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[巻頭言2023/06より] 時代の流れの行方

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年06月号)

時代の流れの行方

 公益社団法人である全国学習塾協会主催のシンポジウムに参加してきた。全国6箇所で開催する会の東京の回。その前日も全国の地域有力塾有志が集まる定例の勉強会に参加し、さまざまな情報交換をしてきた。このあと東進衛星予備校加盟校の全国大会も、今年は元通りの2日間の形で開催予定である。コロナ禍以降、全部停止していたものが、しばらくの徐行期間を挟んで、ここに来て再開した形。

 さて、参加したどちらの会でも一番のテーマとなったのが、いわゆるICTやDXなどのIT技術関連。その中でも、最近マスコミ等でも話題の「生成AI」が中心となった。すでに、資本力のある大手では、模試やどのような形で応用できるか、研究から実証実験も進んでいる。その他、学習進捗管理LMSや、AIを活用した学習システムなどさまざまなものが登場したが、使う側の塾・予備校が、どの方向にどの程度進めようと取り組んでいるかがよくわかり有意義だった。

 コロナ禍によって、塾予備校ではオンライン技術を利用したものが一気に普及した。時間の流れを短縮したと言える。AI活用による指導も学習アプリだけでなく、東進の志望校別単元ジャンル演習講座もすでに実用化し、実績を上げつつある。AIが人間を追い越すシンギュラリティ問題も間近に迫る部分が少なくないはずだ。

 だが、今のところ、少なくともやる気を引き出す部分は、人と人との直接的な接触によるものを超えることは難しい。さらに、そのやる気は、誰か他人から受けとって引き出してもらうという受け身のものよりも、周りが自分を見てやる気が出たと言ってもらえるくらいに、自らやる気を出してやろうという積極的、能動的なやる気が一番強く持続する。塾予備校の役割は、単に問題解法をわかりやすく教えることではない。やる気を高い状態に励起する場としての役割の方が重要であると考える。そのような場を目指すとともに、技術開発ももちろん同時に進めていく。

※この内容は2023/06塾だよりに掲載したものです。

 いきなり余談から。
 このシンポジウム、パネルディスカッションの登壇者は、協会からあらかじめ各回の地域を考慮して選ばれ、毎回替わる。当然、誰が何を話すかはわからない。とくに東京会場は、初めの時期の開催だったので、進行の予想がつきにくかったらしい。そのため、時間が余ったとき用に、実は、何か話の内容を踏まえて会場が盛り上がる質問をしてほしいと、当日急遽依頼されていた。ここで仕込まれていたとネタバラシしてしまっていいかはわからないが、もう全日程はとっくに終了したのでよいだろう(笑)。
 その質問の時間どころか、予定の時間を超過するのを抑えるのがなんとかやっとというほど、本題は盛り上がった。終了後、情報交換のための懇親昼食会がもあったのだが、そこで各々個別の質問や情報交換も時間いっぱいまであちこちで続いた。どうやら用意された軽食も食べる余裕がなく、ほとんど残っていた様子。
やはりDX化の波を実感してのことだろう。

 ところで、話は変わるが、県教委から公立高校の入試の採点に関して、大きな変更が発表された。出題方針は変えないが、解答用紙と採点方法を変更をするという。選択問題はマークシート式を採用し、記述問題はデジタル採点システムを採用するとのこと。
 幸い、うちの塾では、普段の毎週のテストもデジタル採点システムを利用している。生徒にとっては慣れている方式だ。さらにこの夏期講習の毎日の演習テストもすべてデジタル採点化したところだ。
 この春の高校入試での採点ミス、合否判定ミスがきっかけで、思わぬ大きな変革の波が押し寄せることになったが、変革は、準備してあるところには大きな影響を及ぼさない。

 先を予測するのは誰にもできないが、予測できない状況の変化に対して、組織的に対応できる力を準備することことできるはずだ。それは、どんな出題傾向の変化が起きても、合格できるように準備する受験生のやり方とまったく同質ものであろう。

 「幸運の女神は準備された人のところにしか微笑まない」(細菌学の開祖ルイ・パスツールの言葉Louis Pasteur)

シンポジウムの様子
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東進衛星予備校全国大会
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最優秀校表彰式
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[巻頭言2023/03より] 両極端を同時に並立する

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年03月号)

両極端を同時に並立する

 これを書いている今日は、東進志田晶先生による特別公開授業を開催する。久しぶりの公開授業となるが、実は鎌取駅南口校では初だ。開校当初からたくさんの生徒さんが来てくれたので、拡張を何度かしてきたが常に設備の限界で余地がなかった。新館開校でやっと可能になった。その初開催は、光栄にも数学科のエース志田先生に来ていただく。昨夜、就寝前に少しは問題を見ておこうと思ったのだが、問題が面白くて結局全部解いてしまった。今日の授業の解説が楽しみ。

 共通テストも3回目となった。数学はさすがに昨年より易化とはなったが、方向性は昨年までとは変わらない。いろいろ思うところはあるが、結局一番の違和感は、解いていても面白くないのだと改めて気づいた。もちろん志田先生の題材も最近の入試問題。解の絞り込みなど多少作業性が似ているのだが、この違いはどこにあるのか。それは昨年も触れた方策の誘導にある。共通テストは現実の問題を取り入れようと誘導文が長い。その分、解き方の方策を自力で自由に考える余地が少な過ぎるのだ。数学の面白さの根源は考えることにあるのだろう。

 先日出張の合間に、大学時代の友人の一人に久しぶり会うことができた。学生時代、彼は飛びぬけて優秀で、日本を代表するメーカーで活躍しナンバー3まで行きながら早期退職した。お茶をしながらの雑談の中で、共通テストの話題に触れ、素早く要点を把握する力、判断する速度の勝負になり過ぎて、じっくり粘り強く考えることが軽視されないか心配と話したら、「そういうテストなら俺はもっとできたな」(笑)と言われて、なるほど、その点は私も同じだったと思った。

 どの能力の方が重要ということではなく、どの能力を試されても力を発揮できる人に育てることこそ、教育の本質だろう。それは両極端の力を並立させるような道かもしれない。困難な道ではあるが、そこを目指すつもりである。

※この内容は2023/03塾だよりに掲載したものです。

 2月上旬に、神戸まで久しぶりの長距離出張に行った。コロナ禍が始まって以来なので3年ぶり。関西で大雪で大混乱となった翌日で、新幹線が滋賀県内で大幅に遅れての到着となったが、結構遅い時間まで続く会議なので、後半になんとか間に合った。全国からの同業の会議なので、当然、業界、教育などのテーマでの情報交換が長い時間続く。翌日は、朝から六甲山をくぐり抜けての視察。新しいコンセプトの校舎を見学(新しい発想の部分は、まだマル秘のものが多数だそうなので写真でお見せできないのが残念)。
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 そのあと、帰路の乗り継ぎの合間に件の大学同期と会う予定を入れていた。積雪の残りの渋滞で大幅に時間がずれてしまい、途中で電車移動に切り替えてなんとか間に合った。
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 そんな頭が整理できていないところでの、本編の「そういうテストなら俺はもっとできたな」の話。ズバッと切り込んだ本質をとらえた意見にハッとした。なるほど難関の大学では、当然二次試験がある。じっくり考える力はそちらで見ればよい。その両面を試す方向への改革と考えれば、確かに悪くないかもしれない。少なくとも、知識偏重だった過去の入試に比べれば、良い方向へのひとつの大きな変革であるとはいえる。そして、この改革までがゴールではないはずだ。さらに次の進化をするための、これが一歩目だったと言えるような方向に進んでくれればそれもよいのかもしれない。

 だが、それでも強調しておきたい。この数学の問題は、やっぱりあまり面白くない。問題が面白ければ、受験生も、もっと学びたいという素直な気持ちが生まれるだろうに...
 受験勉強は、厳しく自分を律することが必要だが、それは単なる難行苦行ではないはずだ。厳しいと楽しいは両極端でも並立する答えがあると信じる。なんとか勉強の楽しさを、同時に届けていきたい。

 志田先生の授業は、とても面白かった!
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[巻頭言2023/05より] 向学の志

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年06月号)

向学の志

 学士会館にて民間教育大賞受賞式に参列し、高齢で本人欠席のため受賞者挨拶を代読してきた。この栄誉は、塾生たちの頑張りと、保護者の皆様のご理解ご協力で、塾が長い間かけて発展してきたおかけです。ありがとうございます。

 さて、奇しくも「帝国(東京)大学発祥の地」の学士会館での受賞、こんなときしか機会がないので、父の話も書いておく(少々自慢話臭いですがお付き合いを)。

 亡父郁夫は旧制の学校制度での京都帝国大学の学生のときに、学徒出陣となり、満州の厳しい戦地で従軍した。ソ連に追われながらなんとか復員。戦後の混乱期に父親を亡くし苦労した上で、のちに復学し卒業した。清水家は徳島市の隣町で元禄年間から過去帳が残る名字帯刀を許された医者の家系と聞く。墓のある山から見渡す限りの田園地帯一帯は清水家の土地という大地主の長男だった父、子供の頃から学問が好きで、祖母にそんなに勉強すると身体を壊すと叱られていたと言う。戦後の農地改革ですべての財産を失い、子供の頃からの夢だった学者の道を諦め、京大卒業後、会社員に転じる。家族の生活を守るために仕事を続け、大手生保本社から、のちに得意の語学(本人曰く5か国語できる=英語、独語、仏語、露語、関西弁)を活かし外資系に転じて定年、塾でも英語の指導で手伝ってくれていた。そんな忙しい仕事の中、「文武両道」と一念発起、合気道を習い始める。遅く(私が幼児だった頃)始めたハンディを努力で乗り越え晩年には7段まで授かり、亡くなる直前まで、全(オール)三菱合気道部創設者、京大合気道部名誉部長として後輩の指導を続けた。学問の道も晩年まで諦めず、書斎の1万冊を遥かに超える蔵書の山に囲まれ、フランス文学の研究を続けた。

時代の運命で自由に夢を追い求めらずとも「向学の志」を持ち続けた。今は努力で自由になる時代、「向学かつ好学」を塾生たちへ受け継いで行かせたい。
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※この内容は2023/04塾だよりに掲載したものです。

(この話は前回の続きです。また表彰式後にも書いていて、繰り返しになるので、以下のリンクをご参照ください。)

https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=660

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[巻頭言2023/04より] 感謝とともに頑張ります

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年04月号)

感謝とともに頑張ります

 母である当塾創業者塾長清水妙子が、日本民間教育大賞「民間教育最高功労賞」を受賞する(表彰式は学士会館3/22開催、この稿はその前に書いている)。大変栄誉ある受賞で、すべては当塾で勉強を頑張ってくれた卒業生たち、塾生たち、そして保護者の皆様のご理解とご協力のおかげで塾が長く発展することができたからである。この場をお借りして感謝します。ありがとうございました。

 塾長は92才になったが元気で過ごしている。少し振り返ってご紹介しておく。

 昭和6年、京都市に生まれ、戦中戦後の混乱の時代に思春期を過ごした。戦時中の女学校時代、空襲警報のサイレンが鳴る中、地下の下駄箱室に避難しながら、先生から聞かせてもらった西洋史の話に胸が躍り、専門的な学問を学びたいと思う気持ちを強く持ったという。先生と同じ奈良女高師を目指すように奨められたが、戦後、新制大学に制度が変わり、女子が大学に進学できるようになった1期生として、京都教育大学教育学部に進学、史学科で人文地理学を専攻した。
 2万人受験した京都府教員採用試験にトップ合格し、明治2年日本初の公立学校として開校した柳池校の伝統引き継ぐ京都市立柳池中学校に赴任、7年間教員として子供たちに社会科と美術科を教えた。夫郁夫の東京転勤にともなって退職、子育てに専念した後、千葉に転居。子育ても一段落し、大手学習塾での講師を1年半勤めた後、塾がなかった外房線誉田駅前に塾を開く。
 当時は、時代遅れで学校が荒れていた田舎で、学校では、勉強したい子、ちょっと勉強ができる子というだけで仲間外れにされてしまうようなところだった。その子供たちに、純粋に学問の面白さ、楽しさを伝えたいと、毎日たくさんの話をし続けることに専念した心が、地域に浸透し今の塾を創ってきたのだろう。

 スタッフ一同とともに、その志を受け継いで、子供たちに伝えていきます。
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※この内容は2023/04塾だよりに掲載したものです。

(このときの話は、表彰式後に、すでにここに書いた。繰り返しになるので、以下のリンクでご参照ください。)

https://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/blog-diary-kanopen0/blog-diary-kanopen0.cgi?no=660

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[巻頭言2023/02より] 受験は団体戦!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年02月号)

受験は団体戦!

 コロナ禍の第8波が見通せない(1/12現在)。今年も、毎年恒例のこのタイトルを書くときとなったが、コロナ禍に触れる書き出しは3年連続となった。思えば、今年の受験生たちは、3年間をコロナ禍とともに過ごしてきた。機会を失ってしまった行事なども少なくなかったはずだ。そのまま次のステージに進む。若き日の体験は、そのときその瞬間だけのもの。せめてこのコロナ禍での、いわば特殊な体験が逆に将来に生きてくるように願う。そのためにも、この受験の本番で持てる力を出し切れるように、最後まで「心」の指導に最大限に努力します。

 受験では「心」が大切だ。「志」と「心のコントロール」の両面が必要だろう。一発勝負の本番で、持てる力を発揮するためには、いわゆるメタ認知による心のコントロールが必要となる。一段高い所から状況を判断する能力である。例えば、閃かずに詰まったとき、待てよと問題文を読み直そうと判断したり、上がっているときでも、自分は上がっているなと観察したりできれば、追い込まれていても力は発揮できる。

 その力を伸ばすのは、修羅場を経験することが一番であろう。ただし、ただ経験するだけでは成長できない。極限状態の自分の心をモニタリングし、改善点を具体的に見出しフィードバックすることによって力は驚異的に伸びる。もちろんその課題点に対しての具体的対策を繰り返して次の本番に臨む必要があるのは言うまでもない。

 塾では長い間ともに切磋琢磨してきた仲間たちと、ラストスパートで実戦に取り組む時間を多く過ごす。それは、お互いに比較することで課題を見出すためだけではない。同じように勉強してきた仲間たちの頑張る姿が、自分の力になる。そして自分の努力が周りの力になると信じ頑張る力を生み出す。だからこそ、逃げずに受験に立ち向かい続けてほしい。

 チャレンジする心を育てることこそが、次のステージを切り拓く力になるはずだ。

※この内容は2023/02塾だよりに掲載したものです。

 WBC準決勝、決勝の息詰まるとき、そして歓喜の瞬間。スポーツの世界では「団体戦」の意義が目に見える形でよくわかる。もちろんそれは超一流の選手たちの厳しい鍛錬の末での、わずかな差が大きな結果を分ける凌ぎ合いが見えるからだからこそであろう。
それに対し、一般には受験は個人の競争と捉えられがちである。確かに個人の能力と努力の高低を競い結果が決まるように感じられる。しかしその見方にとらわれていると長期的には力を発揮しにくくなるのではないだろうか。
 周りよりも少しでも勝てばよい、さらには人を蹴落としてでも自分だけが生き残ればよいという利己的な考えに陥りやすい。そのような勝ち負けに拘る考えでは、短期的な成果を求めてしまい、却って長期的な大きな成長を得にくくしてしまう。
 そもそも受験自体は目的ではないはずだ。将来に向けて、自分の力を成長させるための大きな機会のはずである。自分の課題を真正面から正しくとらえ、逃げずに鍛錬に立ち向かう。切磋琢磨とは他人と競うことではなく、仲間と刺激し合いながら、厳しく自分を律し、自己と闘うものであろう。
 これまで、そのような『磁場』の力が、飛躍的な成長を引き起こす場面をたくさん見てきた。
 さらに、強い『磁場』に導くようにしていきたい。

[巻頭言2023/01より] フィードバックの重要性

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2023年1月号)

フィードバックの重要性

 「TOP GUN」という名称は、今年、映画続編が大ヒットしたので、皆様ご存じであろう(実は私は新作も前作も見ていないので内容を知らないのだが…)。ベトナム戦争時に空中戦での戦績が悪いことに対して、航空格闘戦いわゆるドッグファイトの訓練のために作ったアメリカ海軍戦闘機兵器学校という組織の通称だという。厳しい訓練を習得したあと、部隊に戻り、その技術を教導し、同様の組織を作らなかった空軍の戦績が変わらなかったのに対して、大幅に向上させたそうだ。

 これを聞くと厳しい「訓練」によって能力を伸ばしたと、単純に思い込みがちだが、実際に大きな効果を発揮した要因は、少々違うらしい。

 前提として「コンフォートゾーンの外」に追い出す訓練だったこと。コンフォートゾーンの外とは能力の限界を少し超えた負荷をかけた過酷な状態という意味だ。

 その上で、最も効果があった要因は、フィードバックに基づく再訓練だったという。訓練では能力の高い教官が圧勝する。その直後に、録画した映像を見ながら、そのときの状況判断について、振り返り、気づかせる質問をすることで、自分で考えさせる。翌日、同じ状況で再度訓練をする。これを繰り返したのだそうだ。

 勉強に限らず、どんなことでも努力は重要であることは間違いない。しかし、ただ努力するだけでは能力は伸びないということを、正しく理解する必要がある。

 3つの誤解の排除が必要だという。1つ目は、能力の限界は遺伝的特徴で決まると考える誤解。2つ目は、長い間継続すれば上達するという誤解(ただ継続するだけでは、停滞し緩やかな低下を招く)。最後は、努力さえすれば上達するという考え方(改善すべき課題を特定し、そのための練習法でなければ能力は伸びない)。

 課題を自ら見つけ、考え、立ち向かわすためには、その訓練をフィードバックする役割が大切ということになるだろう。それこそが私たちの仕事である。

※この内容は2023/01塾だよりに掲載したものです。
 映画のTOP GUN、正月の休みを利用して、ようやく1作目だけは見た。(2作目はまだ見ていない(苦笑;)
 映画では、物語に必要な最低限の部分は取り上げられたところもあるが、この通称TOP GUNと呼ばれている、アメリカ海軍戦闘機兵器学校United States Navy Fighter Weapons Schoolという組織自体については深くは述べられていない。元の論文が見つからず、引用の伝聞情報からで、引用元により数値等が異なるものがあるのだが少しまとめておく。
 ベトナム戦争の初期に、米海軍1機失うごとに、北ベトナム軍3.7機の割合で撃墜していたのが、1:2に低下、1968年には1:1にまで下がる。
 その対策として設立されたのがアメリカ海軍戦闘機兵器学校、通称TOP GUNなのだそうだ。研修生は、海軍の中でも優秀なパイロットが選抜されたが、教官には、さらに最高のパイロットが選ばれ敵役となって、毎日、撃墜寸前まで追い込むような戦闘演習を繰り返す。研修生は定期的に入れ替わるが、教官はずっと残って経験を積むので、圧倒的な差になったらしい。
 ポイントはそれからだ。訓練の後には必ずセッションが行われ、データをみながら何を考え、どう選択し、他にどんな選択肢があるかを徹底して詰問され考えさせられたという。そしてまた実戦訓練の繰り返し。
 それらを通して、比較にならないほどの経験を積んだ訓練生が、こんどは所属部隊に戻り、訓練担当として周囲のパイロットに伝えていったそうだ。
 結果は劇的で、1969年の空爆停止期間ののちの1970年から1973年には1:12.5になったという。さらに、この劇的効果から、空軍も加えてベトナム戦争終結後も訓練は続けられ、湾岸戦争の初期には1:37と歴史上の例のない圧倒的な勝率になったという。
 
 質の高い指導者の育成こそ、私たちが取り組むべきテーマである。
 ヒントはまだまだたくさんある。一つずつ取り組んでいこう。

[巻頭言2022/12より] 創造性を引き出すには

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年12月号)

創造性を引き出すには

 ちょうど読んでいる本に興味深い記載があった。米国の企業組織論の中でだが、クリエイティブであり続ける組織のマネジメントに関する記述で、実現可能なアイデアはいくらでもあるはずなので、組織がクリエイティブにならない原因は、部下のアイデアや能力が足りないのではなく、上司のアイデアを受け入れる力が足りないのだと指摘する。マネジメントする側が、部下のアイデアを検証する前から、思いつく限りの欠点や問題を指摘し、潰す評論家のようにふるまわないことが必要だという。日本の組織では、もっと身近にありがちな話しではないだろうか。

 そしてこれは、そのまま子供の教育に対する指導者や保護者の立場に置き換えることができそうだ。失敗させまいと、子供の悪いところを強く指摘することで、そもそものやる気を失わせてしまってはいないだろうか。それは、勉強だけに限らない。成長ではなく、短期的な勝利を優先してしまうような少年スポーツの指導にも当てはまりそうだ。型に強くはめすぎる指導は、初期は早く伸びるかもしれないが、いやいやの練習を誘発し、自ら創意工夫し、努力を惜しまず伸び続けようとする原動力となる気持ちを削いでしまうことになる。

 では、どうすればよいか。この答も列記されていた。あら探しをしない。失敗しても、叱責するのではなく、次へ向けての気持ちを引き出し、励まし、後押しする。もしその失敗を自分がやったなら、どう扱われたいか、どう扱われたらやる気になるだろうか、と考えれば、どう扱うのがよいかの正解を探すのは容易だろう。

 さらに好奇心を刺激することが大切だと説く。それには質問が有効。指導する側が命令ではなく質問で、追い込むような質問ではなく問いかけで気づきを引き出す。そして本人の疑問からの質問を導き、それを認め聞き入れる姿勢がカギだ。

 すべて、そのまま教育に対しても、示唆的ではないだろうか。

※この内容は2022/12塾だよりに掲載したものです。
 コロナ禍が長期化して、子供たちへの影響がじわじわと表面化してきている気がする。3年近くという期間は、従来なら体験できたはずの多くを失ったまま、受験学年の生徒たちは、高校生活、中学生活を過ぎ、次のステージに進まざるを得ない。
 来年度新卒の学生たちの就活時期には「ガクチカ」のネタがないというのが話題になった。「ガクチカ」とは「学生時代に力を入れたこと」を略した、就活での定番の質問のことである。確かに、学業だけでなく、サークル活動やアルバイトなど、学説自体にしかできない体験のほとんどを知らずに社会にでることになる。それでも受験生の中高生たちと比べれば最初の一年間があっただけましなのかもしれない。
 しかし、過ぎ去った過去について言及しても得られるものはない。前向きに好奇心をもって次のステージに進むために、今できることに集中してほしいと願う。
 そして、来る新年、さらにその先の未来が彼らにとって素晴らしいものになるように、明るく前向きに、夢と希望を抱いて進むことを願う。
 私たちもできることをやり遂げることで、応援していきます。

[巻頭言2014/10より] 原動力は好奇心

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年10月号)

原動力は好奇心

 幕張メッセで開催されていた宇宙博を見た。子どもの頃からの年季入りの宇宙好きとしては物足りなさもあったが、普通の人が余り注目しないようなものでも、「ああこれ」がと好奇心を満足させられるものがたくさんあり、楽しい半日を過ごした。

 理系、とくに工学的なモノにいつから興味を持つようになったのかは、自分でははっきり記憶がない。特別な体験がきっかけになったわけではないようだ。おそらく、遊んだおもちゃ、読んだ本、テレビなど様々な周りの環境と経験が積み重なって、そういう指向性を作ってきたのだろう。前に紹介した同級生の東大教授Fくんと前に二人で飲んだ席で、彼が化学に興味を持ったきっかけについて聞いたことがある。小学生の頃、父親に化学実験器具を買ってもらったのだそうだ。それがうれしくてずっと遊んでいたらしい。その当時はわからなかったが、その連れて行ってもらった店は、大学の研究室が購入するような専門店だったのだそうだ。

 子供の頃の影響は大きい。ただし、親がよかれと思っても、あれしろ、これしろと、勉強と役に立つものを押しつけてしまっては、うまくいかない。役に立たないようなことも含めて、たくさん興味をもって、自ら経験したことが、のちに活きてくる。勉強だけで、純粋培養して育てすぎるのはあまりよろしくないようだ。

 さすがに受験生は、いよいよ追い込みのシーズン。直接成果につながらない脱線をしている暇はないが、受験生以外は、ぜひさまざまな知的な体験をさせていただきたい。今のうちなら、一見挫折にみえることでさえ、次の成長の糧になる。

 土台がなければ、高いゴールを目指せない。太い根を、大きく広げるような知的な好奇心を育てる機会や環境を、親も意識してみよう。
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※この内容は2014/10塾だよりに掲載したものです。
この宇宙博に行ったときのことを懐かしく思い出した。宇宙は、子供の頃の記憶の中では、魅力的な希望に満たされていた。
小学校の図書館で、一時、毎週末、冊数の上限まで本を借りて帰っていた。これが読みたいという本を、ではなく、あまり選ばずに決めていた気がする。だから、ほとんどは、読み始めで面白くないとそのまま読まずに返していた。あるとき偉人伝のようなシリーズを端から順番に借りていた中で出会い、興奮したのがフォンブラウン博士の伝記。だから、この宇宙博で一番感激したのは、フォン・ブラウン博士愛用のテンガロンハット。マニアック(笑)。
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その帽子を、フォン・ブラウン博士の、子供の頃からの夢、宇宙旅行を、ナチスドイツ時代のミサイルV2号の開発から、アメリカ亡命、不遇時代を経てのNASAでのアポロ計画で、実現に至るまでに思いを馳せ、見入った。

 今、コロナ禍で、子供たちがさまざまな体験ができるチャンスが減っている。子供たち一人ひとりに、どんな分野でどんな活躍をする未来が待ち受けているかは、大人が決めるものではない。子供の純粋な好奇心が原動力となるはずだ。
そんな心を育てていきたいと強く思う。
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※この宇宙博は撮影可能でうれしかった。
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[巻頭言2022/11より] 吾、十有五にして…

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年11月号)

吾、十有五にして…

 「飢えて困っている人に、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という言葉をご存じだろうか。公式ブログの巻頭言バックナンバー記事に関連して、この言葉の出典が少々気になり調べてみると、中国の故事と言われているが、文献として確認できる一番古いものは19世紀のイギリスの小説だ、と見つけた。

 それはさておき、この言葉は、海外協力の世界などではよく引用されていたが、教育の世界でも引用されることが少なくない。「勉強」を教えるには、単に知識を教え憶えさせることや、問題の答を教え解答できるようにすることではなく、「勉強」のやり方・方法を教えることの方が重要だという意味となろう。

 もちろん、その考え方は大切である。その考え方での教育法を追究することも必要だ。まだ十分に究められているとは言えない。だが、現代の日本の子供たちに求められる教育は、それでは足りないと考える。それだけでは、結局、教えられた方法でしか課題を解決できない大人へと成長させることに繋がるだろう。

 自ら解決法を生み出せる人を育てなければならない。そのためには「勉強法を教える」を越え「勉強の目的意義」を明確にすることが必要ではないだろうか。

 ただし、使命感で行動が迷わず強く持続できるようになるには、かなりの年月が必要だ。論語では「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とある。渋沢栄一著「論語と算盤」では「(15歳にして)学に志すは大いに疑問で、これから大いに学問をしなければならないな、くらいに考えていただけではないか」とある。使命とわかるのは50歳だ。

 10代の子供たちには「勉強の楽しさ」を教えることの方がさらに重要だ。(私は釣りは知らないが)釣りが楽しければ、釣り方を考える工夫をするようになるに違いない。そして楽しく釣る人は「釣りの楽しさ」を伝えることができるはずだ。

※この内容は2022/11塾だよりに掲載したものです。
 知識や答えを直接教える =「勉強を教える」ではなく、「勉強のやり方」を教えることの方が大切であることは言うまでもない。
知識を直接教え込み、目の前の点数を取らせるような「勉強」を押し付け教え込んだとしても、教えている者を超えるところにはたどり着けない。そして、そのような勉強は教えられている側の視点で見ると、やる気を生み出しにくい。
 だから「勉強のやり方」を教えることの方が重要だ、となるのだが、そもそも、教えようとしているその勉強法自体がはたして正解なのか、明確なエビデンスがないことが少なくない。
 さらに、習ったやり方でしかできない人間に育ててしまったならば、真の創造的な成果を生み出す人にはなり得ないはずだ。
 自ら課題を見つけ、解決の方法を考えて生み出し、成果がでるまでやり続けるような人間を育てなければならない。最近の「探求型学習」や「アクティブラーニング」という考え方は、その線上にあるものだろう。
 ただ、そのためには、指導者をどう育てるかと、学習のプロセスをどうカリキュラム化して一定の再現性のある品質に作り上げるかという2点の大きな問題がある。「教育法」の「科学的な追求」が必要であると考えるが、それはまた別の機会に譲る。
 初期の教育段階では、それらの前に「やりたい」という気持ちを引き出すことがもっとも重要である。どんな困難に出会っても、諦めずにやり続ける人たちには「使命感」という共通の要素がある。ただし、本題で述べたかったことは、使命感が強く形成されていくのは成長のかなり後の段階であるということだ。
 それまでは、やりたいという素朴な原動力、「楽しい」を伝えることが一番だと考える。
 「学ぶことは素敵なこと」なのだ。

[巻頭言2014/09より] 目標と挑戦

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年09月号)

目標と挑戦

 夏期講習も無事に終了した。受験生にとっては、ひとつの限界に挑戦した夏になったはずだ。そして、いよいよ志望校に真剣に向かい合う時期を迎える。

 ゴールを最初に描くことは、ものごとを成功に導く出発点である。そしてそのゴール地点の設定をどこにするかが、とても大切なことだ。目標は高い方がよいとよく言われるが、それは必ずしも正しいとは限らない。

 筋力トレーニングでは(目的とするのが筋力の瞬発力なのか持続力なのか筋肉量なのかで異なるそうだが)、ウエイトが重いほどよいわけではない。また回数が多ければよいのでもない。最も効果的なトレーニング法は10~15回の反復回数で自分の限界に達する適正な負荷をかけ、それを越えようと力を振り絞って頑張ることだという。この原理は脳でも同様だ。自分のできないこと、少しだけ難しいことに挑戦し続けることが、脳を一番活性化させるのだそうだ。他人とどちらができるかという比較ではなく、本人の限界を超える挑戦に意味がある。

 もちろん低すぎる目標では成長を促さないが、高すぎる目標も意欲を生み出さない。できると確信できる限界ギリギリを少しだけ超えるところに設定することが成長の大きなカギ。ただしその限界点は、客観的な判断ではなく本人の潜在意識が支配している。周りが無理に高くすると、挑戦する意欲を失うだけ。高く挑戦する気力が足りないときは、まず届く目標を決め、できるだけ早くクリアする。達成が意欲を生む。その意欲で、次のより高い目標を目指す。この適正な負荷と前進感が、気力を創り、結果を実らせる。

 保護者の皆様、お子様にとって常に適切な負荷となるように、その時期の目標をお導きください。

※この内容は2014/09塾だよりに掲載したものです。
 目標設定能力が、その人の能力を大きく決めるという話は重要なので、繰り返しとりあげている。長期的に追跡した研究も発表されている内容だ。
 ここでいう目標設定能力とは、どこまで、いつまでに達成するかを、決める能力のことである。ただし、ここで述べているように、現状から届く結果を客観的に正確に予測することに意味があるのではない。本人が潜在意識で本気で届くと信じられる、ギリギリの限界ラインか、少しだけ上の、もしかすると、無理かもしれないが頑張れば届くかも、と思えるところに定められるかがカギである。客観的な限界ではなく主観的な限界を、自ら選ぶことができるかの能力が、その人の能力の限界を決めてしまう。
 その、主観的な信じられる限界を超えた、高い目標を無理に決めてしまうと、意欲は減退する。だから目標は高ければ高いほどがよいというのは、正確には正しくはない。行動する意欲を生み出すには、自分の努力によって結果が変わると信じていること、限界的努力をし続ければ到達可能だと信じていること、その範囲の中で敢えて最も高い目標を選ぶこと、そして自ら選択することが必要条件だ。
 ところが、自己肯定感が低い場合、信じられる限界が客観的事実より低すぎて、限界的努力が必要な高い目標を選ばないことが多い。自信のない子供は、自信のない目標を選び、それでも自信を持てずに失敗する。低すぎる目標では、意欲的な努力を生み出さない。
 そういう子供に、無理やり高い目標を押し付けてもうまくいかない。そのときは、時間軸を短く選ぶことがよい。ずっと先の高い目標ではなく、今すぐ行動すれば、すぐに結果がでるちょっとだけ高い目標を選択して行動を促し、達成体験を積み増していくことで、自己肯定感が増加する。その繰り返しで、徐々により遠くの高い目標へと進むことがよい。
 「保護者の皆様、お子様にとって常に適切な負荷となるように、その時期の目標をお導きください。」と結んでいるが、目標を選択するのは「本人」でなければ意味がない。保護者にできることは、一歩引いて俯瞰し、「本人」が、自分で選択する機会を提供することだけであろう。
 保護者として、より成長しようとしている皆様を応援します。