購入するような専門店だったのだそうだ。

 子供の頃の影響は大きい。ただし、親がよかれと思っても、あれしろ、これしろと、勉強と役に立つものを押しつけてしまっては、うまくいかない。役に立たないようなことも含めて、たくさん興味をもって、自ら経験したことが、のちに活きてくる。勉強だけで、純粋培養して育てすぎるのはあまりよろしくないようだ。

 さすがに受験生は、いよいよ追い込みのシーズン。直接成果につながらない脱線をしている暇はないが、受験生以外は、ぜひさまざまな知的な体験をさせていただきたい。今のうちなら、一見挫折にみえることでさえ、次の成長の糧になる。

 土台がなければ、高いゴールを目指せない。太い根を、大きく広げるような知的な好奇心を育てる機会や環境を、親も意識してみよう。
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※この内容は2014/10塾だよりに掲載したものです。
この宇宙博に行ったときのことを懐かしく思い出した。宇宙は、子供の頃の記憶の中では、魅力的な希望に満たされていた。
小学校の図書館で、一時、毎週末、冊数の上限まで本を借りて帰っていた。これが読みたいという本を、ではなく、あまり選ばずに決めていた気がする。だから、ほとんどは、読み始めで面白くないとそのまま読まずに返していた。あるとき偉人伝のようなシリーズを端から順番に借りていた中で出会い、興奮したのがフォンブラウン博士の伝記。だから、この宇宙博で一番感激したのは、フォン・ブラウン博士愛用のテンガロンハット。マニアック(笑)。
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その帽子を、フォン・ブラウン博士の、子供の頃からの夢、宇宙旅行を、ナチスドイツ時代のミサイルV2号の開発から、アメリカ亡命、不遇時代を経てのNASAでのアポロ計画で、実現に至るまでに思いを馳せ、見入った。

 今、コロナ禍で、子供たちがさまざまな体験ができるチャンスが減っている。子供たち一人ひとりに、どんな分野でどんな活躍をする未来が待ち受けているかは、大人が決めるものではない。子供の純粋な好奇心が原動力となるはずだ。
そんな心を育てていきたいと強く思う。
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※この宇宙博は撮影可能でうれしかった。
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[巻頭言2022/11より] 吾、十有五にして…

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年11月号)

吾、十有五にして…

 「飢えて困っている人に、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という言葉をご存じだろうか。公式ブログの巻頭言バックナンバー記事に関連して、この言葉の出典が少々気になり調べてみると、中国の故事と言われているが、文献として確認できる一番古いものは19世紀のイギリスの小説だ、と見つけた。

 それはさておき、この言葉は、海外協力の世界などではよく引用されていたが、教育の世界でも引用されることが少なくない。「勉強」を教えるには、単に知識を教え憶えさせることや、問題の答を教え解答できるようにすることではなく、「勉強」のやり方・方法を教えることの方が重要だという意味となろう。

 もちろん、その考え方は大切である。その考え方での教育法を追究することも必要だ。まだ十分に究められているとは言えない。だが、現代の日本の子供たちに求められる教育は、それでは足りないと考える。それだけでは、結局、教えられた方法でしか課題を解決できない大人へと成長させることに繋がるだろう。

 自ら解決法を生み出せる人を育てなければならない。そのためには「勉強法を教える」を越え「勉強の目的意義」を明確にすることが必要ではないだろうか。

 ただし、使命感で行動が迷わず強く持続できるようになるには、かなりの年月が必要だ。論語では「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とある。渋沢栄一著「論語と算盤」では「(15歳にして)学に志すは大いに疑問で、これから大いに学問をしなければならないな、くらいに考えていただけではないか」とある。使命とわかるのは50歳だ。

 10代の子供たちには「勉強の楽しさ」を教えることの方がさらに重要だ。(私は釣りは知らないが)釣りが楽しければ、釣り方を考える工夫をするようになるに違いない。そして楽しく釣る人は「釣りの楽しさ」を伝えることができるはずだ。

※この内容は2022/11塾だよりに掲載したものです。
 知識や答えを直接教える =「勉強を教える」ではなく、「勉強のやり方」を教えることの方が大切であることは言うまでもない。
知識を直接教え込み、目の前の点数を取らせるような「勉強」を押し付け教え込んだとしても、教えている者を超えるところにはたどり着けない。そして、そのような勉強は教えられている側の視点で見ると、やる気を生み出しにくい。
 だから「勉強のやり方」を教えることの方が重要だ、となるのだが、そもそも、教えようとしているその勉強法自体がはたして正解なのか、明確なエビデンスがないことが少なくない。
 さらに、習ったやり方でしかできない人間に育ててしまったならば、真の創造的な成果を生み出す人にはなり得ないはずだ。
 自ら課題を見つけ、解決の方法を考えて生み出し、成果がでるまでやり続けるような人間を育てなければならない。最近の「探求型学習」や「アクティブラーニング」という考え方は、その線上にあるものだろう。
 ただ、そのためには、指導者をどう育てるかと、学習のプロセスをどうカリキュラム化して一定の再現性のある品質に作り上げるかという2点の大きな問題がある。「教育法」の「科学的な追求」が必要であると考えるが、それはまた別の機会に譲る。
 初期の教育段階では、それらの前に「やりたい」という気持ちを引き出すことがもっとも重要である。どんな困難に出会っても、諦めずにやり続ける人たちには「使命感」という共通の要素がある。ただし、本題で述べたかったことは、使命感が強く形成されていくのは成長のかなり後の段階であるということだ。
 それまでは、やりたいという素朴な原動力、「楽しい」を伝えることが一番だと考える。
 「学ぶことは素敵なこと」なのだ。

[巻頭言2014/09より] 目標と挑戦

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年09月号)

目標と挑戦

 夏期講習も無事に終了した。受験生にとっては、ひとつの限界に挑戦した夏になったはずだ。そして、いよいよ志望校に真剣に向かい合う時期を迎える。

 ゴールを最初に描くことは、ものごとを成功に導く出発点である。そしてそのゴール地点の設定をどこにするかが、とても大切なことだ。目標は高い方がよいとよく言われるが、それは必ずしも正しいとは限らない。

 筋力トレーニングでは(目的とするのが筋力の瞬発力なのか持続力なのか筋肉量なのかで異なるそうだが)、ウエイトが重いほどよいわけではない。また回数が多ければよいのでもない。最も効果的なトレーニング法は10~15回の反復回数で自分の限界に達する適正な負荷をかけ、それを越えようと力を振り絞って頑張ることだという。この原理は脳でも同様だ。自分のできないこと、少しだけ難しいことに挑戦し続けることが、脳を一番活性化させるのだそうだ。他人とどちらができるかという比較ではなく、本人の限界を超える挑戦に意味がある。

 もちろん低すぎる目標では成長を促さないが、高すぎる目標も意欲を生み出さない。できると確信できる限界ギリギリを少しだけ超えるところに設定することが成長の大きなカギ。ただしその限界点は、客観的な判断ではなく本人の潜在意識が支配している。周りが無理に高くすると、挑戦する意欲を失うだけ。高く挑戦する気力が足りないときは、まず届く目標を決め、できるだけ早くクリアする。達成が意欲を生む。その意欲で、次のより高い目標を目指す。この適正な負荷と前進感が、気力を創り、結果を実らせる。

 保護者の皆様、お子様にとって常に適切な負荷となるように、その時期の目標をお導きください。

※この内容は2014/09塾だよりに掲載したものです。
 目標設定能力が、その人の能力を大きく決めるという話は重要なので、繰り返しとりあげている。長期的に追跡した研究も発表されている内容だ。
 ここでいう目標設定能力とは、どこまで、いつまでに達成するかを、決める能力のことである。ただし、ここで述べているように、現状から届く結果を客観的に正確に予測することに意味があるのではない。本人が潜在意識で本気で届くと信じられる、ギリギリの限界ラインか、少しだけ上の、もしかすると、無理かもしれないが頑張れば届くかも、と思えるところに定められるかがカギである。客観的な限界ではなく主観的な限界を、自ら選ぶことができるかの能力が、その人の能力の限界を決めてしまう。
 その、主観的な信じられる限界を超えた、高い目標を無理に決めてしまうと、意欲は減退する。だから目標は高ければ高いほどがよいというのは、正確には正しくはない。行動する意欲を生み出すには、自分の努力によって結果が変わると信じていること、限界的努力をし続ければ到達可能だと信じていること、その範囲の中で敢えて最も高い目標を選ぶこと、そして自ら選択することが必要条件だ。
 ところが、自己肯定感が低い場合、信じられる限界が客観的事実より低すぎて、限界的努力が必要な高い目標を選ばないことが多い。自信のない子供は、自信のない目標を選び、それでも自信を持てずに失敗する。低すぎる目標では、意欲的な努力を生み出さない。
 そういう子供に、無理やり高い目標を押し付けてもうまくいかない。そのときは、時間軸を短く選ぶことがよい。ずっと先の高い目標ではなく、今すぐ行動すれば、すぐに結果がでるちょっとだけ高い目標を選択して行動を促し、達成体験を積み増していくことで、自己肯定感が増加する。その繰り返しで、徐々により遠くの高い目標へと進むことがよい。
 「保護者の皆様、お子様にとって常に適切な負荷となるように、その時期の目標をお導きください。」と結んでいるが、目標を選択するのは「本人」でなければ意味がない。保護者にできることは、一歩引いて俯瞰し、「本人」が、自分で選択する機会を提供することだけであろう。
 保護者として、より成長しようとしている皆様を応援します。

[巻頭言2014/08より] 数値の役割

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年08月号)

数値の役割

 夏期講習前半が終了したところである。
 先日、経営者の勉強会で出張の際、視察ツアーがあった。その中で、パイロット訓練用飛行機の展示があり、コックピットに座ることができた。たくさんの計器がある。当然、ちょっと説明を聞いただけでは何が何だかわからない。

 パイロットはこのメーターを全て見て、操縦の判断をする。飛行機を、意図した通りの正しい飛び方にするためには、この数値の読み取りと判断に、高い精度が要求されるはずだ。おそらく、研ぎ澄まされた神経で、一つひとつの数値を常に意識しているので、少しでもおかしい数字があれば、ピンとくるに違いない。まるで数字の方から飛び込んでくるような感覚なのではないだろうか。

 勉強と試験の関係も同じだ。試験は、それまでに努力した結果の分析をするためにある。大きな模擬試験だけでなく、どんな小テストでも、どの科目の、どの単元の、どの部分に改善すべき課題があるのかを見つけることができる。そして、なぜ失敗をしたのかという、自分の中の原因を探し出す。最後に、それをどうすればできるようになるかの解決への対策を考える。一番大切なのは、その最後の部分だ。対策は、できるだけ具体的な実行可能な行動によって解決できるものでなければ、成果を生み出さない。そして、その行動を実行し続けなければ達成できない。

 勉強の場合、点数の結果の正否ばかりを追求しがちではないだろうか。パイロットはメーターをみて、数値がいいか悪いか評論することはない。すぐに操縦レバーを動かして適正な方向に操縦するはずだ。重要なのは軌道修正するアクションだ。夏期講習後期に向け、軌道修正の貴重な時間としてほしい。

※この内容は2014/08塾だよりに掲載したものです。
 例によって時期外れの夏の時期の話である。
 受験生なら、ちょうど、夏明けから模擬試験の数値に一喜一憂する時期が始まる。そして晩秋が近づいている今頃はそのピークであろうか。よい結果がでていれば安心もするが、芳しくない結果の場合、間接的にしかタッチできない保護者はイライラが募る。ついつい厳しく口をはさみたくもなろう。
 だが、間接的な立場としての役割を忘れてはならない。途中経過の数値がいいか悪いかを議論したり評価するのが役割ではないはずだ。
 本人が、現実をより客観的に厳しく見つめて、自己分析をし、次へ向けての改善をより具体的に考えるために、数値を利用しなければ意味がない。
 一番大切なことは未来に向かう気持ちである。
 こう考えると、保護者は、子供の未来に向かう心を引き出すことが大きな役目となる。「次は何点にしたい?」「何をやれば届くと思う?」「いつまでにそこまで行きたい?」というような、前向きな気持ちを引き出すコミュニケーションを試みてほしい。自らの意志で選択した行動ほど、実行する確率は高くなる。そのために親の考えを押し付けるのではなく、子供の気持ちや考えをよく聴く努力をお願いしたい。
 厳しい現実に対峙させようと、過去を評価する話ばかりにならないように気をつけていただきたいと願う。失敗したことは、それをやった子供自身が一番よく知っているはずだ。

[巻頭言2014/07より] 苦しいときこそ、力がつく

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年07月号)

苦しいときこそ、力がつく

 いよいよ夏期講習である。受験生にとっては天王山。
 目前の時期だが、毎年多くの受験生たちが、まだまだ、そしてなかなか勉強に集中できない時期でもある。部活の大会直前で練習に燃える生徒、文化祭や行事の準備が目白押しの生徒、帰宅するとクタクタで爆睡...。

 だが、そんなときこそ、頑張りが試されるときだ。調子がよいとき、気持ちが集中しているときに頑張ることは誰でもできる。疲れているとき、気分が乗らないときにこそ、どこまで頑張れるかが大切だ。もちろん、「ベストを尽くせ」といっても、物理的に無理な部分も少なくない。だからといって、ゼロにしてしまうと取り返せない。そして一番決定的ないことは、無理だと思って、限界に挑戦せずに、すぐに諦めてしまうことが習い性になってしまうことだ。

 限界を決めているのは本人の心。潜在意識が無理と判断すると、客観的に簡単に達成できることでも頑張れない。自分の心の中の限界を、どこまで高くできるかが、その人の成長を決める。

 解決するキーワードは習慣化にある。ぎりぎりまで毎日挑戦する習慣が限界を高くする。そのとき与えられたことを徹底することが道を拓く。

 そんな気持ちを自分から引き出せるように、保護者の皆様にも親の役割を演じてほしい。少なくとも塾に休まず通うこと。結果ではなく、そのプロセスを誉めてほしい。誉めることが継続を生み出します。

 夏期講習は塾にまた新しい仲間が加わる時期。競い合う本物の仲間がいるから頑張れる。夏期講習、ともに大いに切磋琢磨します!

※この内容は2014/07塾だよりに掲載したものです。
 「親の役割を演じてほしい」と書いている。「役割を演じる」と書いたのは、いささかオーバーな表現。「役割を果たす」が適正な表現というところだろう。
 子供にとっては、勉強だけでなくいろいろなことが、初めて経験するものばかり。その中でも、受験という壁を乗り越えることは、初めての体験。それが大学受験だとしても、高々2,3回目の初心者に過ぎない。すでに何度も経験して慣れていて、かつ、どうすればよいかの正解を見つけているならば、比較的簡単に道を拓くことができるかもしれないが、実際には、その経験値を積むころには、終わってしまう。経験者の親がそばでみていると、歯がゆく感じるのはやむを得ない。
 だが、親として「受験期の子供にどう接すればよいか」の体験という視点でみれば、親も子供と同様「親の初心者」に過ぎない。一人目の子供でないとしても、さらに自分の経験を数に加えたとしても、高々数名の極私的体験を持っているに過ぎない。もちろん、これは受験に限ったことではない。「反抗期に入る前の子供の親」「反抗期に入りかけた子供の親」「反抗期のピークの親」...。その中には「初めて幼稚園などに送り出す親」や「子供の運動会を初めて見に行く親」などもあっただろう…。
 数限りない、親として白紙から学ばなければならないことがあるはずだ。
 親は、そのままでは「親のプロ」ではない。
 親の役割を果たすことは、子供にとってとても大切なことだ。そして、子供もいつか親となり、親の果たしてくれた役割を理解し、感謝する日がやってくるに違いない。
 日々、悩み試行錯誤しながらも努力されている保護者の皆さまを応援します。

[巻頭言2014/06より] 未来を見る

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年06月号)

未来を見る

 先日、高校のクラス会があった。クラスメイトたちと久しぶりの再会。今回の最大のトピックスは、東京大学大学院教授Fくんの紫綬褒章授章(もちろん学術分野での授章で芸能分野ではありません)!! みんな知らなかったので、先生へのご報告という形でのサプライズを仕掛けさせていただいた。

 彼のように大活躍するクラスメイトは例外的な存在かもしれないが、昔の友達たちとの時間は、誰しも特別なもの。会うだけで気持ちも若返り、それぞれの近況を聞き、元気も出る。そして旧交を温めに参加できる立場にいる自分の、今ある幸せを感じる。今年初めに大学の同じ学科の連中と集まったときも同様だった。

 そんな大切な友達、思い出すだけで元気が出る親友たちのことや、その親友たちに初めて出会ったときのエピソード。高校時代に挑戦した思いで、若き日の過ちも含めて、反抗期のお子様に語っていただきたいと願う。中学生たちにとっては、これから出会うはずの本当の意味での親友の存在。反抗期の時期は今だけしか見えていない時期。そこから抜け出すには、少しずつ未来を見る気持ちを持つことが重要。子供も大人も、完了した過去にとらわれず未来を見続ける人だけが成果を残す。

 高校生たちにも、大学で知り合った同じ道を志した友達たちとの思い出、大学で学ぶとはそもそもどういうことなのか、そこにだけにある素晴らしいものを、過去の失敗も含めて、肯定的に語っていただきたいと願う。未来が明るく楽しく元気の出るものでなければ、そこに進みたいという気持ちを生み出さない。

 親として、子供に確信をもってぜひ伝えてましょう!! 「君の未来は素晴らしい、素敵な時間が必ず待っている」と!

※この内容は2014/06塾だよりに掲載したものです。
 親は子供に、「そんなことしていると、大人になったら大変」「~しないと、将来困ることに…」というような声のかけ方をしていないだろうか。
 否定語は、脳にブレーキとして働くということは、この「巻頭言」でも繰り返し取り上げてきた。確かに小さな子供に、やってはいけないをダメだと教えるには、非常に効果がある。例えば、赤信号に気づかない子供に「ダメ」と強く手を引くなど、危険な場面で不注意な行動をとらないために、強い否定語と物理的な痛みを記憶させることで、行動が抑止される効果があるのだろう。
 だが、勉強などの成長へのチャレンジが必要なことに対して、その声のかけ方では、結局はブレーキにしかならない。嫌な体験としての記憶が積み重なってしまう。反抗期になると親の言う通りには動かない。それでも親が無理やり押さえつけようとしてしまうことで、様々な問題が生じるのが反抗期の構図であろう。
 「未来は大変」と言い続けられた子供たちは、「そんな未来なら行きたくない」と思うようになるに違いない。
 勉強などの成長への挑戦は、壁に挑み乗り越えていくことが必要となる。その原動力は、壁の向こう側に行きたいという気持ちである。強く行きたいと思う気持ちが、頑張れは乗り越えられると信じる気持ちとともにあれば、強い行動を生み出すはずだ。
 そのために、待ち受けている未来がどれだけ素晴らしいものかを伝えることが、親の役目であろう。それは、勉強の先に待っているもの、大学から先で学ぶ専門的な学問の素晴らしいさでもよいし、高校からの友達との出会ったときの話でもよい。自分で努力して拓いた未来なら素晴らしいこと、大人になって、例え苦しいときがあっても、頑張っている瞬間が充実していることなどを、そのまま伝えればよいはずだ。
 まず、親が子供を信じなければ、子供を信じてくれる人は誰もいなくなってしまう。「君の未来は素晴らしい、素敵な時間が必ず待っている」ことを確信をもって伝えていきましょう。

[巻頭言2014/05より] 挑戦します!

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年05月号)

挑戦します!

 東進の林修先生の講演会、お蔭様で大好評だった。テレビレギュラー6本の引っ張り凧、当然、東進の授業も全国であり、一年の半分以上をホテル住まいのお忙しい中、1年前からスケジュール交渉をして、来ていただいた甲斐のある内容だった。

 控室で、いろいろとお話しした。さすが、真面目で謙虚なお人柄。ずっと教育論などを熱く語られていたが、折々に頭の回転の速さを感じるとともに、高い志を感じた。

 終始、考えることの重要性を解かれていた。自分の頭を使って考えることが大切で、その結果として点数に繋がっていくような勉強が本物の勉強。頭を使って考えずに点数だけとることを狙うようなやり方でもある程度の大学までは合格できるのかもしれないが、その先の社会に出てからは役に立たないと力説されていた。いわゆるパターン学習のような受け身の学習が後者にあたるのだろう。

 しかし本物の勉強を伝えることはとても難しい。ハッと閃いたり、わかって解決したりする、その瞬間のためには、その前に試行錯誤が必要だ。自己選択感が達成感ややる気の大きなカギを握っていることは、ご周知の通り。

 周りができることは、そのキッカケを用意すること、考えて立ち向かうのが当然であるような場を用意すること、そしてその経験の喜びを増幅すること。

 林先生は「教育は人(教育者)を育てるシステムがない最後の領域」と、ドラッカーの言葉を引用されていたが、敢えて、その教育者を育てること、スタッフたちを成長させることをテーマにチャレンジしたい。

 知の体験と興奮が次への意欲を生み出し続ける場の創出を目指します。

※この内容は2014/05塾だよりに掲載したものです。
 今もTVなどでご活躍の東進衛星予備校の林修先生に来ていただいての講演。ちょうどまさに「いつやるか、今でしょ!」がブレイクした年だった。その、ものすごくお忙しいスケジュールの中、来ていただいた。あまりにも忙しいので、東進での予備校の先生としての契約以外は、専門のタレント事務所と契約されたそうで、すでに簡単にスケジュールがとれなくなっていたのだが、その前からの約束ということで、きちんと義理堅くお時間をとっていただけた。
 保護者のご期待も最高潮、予約受付直後に満席、キャンセル待ちになり、当日、大きな会場が超満員となった。
 控室でも、お時間を結構とっていただいて、いろいろとお話しできたが、とても真面目なお人柄がよく伝わってきた。林先生は、実は理系が得意で、東進でスタートするとき、英語か数学の先生でという話になったが、予備校の世界ではどちらも物凄いレベルの人たちがいる、自分が勝てるのは何かと考えてて現代文を選び、そこで一番になるように努力したとおっしゃっていた。林先生は、今でもTV番組に出演するときは、事前に必要な知識を十分に勉強してから臨むのだと聞いている。
 のちにTV局関係の方の裏話で聞いたが、林先生は、ブレイクしてあちこちのTV番組の引っ張りだことなったとき、TV局のスタッフの方たち、とくに制作や裏方の方たちにもとても丁寧な態度で接していたのだという。その真摯な姿勢と努力が、その後の縁をつなぎ、今の大活躍へとなったのだろう。
 この講演のときも、いわゆるウケ狙いで、どこかでポーズをとって笑いをとるのかと見ていたが、最後まで、真面目に熱意を込めて教育を語っていただいた。
 講演を終えて帰るエレベータに乗るときに、保護者に連れて来られて会場外の待合ロビーで時間待ちしていた小学生たち何人かが、スタッフにそそのかされて「林先生、いつ帰るの?」と声をかけたとき、はじめて「今でしょ!」と笑顔で応じていただいた。

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控室でお願いした記念写真。
「ポーズの手の角度にコツはありますか」とお聞きしたら「ないです」とのこと。
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[巻頭言2022/10より] 民間教育の向かう先を決めるもの

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年10月号)

民間教育の向かう先を決めるもの

 先日、ある学習塾・予備校の業界誌の座談会に招聘された。学習塾・予備校に限らず私教育の中で、ICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)やDX(デジタルトランスフォーメーション=デジタル技術変革)などを中心に、これからどうなるかというテーマ。難しいテーマで、そもそも、それを論評する立場ではないと思うのだが、この業界のトップたちは、感覚的な話を語りたがる人が多いので、客観的な立場から、論理的な意見を述べよという要請(苦笑)。

 その要請に応えられたかはさておき、確かに、他の世の中の変革の中で、教育も、時代の変革を止めることはできないだろう。オンライン学習などで、コロナ禍が、教育における時代の速度を一気に速めたとも言われている。AIを利用した学習システムも、一気に登場した感がある。ただ、まだまだ今は過渡期であり、方向性を模索していて、定まっていない時期だろうと考えている。

 座談会の中で、一つ大きな違和感を覚えた話題が、LMS(ラーニング・マネージメントシステム)だ。次世代学習管理システムなどと呼ばれ、学習進捗管理を目的とするもの。確かに指導する側からすれば、進捗を確かめるための無駄な労力が省かれ、子供たちを正しい方向に導くことに集中でき、ツールとして非常に優れている。だが、学習時間を管理できることを活用して、家庭の時間のすべてを管理してほしいという親のニーズがあるというのだ。はたして中高生で、家庭の時間をすべて管理されたいと思うだろうか。管理されて点数をとったとしても何が成長するのだろうか。「ベビーシッター」に管理されなければ動かない大人に育てようとしていることに他ならない。それは、親の真の願いではないはずだ。

 民間教育は、親の近視的なニーズに迎合しがちである。全ての保護者が、しっかりと教育の「本質」に向かい合い、子供の自発的意欲を育ててほしいと願う。

※この内容は2022/10塾だよりに掲載したものです。
 10月もあと3日。塾生の保護者の皆さまには間もなく11月の塾だよりが届く。したがって、この10月の巻頭言は、月遅れのバックナンバー。
 座談会の本題は、以下に誌面全文を紹介させていただいている( http://www.randomwalk.jp/kan/ ) ので、もしご興味があれば、そちらをご覧いただくとして、「座談会」について少しネタ晴らし。
このときは、都心のある大会議室。塾予備校業界からの3人に加えて、進行や話題を振るファシリテーターとしてお一人、そして編集長。コロナ対策で、ものすごく広い会議室(シアター形式なら150人、長机のスクール形式100人、ロの字でも50人くらいの規模)にわずかに5人。コロナ禍以降、オンラインの座談会取材なども経験したので、逆にちょっと新鮮。
 途中で休憩を何回か挟み、脱線やオフレコの話なども入っての長丁場だった。
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 出来上がった誌面では、他のお二人よりかなり多い割合でしゃべっているように読めたかもしれないが、実際の時間では、それほど長い割合をとっていないと思う。またきちんと整理して、格調高く(?)話しているようになっているが、実際には少々乱雑で、まとまっていない話をしていたかもしれない。原稿は、録音(念のための複数のICレコーダーが真ん中に置かれている)を後でライターの方が原稿に起こしていただいてできるのだが、このライターの方が凄腕だったからだろう。
 こうしたライターの方の書き起こしが入るのは、話す側にとっては気が楽である。伝わりにくい部分は何度か言い直せば、あとで必要な部分以外はカットしてつなげてくれる。それに対してTVの生放送はそうはいかない。毎年の入試当日のTV解説は生放送。最後の出番は、終了時間が決まっている。しかも前の解説は結構時間が前後して、やってみなければわからない。一度、持ち時間の半分くらい超過して出番が回ってきて、なんとか時間内に収めたことがあったが、生放送の緊張感の中で、大変な思いをした。
 単独のインタビュー記事の場合も、書き起こしとなるので気が楽なのだが、初めからそう思ってしまうと、緩く油断して構えてしまうのでいけない。東進の林修先生は、TVで大活躍されているが、そのために事前の「予習」に物凄い時間と力を入れていると聞く。見習って!、とまで自慢できる話ではないが、最近は、事前に骨子を整理してから話すようにしている。
 座談会では流れ次第となり、そうはいかない。その場の流れと先の展開を考えて、話しを即座にまとめなければならない。いわゆるメタ認知が強く要請される。
 それはまるで当塾の「対話参加型授業」。先生が台本通りしゃべり、生徒が聞くだけの受け身型の授業とは一線を画すものだ。ただし教える側の瞬間瞬間の判断と対応力が重要になる。若い先生たちが、授業準備を一生懸命取り組んでいる様子をみると、その成長の可能性を感じて心強い。

 塾業界を代表する“鉄”人(笑)、少し早く着いたのでコービーを飲みながら電車を見てから行きました。ただし、藪蚊の餌食に…。
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[巻頭言2014/04より] 習慣化

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年04月号)

習慣化

 入試、発表、卒業、そして新しい出会い。慌ただしい行事とともに3月が過ぎていった。塾では3月が大きな節目だが、学校では4月、生徒たちは新しい環境に進むことになる。新しい挑戦は、大きなストレスを伴うことが多い。早く新しい環境に慣れて、活躍してほしいと願う。

 さて、つい最近、脳科学者の方から聞いた話だが、自分の意思で脳が働き、行動が起きるというのは、脳科学の実験では、あまり正しくないらしい。ついつい『意志⇒脳の反応⇒行動』のように、自分の意思、思考が、脳をコントロールして、その結果行動が起きると思いがちだが、そうではないという。

 脳の外科手術を必要としている患者の許可を得て、脳に刺激を与える実験をした結果があるのだそうだ。脳のある特定の部分をそれぞれ刺激すると、「手を動かしたい」「しゃべりたい」などのような思考が生まれるという。さらに強く刺激すると実際にしていなくても「手を動かした」「しゃべった」と思うのだそうだ。

 つまり『脳の反応⇒思考』の順に反応する。また、ほとんどの『行動』は『習慣』が支配していて、『無』意識に、潜在意識で起きるのだそうだ。

 ということは、潜在意識に透徹するまでの強い意志をもって、新しい『習慣』を創ることで、行動が変わり、考え方まで影響するということ。

 せっかくの新しい節目の季節。環境が変わることで、新しい習慣が作られる時だ。保護者の皆様、『よき習慣』を、お子様につけることを考えるだけでなく、ぜひ自ら創ることに挑戦してみましょう。

 4月12日に予定しています、「難関中学高校受験研究会Special Program」での林先生の特別講演会ですが、おかげさまで早々に満席締切となりました。ありがとうございます。

※この内容は2014/04塾だよりに掲載したものです。
 例えば、家を出て少し歩き始めてから、鍵をかけ忘れたのでは? と気になるときがないだろうか。テストを提出した直後に、名前を書き忘れたかもと心配になったことがある人もいるかもしれない。
ほとんど場合、そういうときは忘れてはいない。習慣で無意識に行動をコントロールしているとき、ルーティーン化された習慣通りの行動を再現し、予定外のミスはしていないことが多い。だから、ミスを防ぐには、習得の初期段階で、正しい習慣をつけることを徹底的するのがよい。
 それでも『確率論』的に生じる”小さなミスは防ぎにくい。一つ一つの手順を、『意識的に』確認しながら行動しなければミスを生じやすくなる。ただし、この『意識的に』というのは非常に難しい。毎回、確実に『意識的』に行動するには、意識を込めるための新たな『習慣化』をするのがよいだろう。いわゆるルーティーンを作る。
 中学生の頃、試験でケアレスミスを良くしていた。受験学年になり模擬試験などをたくさん受けるようになると気になってくる。見直しをするのだが、感触からたぶんできているだろうという潜在意識が邪魔をしてしまい、見直しが甘くなってしまっていたのだろう。あるときから、最初に戻って見直す最初に、記入した名前を一度消して、意識的に丁寧に書き直すことにした。すると見直しでミスをスルーしてしまうことが少なくなった。当時はそれは単なるおまじないかジンクスのようなもとと考えていたが、この仕事についてから思い出し、考えてみると、意識を変えるためのルーティーンのスタートの「儀式」として有効だったのだろうと推察できる。もっとも高校入学後にはやらなくなってしまったので、本当にそうだったのかはわからない。意識の状態を意図的に変える効果だったはずなので、「儀式」不要で切り替えられるようになれば意味がなかったのだろう。少なくとも、今やっても何の効果はないことはわかる。
 『意識的に』というのは心の状態で、具体的な行動ではないので、『意志』でコントロールしにくい。『行動』によって変えるのがよいということだ。
 こんな話を書いたのは、実は、今朝、家を出て少し仕事場に向かったところで、鍵をかけたかどうかが気になり戻ったからだ。もちろん鍵はかかっていた…(苦笑;)
 習慣化と意識的の両極端の並立。
 「有意注意」で集中して行動しよう。