記事一覧

[巻頭言2013/06より] 能力は現在進行形で見よう

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年06月号)

能力は現在進行形で見よう

 まず残念なご報告から。5月に東進衛星予備校の全国大会があった。今年も運営部門優秀校の表彰は受けたが、合格実績部門の表彰から漏れた。京大や医学部、早慶上智などではしっかり結果を出したものの、東大の実績が後退したのが響いた。

 しかしながらそれは結果。そこに至るプロセスの中に、明確な課題を見つけられなければ修正して進歩することはできない。そしてその課題を解決する具体的な行動ステップに分解して落とし込めるかどうか、それを継続して続けられるかどうかが、結果を変える力になる。すでにその課題は分析し、対策を具体化した。スタッフ全員でベクトルを共有して、実行している。

 このやり方自体は、受験生のみならず子供たちの課題克服に対しても同じだ。テストの成績はある時点での現状分析に過ぎない。その中から課題を明確に見つけ出し、それに対しての対策を具体的に立てて、その実行を一歩一歩継続し続ける以外に解決する方法はないはずだ。

 もう一度、保護者としての役割を思い起こしてほしい。けっして今の成績だけ見て子供を評価してはいけない。また子供自身も成績に一喜一憂させてはいけない。まず、今の良いところを認めることから始めよう。そして、子供自身に次はどんな点数を取りたいかを描かせる。どこまで前進したいかという本人自身の気持ちを引き出すことが大切。最後に、それを具体的な行動に分解することを自分で考えさせること、未来を自分で描かせることがポイントだ。そのためには、親は子供の能力を現在進行形で見よう。必ず素晴らしい成長をすると信じる心が、肯定のメッセージを生み出し、その言葉が、本人のやる気を生み出す。

 いよいよ高校部東進衛星予備校五井駅前校を開校します。まだまだ道半ばも至りません。これからも皆様のご期待に応えるように一歩一歩努力します。
ファイル 628-3.jpg

※この内容は2013/06塾だよりに掲載したものです。
 高校部東進衛星予備校五井駅前校の開校のときである。
ファイル 628-1.jpg ファイル 628-2.jpg

 東進衛星予備校の運営ノウハウも、年数が繰り返され始めて、さらに大網白里校で3校体制となり、改善のスピードがどんどん加速してきた時期だ。いわゆるPDCAループ。組織的に取り組むことで、経営品質を一定以上の水準を保ちレベルアップすることが素早く進み進化する。
 そして、さらに次なる挑戦へと、五井駅前校を開校し、ユーカリが丘校、おゆみ野駅前校と開校を続けていくスタートになった。
ちょうど、今年、新規開校を行う状況と似ている。しばらくは、厳しい環境になるかもしれないが、その試練を乗り越えて、次へ進むつもりである。
 受験生が試練を乗り越えて成長するように、私たちの能力も未来進行形で捉えて、さらなる高い経営品質を目指します。

[巻頭言2022/08より] 不易と流行

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年08月号)

不易と流行

 先日、ある学習塾全国団体から、大変立派な感謝状をいただいた。表彰状には、素晴らしい文面の表彰理由が書かれていたが、その実態は、単に長く会員であったということに対する表彰なので、自慢できるようなものではない。まあ、記憶のためにと思い、知り合い以外には非公開のSNSに祝辞無用と念押しして、何気なく写真をアップしたら、そこそこのおめでとうの言葉をいただいてしまった。意に反して、少々得意げな公開となってしまったかと後から汗顔の至り。

 もちろん、そこまでだけなら、ここに取り上げることではないが、いただいた言葉を読みながら、改めて思い直す。40年を超えて長く続けているということだけでも、意味のあることなのかもしれない。その間に、中小塾、個人塾の多くは淘汰され、塾長の高齢化で廃業になった。大手塾も栄枯盛衰が激しく、昔の有名塾のかなりの数が消えていき、また看板は残っても買収され、人や中身は全く別のものになったところも少なくない。そして世の中からは忘却の彼方へ。

 民間教育に限らずどんな業種、仕事でも、時代を超えても変わらない志を追求し続けながら、時代の変化に適応して存続するだけでも難しい。その盛衰を決めるのは、周りの社会からの評価である。一個人だけなら、それでも体力気力が続く限りは可能かもしれないが、組織化して人の思いを集めながら、存続だけでなく、成長し続けることは、一般的に、非常に困難だということだろう。

 思い返すと、私たちは単調に成長してきたわけではない。少し前との比較だけでも進化し続けてきた。昔と比べたら大きな違い。当時は想像もできなかった多くのことが、挑戦し続けた結果、今はできるようになった。だが、先は遠い。本質的な教育の目指すものを変えずに追求しながら、まだまだ革新への挑戦を忘れないように進むつもりである。年初の目標「不易と流行」へ後半も頑張ります。

※この内容は2022/08塾だよりに掲載したものです。

 「継続は力なり」という。
 しかし、ただ続ける「だけ」でよいと勘違いしてはいけない。常にパーフェクトを目指し、進化し続けなければ、時代の変化に適応できず、継続して存続し続けることはできないだろう。
限界を決めているのは自分の心、ともいう。諦めずに挑戦し続ければ、道は拓けるということだ。このくらいだろうと考えてしまうことで、そこが限界となってしまう。勉強でも仕事でも、人間の営みすべてに共通することだろう。
 この「継続は力なり」という言葉は、児童文学者の久留島武彦という方の言葉だそうだ。アメリカで「考えは力なり」という言葉、「考えは、ダメだと思ったらダメなことばかり、なんとかなると思えば、なんとかなることを教えてくれる。考えは自分が作る」という考えに出合い、さらに、どんなに良い考えを持っていても継続しない考えは役に立たないと考えて、座右の銘にしたのが始まりだという。
 つまり、ただの継続ではないのだ。まずよい考えを持つこと。それに向けての努力を続けること。
 そんな思いを新たにした。

ファイル 625-1.jpg

[巻頭言2013/04より] ちょっと背中を押す

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年04月号)

ちょっと背中を押す

 塾では3月から新年度が始まり、続いて春期講習中である。学校でも、この4月、いよいよ新入学、または新しい学年に進級するときだ。

 新しいスタートは、ワクワクする。と同時にドキドキする不安な気持ちも強くなる。どんな未知への挑戦も、高鳴る高揚とともに必ず躊躇する気持ちが生まれる。怖がることはいけないのかというとそうではない。何物も恐れない行動は、勇気ではなく粗野な行動、すなわち蛮行なのだそうだ。真の勇気は、恐怖の感情を理性でコントロールして行動することから生まれる。

 未知の問題にチャレンジするときもよく似ている。後先考えずにでたらめに試行するだけでは正解にたどり着く可能性はとても低い。そして、いつまでもゴールできない疲弊感から、やり続けることができず、行動自体を停止してしまう。ただ運に頼るだけの姿勢では、運も呼び込めないのだ。

 だからといって最初から正解を求めすぎてもいけない。得点をとることにとらわれすぎた生徒ほど、いきなり正解だけを得ようとして、試行する行動がスタートできない。過程での間違えを恐れすぎては、挑戦する気持ちも芽生えない。そして、解けなければ、解き方だけ覚えて、その場だけ解決するようになってしまう。

 知能の高い子ほど後者になりがちであることに注意しなければならない。行動する前に悪い結果を予想してしまい行動を始めることができなくなりがちなのだ。

 そんなときは、横にいる大人が、過程の失敗をよいと認めてプラスの感情に変え、挑戦したこと自体を誉めてほしい。子供がちょっと不安になって振り返ったとき、親が笑顔で大丈夫とちょっとだけ背中を押すことが、次の前進への勇気を生む。

※この内容は2013/04塾だよりに掲載したものです。
ファイル 624-1.jpg ファイル 624-3.jpg
 同じ号の記事に掲載されていた写真である。
 社員合宿の写真。社員が3名しかいなかった時代から、20数年続く行事。当初から社内の研修や教育機関見学などと同時に、他塾の校舎を見学し、そこの取り組みの話を聴くものをセットにして実施してきた。コロナ禍でここ3年は中止。それ以前数年は、塾の成長とともに社員の数が増えて、受け入れ先としてお願いできる他社を準備できなくなり、社内研修のみのスタイルに変更せざる得ないことになった。
 貸し切りバスなどでの近県他塾訪問が多く、新幹線で移動したことも2回ほどあった。
 他社を見学することで学ぶことは、非常にたくさんある。現場でなければ気づけないものは少なくない。
 このような外から学ぶときには大切な姿勢が二つある。ひとつは、自分たちと異なる視点のものを見つけなければならないこと。意識しなければ、どうしても自分たちが「良い」と思う考えと「同じもの」を見つけて、やっぱりね、と安易な「肯定」をしてしまう。また自分たちの考えとは「違うもの」に対して「違う」と短絡的に「否定」する。このような姿勢では、改革や進歩を生み出さない。脳は、意図的に圧力を加えないと、同じ繰り返しの省エネを選択するのだ。
 第二は、本質を考えること。他でうまくいっていることを、そのまま丸ごと真似して取り込もうとしても、ほとんどはうまくいかない。その本質的なカギとなっている原理自体がどこにあるかをきちんと見極めて、そこから私たちならどうするべきかという考えで新しく組み立てていかなければ、成果の上がるものには発展しない。
そのような考え方で、取り組んできた。常に新しい視点で仕事を見つめ続けていなければ、停滞し陳腐化し衰退する。
 外からを刺激として、内から新しい発想が生み出す。
 学びとは、要領よく真似して答えを覚えることではなく、本質を自ら考え、理解し、それを応用し成果を上げるまで努力し続けることであろう。
 学ぶのは、塾生たちが主役であるが、その前にスタッフたちが主役として学ぶことから始まる。
 コロナ禍で、人と人との交流が簡単ではなくなっている現在こそ、意識的に取り組んでいこう。

ファイル 624-2.jpg ファイル 624-4.jpg

(例年、春の恒例行事。写真はこのときに見学した満開だった上智大学名物の土手の桜並木)
ファイル 624-5.jpg

[巻頭言2013/04より] 未知への挑戦!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年03月号)

未知への挑戦!

 新学期。新たに塾に一緒に通い始める仲間も加え、新鮮な気持ちで新しい学年の勉強のスタートのとき。

 勉強だけでなく、新しい何かに挑戦するときには、期待にワクワクする気持ちが生まれる。同時に、不安でドキドキする気持ちも生じる。期待する気持ちより、不安な気持ちが強いと、行動の最初の一歩が踏み出せなくなる。成果を生み出すのは行動である。たまたま偶然の結果に出会うこともあるかもしれないが、行動がなければ、真の成果には決してつながらない。

 行動をうまく起こせないときに、周りから手伝えること、それはまず、この不安な気持ちを小さくすることだ。不安を小さくするには、それを頭から否定するのではなく、不安な気持ちを感じること自体に寄り添って、その感情自体を普通のことと認めたうえで、それでも大丈夫だという安心感を伝えるのがよい。

 そして、行動を起こすために最も重要なこと、それは期待する気持ちを大きく増幅することだ。やりたいと思う気持ちを強くすることができれば、行動がスタートして持続する。その決め手は初対面の瞬間にあるといわれる。同じ勉強でも、初めて出会う瞬間、導入の見せ方次第で興味の持ち方は大きく変わる。そういう体験を提供できるように今年度もさらに頑張ります!

 保護者の皆様も、ぜひ子供たちが新しいことに興味を持った瞬間を大切にして、その気持ちを増幅できるように、ちょっとだけ認めてほしい。そして、大人たちも、いつまでも新しい未知への挑戦を続けていきましょう。

※この内容は2013/03塾だよりに掲載したものです。
 最初の出会いが大切である。いろいろな世界のエキスパートについての様々な研究から明らかなってきた。子供の頃の出会いが、好きになる出会いであることが絶対の条件。まず好きになる経験をたくさんして好きになってから、うまくなるための練習を始めている。そして、その練習を繰り返しうまくなってから、さらなる高みを目指すために、本格的な困難な練習を、自ら選ぶように成長しているのだそうだ。
 だから、それぞれの時期に必要とする指導者、コーチのもつ要素は異なる。最先端で活躍する人たちの多くは、意図をもって自らの環境を変えている。
 しかし、様々な経験をしてきた親は、その原理自体を正しく理解する前に、個人の体験に基づいて子供を育てがちになる。親だけでなく、教育の世界は、いわゆるエビデンスに基づいていない個人の体験で語られることが非常に多いのだ。その結果、大人が感覚的に受け入れやすい、再現性のない方法論が横行しがちになるのかもしれない。
 最初は、好きなものが楽しかったはずだ。決してうまくできたわけではない。楽しいからやり続けていくうちにうまくできるようになる。うまくできるようになると、もっとうまくなりたいと困難なトレーニングを自ら課すようになる。そのときの練習は、エキスパートたちにとっては楽しくないのだそうだ。
多くの大人は、途中の仮定を忘れてしまい、最後の厳しい練習を課して乗り越えるイメージだけを強く記憶していて子供に求めてしまうのかもしれない。
 まずうまくなくてもいいから好きになること。始めに好きになることが大切。
 子供たちにとって、勉強が好きな世界の側のものであることを願う。
 そのために大人も、勉強、すなわち未知のものと出会うこと、知らないことが分かるときの面白さを、楽しんでいこう。
 学ぶことは素敵なこと!

[巻頭言2013/02より] 受験は団体戦!

ファイル 619-4.jpg

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年02月号)

受験は団体戦!

 入試シーズンの序盤戦を終えて、いよいよ中盤戦から後半戦である。これがお手元に届くころには、中学入試はいよいよ都内入試と県内2次、高校入試は私立高校の後期入試から公立高校前期入試へ、大学入試は私大個別試験スタートの時期だろう。

 序盤戦から好調の生徒や、もう第一志望校合格が決まった生徒もいるが、中には十分に力を発揮できず苦戦している生徒もいる。もし、まだ思う通りの結果が得られていないとすれば、それは大きく成長するチャンスだ。自分の中の何か足りないものを逃げずに見つめて、諦めずに解決することができれば、その分だけ力は伸びる。学力が一番伸びるのは、入試の本番なのだ。最後まであきらめずに努力することで、自らの力で、必ず成果を掴んでくれるものと期待している。

 毎年書いているが、入試は団体戦だ。諦めずにやり続けるには、人の心はあまり強くない。一人ではなかなか頑張れない。一緒に頑張る仲間がいるから、元気出て、力も出る。そして自分と同じように努力した仲間たちが、合格したということから生まれる自信。自分が頑張る姿が、ともに立ち向かう友へ勇気を与える。切磋琢磨してきた仲間たちと最後までお互いにエールを送りあうことで、お互いの力がより大きく発揮できる。がんばれ受験生!

 さて、今年もやります! 千葉テレビ公立高校入試解答解説の番組を今年も生放送で担当させていただきます。少しでも受験生たちへの励みになるよう頑張って準備します。ご期待ください。

ファイル 619-2.jpg ファイル 619-3.jpg

ファイル 619-1.jpg
※この内容は2013/02塾だよりに掲載したものです。
 仲間とともに頑張ることで大きな力を生み出す。毎年、入試時期に、それを実感する。強い気持ちを持ち頑張る仲間がただ周りにいるだけでも、お互いに良い方向に相互に作用することがよくわかる。まさしく切磋琢磨である。
 もちろん、それは入試時期だけに限った話ではない。それまでのそれぞれの時間に作用してきたはずだ。それが、入試時期の緊迫した空気によって明らかになっただけに過ぎない。
 そしてそれは、長い時間、苦楽を共にした仲間意識があるほどより強く効果を持つ。また仲良しであることが必要なのではない。ライバルとみなして競い合っているうちにお互いを認め高め合う仲間になる。受験生の夏期講習は、その大きな体験の場となることを考えて企画し用意している。
 ライバルとの切磋琢磨から友情が生まれる構図は、スポーツのドラマ(子供たちには身近なアニメや漫画)の世界では、繰り返し描かれてきているものだろう。勉強の世界でもそれはたくさん存在し、かつとても大切なのだ。
 まず目の前の努力に集中しよう。
 頑張れ受験生。

※ その真の意味でのライバルとの切磋琢磨の様子がよくわかるのが「合格者の言葉」の中にもたくさんある。web版も公開しているのでぜひお読みください。
http://www.jasmec.co.jp/gokaku/gokakusha/gokakusha.htm

ファイル 619-5.jpg

[巻頭言2012/12より] 悲観 to 楽観!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2012年12月号)

悲観 to 楽観!

 今年も早いもので、もう年末である。房総半島は、日本で一番紅葉の遅い地域なのだそうだが、その季節ももう過ぎつつある。

 ところで、紅葉の名所は、夏は暑く冬は寒い、気候の厳しい場所だ。厳しい気候を過ごすことで、色鮮やかに秋を彩る。

 受験勉強も同じところがある。厳しい努力を積み重ねた者だけが、充実した結実のときを迎える。結果を残すものは常にストイックだ。厳しく自分を追い込むことで、はじめて自分自身を磨くことができるのだ。たぶんできるだろう、なんとかなるだろうという甘い予断は禁物、必ず最後には失敗を招く。準備のときは、最悪の悲観的な予測に基づいての準備が必要だ。

 しかし、いざ本番に挑戦するときは、悲観的では持っている力を発揮することができない。ひょっとしたら失敗するかもという感性的な不安が少しでもあると、それが失敗を招き起こす。必ずできる、成功すると信じている状態でなければ、うまくいかない。しかもそれは、信じていると頭で考えているレベルではまだ足りない。潜在意識で確信している状態までいきつかないと最大限の力は出ないのだ。そして、そのコツは本番でしかつかめない。

 いよいよその本番の挑戦の時期が近づいてきた。今は最悪の状態からでも力を発揮できるように、最後の準備のとき。もっとも悲観的な条件を想定して精一杯、準備しよう。

 冬来たりなば、春遠からじ。

※この内容は2012/12塾だよりに掲載したものです。
 毎度の季節外れである。話の流れなのでご容赦いただくとして...。
 何度となく繰り返し取り上げてきた「長期的楽観と短期的悲観」がテーマである。いわゆる「ストックデールの逆説」である。
 (ストックデールの逆説については、過去の当ブログ記事を参照ください)
 http://www.jasmec.co.jp/cgi-bin/diarykan/diary.cgi?no=446

 たくさんの経験を積み重ねてきた大人は、子供に対して、つい、目の前の「短期的悲観」を認めさせようとしてしまう。厳しい現実に直面していることを認めさせようとして、つい現実を「否定」する言葉がでてしまう。すると、子供は自己防衛として、逆の反応を起こす。親はそれに対して、さらに否定しようとして、衝突が起きる。ありがちな構図であろう。
 親の考えが「正しい」ことを主張しても問題は解決しない。親がするべきことは、子供の「考え方」を正しい方向に導き、子供の「行動」を変えることである。
 そのためには、「肯定」から入る方がよい。子供の「未来」を強く肯定し、子供が自身でそこに進みたいという気持ちを強く引き出すことだ。それから、そこに至るまでの経路を考えさせて、現実を見つめさせるようにするのがよいだろう。そうすれば現実を正しく悲観的に評価できるようになる。
 過去を否定することで現実を悲観的にさせるのではなく、未来を楽観することで、現実を悲観的に評価させるというべきか。
親の心得、指導者の心得として「長期的楽観と短期的悲観」の順で考えるべきあり、「短期的悲観と長期的楽観」の順ではない、としておく。冒頭の本題のタイトルも「悲観 to 楽観」は不正確で、正しくは「form 楽観, 悲観 to 楽観」とするべきか。
 子供たちが、常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて、素直な心で進んでほしい。

ファイル 616-2.jpg ファイル 616-1.jpg

[巻頭言2012/11より] 今やっていることを好きになる!!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2012年11月号)

今やっていることを好きになる!!

 山中先生のノーベル賞受賞後のインタビュー番組を見た。この番組インタビューアーは、今年の難関高校受験研究会Special Programでご講演いただいた竹内薫さん。科学や数学の解説でご活躍されているだけあって、一般視聴者でもわかる内容だった。とくに、いわゆる山中4因子の絞り込みの決め手になった高橋助手のアイデアのくだりは、新聞などの断片的な解説などで予想はしていたが、なるほどという解説になっていてわかりやすかった。

 最後の場面で、「科学者とは」という質問に対して、誰も知らない「"不思議" に真っ先に出会える」、「本当に、こんな面白い仕事はない」という言葉で表現されていた。そして、「どんどん続いていく若者」が出てほしいと感動的な言葉でしめられた。ちょうど2年前にお聞きした、同じノーベル賞受賞記念の根岸博士の安田講堂での講演を思い出した。(Kan's blog 2010/12/01)

 結局、道を究める人たちは、そのこと自体が好きで面白くて突き進むのだ。だが、山中先生も、はじめは臨床医を目指していて挫折したエピソードがあちこちで紹介されていたように、最初のきっかけは自分では思って意外なところにあるかもしれない。どんなきっかけでも、ただひたすら頑張ってやっているうちに、それがどんどん好きになっていく。それがなかった道を開く。今やっていることを好きになること、それがすべての始まりなのだ。

※この内容は2012/11塾だよりに掲載したものです。
 道を究め、切り拓く人たちは、結局は「面白いから」に尽きるのではないだろうか。ノーベル賞受賞者に限った話ではないが、ノーベル賞のような、究めた人にしかたどり着かない業績まで走り続けた人たちに共通するコメントの中で一番多いように思う。
 勉強の道で、一番遠くまで駆け抜けていく子供たちを、非常にたくさん見てきて、同じように感じる。早い時期から効率を求めて結果を残すことを優先するよりも、多少遠回りをさせても、自分の手で未知を知に変えて、「面白い」を体験した子供たちの方が後半になると圧倒的に強い。彼らは、何かを手に入れるための手段として、我慢して勉強をするのではなく、それ自体が面白いからやり続ける。そして決して折れることはない。
 塾生の一人ひとりのこの夏が、そんな面白いが体験できる夏になることを願う。

[巻頭言2012/09より] もうだめだと思ったときが勉強の始まり!!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2012年09月号)

もうだめだと思ったときが勉強の始まり!!

 夏期講習も無事終了。今年は、地域によっては、学校の夏休みがかなり早く始まって早く終わるので日程が厳しかったが、全てを予定通り終了した。

 受験生は朝から暗くなるまでびっしりのスケジュールを乗り越えた。始める前はこんなに頑張れないと思っていた生徒も多かったに違いない。でもやってみると、自分が思っていたより、本当はずっと大きな頑張れる力を持っていたことに気づいたはずだ。

 人の限界は自分自身の心が決めている。自分でここまでだと思った瞬間にそれがその人の限界になってしまう。本当の限界はまだもっと先にあるのに、自分自身で諦めてしまって限界を作ってしまうのだ。もし、もうだめだと思わずに、まだ限界ではないと強く信念を持ち、諦めずにそれを越えようとする気持ちで、必死にもがきながらもチャレンジし続けると、どこかでスッと限界を超えてもっと遠くまで進むことができるようになる。

 これは限界だと思っていたところまで、必死に頑張ったときにしか体験できない感覚なのだ。この夏、受験生たちはその体験をしたはずだ。いよいよ実りの秋、試されるのはこれから。まずできると信じよう。そしてどうすればできるかだけを考えよう。もうだめだと思ったときが、勉強の始まり。

※この内容は2012/09塾だよりに掲載したものです。
 脳科学の話の繰り返しになるが、ここがゴールだと思うことは「否定語」に働くという。その意味ではここが限界だと思うことも当然否定語として働くだろう。
 否定語は、脳の働きにブレーキをかけるそうだ。もう少しでゴールだと考えることや、この先で限界だと思うことで、脳の活動にブレーキがかかり、その手前から行動も落ちていく。限界だと決めつけずに、今は難しく感じるが、まだ進めるはずだと強く思うことによって、そのブレーキを弱めることが可能となる。
 未来への連続する時間の理解は、成長のかなり遅い時期に発達するという。子供は、困難に対して自分の力で努力して突破した体験が多くはないので、感覚的に現在の困難を超えた先を想像することが難しい。
 適切な壁を与え、自力で一つひとつをクリアすることで、その経験から会得させていくしかない。
 今年の夏も、塾生にとって、その夏になることを願う。

[巻頭言2012/08より] 夢を語る!!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2012年08月号)

夢を語る!!

 オリンピックもあまり観戦する暇なく、夏期講習前半が終了した。受験生にとってはこの夏は天王山。後期に向けて、お盆休み中に集中してほしい。

 ところで、オリンピックは頂上目指して競い合う者たちの祭典だ。彼らは夢を目指して努力した結果、そこに参加している。はじめにまず夢を描き、そこにたどり着くため、自分自身を磨き、そこにやってきた。

 最初に必要なこと、それは「夢」を描くこと。その点では、勉強も同じ。勉強して、~に合格したいは「夢」にはならない。そのずっと向こうにある心からワクワクするものを描くことが大切。ただし、現在から頑張れば必ずその未来に届くと潜在意識で確信できるものでなければ力は発揮できない。子供たちにとってその未来を描くことはなかなか難しい。反抗期から抜け出し始める高校受験期あたりからやっと出来始めるのだろう。

 大人が少しだけ力を貸してやると、最初は漠然とした夢も、徐々に具体的な映像として描けるようになり、素敵な色彩を放ち始める。ぜひ、親として本人が夢を語る作業に付き合っていただきたい。未来についての話を、ただ聞いてやればよいのだ。それも否定しないように、膨らませてやってほしい。

 そして大人たちも、自分自身の「夢」を描いて語ろうではないか。

※この内容は2012/08塾だよりに掲載したものです。
 成長と夢については、面白い研究がいくつかある。幼児の、年少から年長にかけての年齢別に大人になったらなりたいものと、そのためにどうすればいいと思うかについての分析だ。それによると、成長とともに、非現実的なもの(人間でないものや、TV、アニメなどのキャラクタなど)から、現実的に実現可能なものの割合が増えてくるだけでなく、それが実現するのに必要なものは、成長や時間の経過ではなく、努力と考えるようになるというのだ。また、これには過去、現在、未来という時間概念や時間的隔たりについての把握の成長と相関があり、さらに過去に対しての理解より、未来の長期的隔たりの理解の方が成長する時期が遅いのだそうだ。ただし、幼児の時間に対する連続性や隔たりの理解は、大人のものと同質であることは明らかにしにくいらしい。
 本題の、中高生の勉強に対する目標意識と成長の時期の関係も、経験的には同じように感じる。目標を明確にし、自分の努力で実現できるという確信が強い生徒ほど、努力を継続することができ達成する可能性は飛躍的に高くなる。
 もちろん、これは後天的な成長によるだろう。環境からくる周りからの影響で考え方や確信が変化し、行動が変わる可能性が高い。そうだとすると、高い効果を上げるような環境を作り出すことによって、勉強の成果を高めることができるはずだ。
 私たちは、長い間の経験によって、その差をつかんできたつもりだ。そしてまだまだ大きな余地を残していると考えている。
 塾生たちだけでなく、私たちの挑戦の夏は続く。

 最後に、注目すべき補足。なりたい理由についてのデータでは、成長により、「自分が好きなもの」から、その「役割が重要なもの」への割合が増加するらしい。

[巻頭言2012/07より] 何気ない一言でも!!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2012年07月号)

何気ない一言でも!!

 先日、高校時代の友人たち4人で、担任の先生のお宅にお邪魔させていただいた。先生は、高校を定年退職された後、予備校で何年か教鞭をとられて、その後、ご勇退を機に、日当たりがよく暖かい南房総の別荘地に終の棲家を構えられた。数年前までは数学の大学入試問題の解説原稿なども送っていただいたりもしたが、今は傘寿を迎え、趣味の洋蘭を栽培して過ごされている。都内のご自宅もそのままにされていて、実は奥様は、寒くてもそちらの方にいらっしゃることが多いのだと、お元気に苦笑いされていた。

 ご馳走になりながら先生が教員になられたときのエピソードから始まり、高校時代の昔話などに花が咲いたのだが、先生や友達たちの、言った本人も覚えていない何気ない言葉がきっかけになって、人は影響されていることが多いとの話になった。実は私も進路の面談で「数学科か電子工学科に」と答えたら、「数学科に行くとだいたい先生になります」と言われて「先生にはなりたくないな」と電子工学科に進んだのだが...。

 人は人からの小さな影響の積み重ねで道が分かれていく。後あと「塾の先生の、あのときの一言で素晴らしい影響を受けた」と言ってもらえるように、どんなときでもスタッフたちと頑張ると気を引き締めて帰途についた。

※この内容は2012/07塾だよりに掲載したものです。
 先生は、今年初めに亡くなられた。別荘には、何度もお邪魔した。たくさんの人数でお邪魔してお庭でBBQもしたし、所要の際に少しだけ寄り道したこともあった。
 決して強く話されず、どちらかというと寡黙な方だったので、同級生一人ひとりに、時間がたっても印象深く残るようなエピソードがたくさんあるはずではないだろうと思うところなのだが、それぞれいろいろな話がでてくるものである。
 若き日の、少し違えば、なにげない日々に終わるかもしれなかったはずのその瞬間でも、のちに強い影響があるだろう。
 そう考えると、指導する側は一瞬でも油断することができない。
 指導する側には、毎年の繰り返しに見えてしまいがちな毎日も、子供たちにとっては一期一会。常に神経を研ぎ澄まし、全身全霊の気を注入する気持ちを忘れてはならない。
 すべての塾生の「この夏」が、いつか「あの夏」と振り返る夏になるように。