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[巻頭言2014/03より] 開花

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年03月号)

開花

 新年度、新学期スタートの時。新しい挑戦が始まる。学校では4月からだが、塾では3月から新学期に切り替わり、気分一新の時を迎える。

 新しい学校に進学する生徒たちは当然だが、学年が変わる生徒たちも、いろいろと環境が変わる時期だ。これからの一年でどれだけの成長をしてくれるだろうか。

 さて、脳科学では、最初の印象がその後に大きな影響を占めるということを何度かご紹介した。そしてその第一印象が決まるのは一瞬で、一度抱いた第一印象を変えるには、大きなエネルギーとたくさんの時間が必要なのだと言われている。勉強でも習い事でも、最初に好きを感じたものを自分に取り入れることは、好きではないと思ったものを取り入れることと比較すると格段に簡単にできる。この好きという気持ちは、本当の感情ではなく、思い込むだけでも効果があるのだそうだ。何ごともやる人の気持ちの持ちようである。

 ところが、指導する側の気持ちの持ちようでも結果が変わることが、脳科学の実験で試されている。指導者に、「この集団は優秀者である」「伸びる才能を持っている集団だ」と思い込むように、ランダムにダミーデータを与えて指導させ、追跡調査をすると、明らかに成績の伸びに差が出るそうだ。指導する側の期待や確信が、伸びを引き出す。生まれつきの才能だけではなく、環境が大きな影響を与えるのだ。

 この子は将来大きく伸びる、飛躍するはずだ、と信じて、期待を持ってひとり一人の指導に当たります。ぜひ、皆様も親として、その気持ちを持って子供と接していただきたい。いつか必ず成長して、才能が大きく開花します。

※この内容は2014/03塾だよりに掲載したものです。
 まず懺悔である。「指導する側の気持ちの持ちようでも結果が変わることが、脳科学の実験で試されている」と書いているが、この実験論文の引用元がわからない。引用を、きちんと書いていなかった初歩的な失敗。紹介しようと考えたのだが、できなかった。申し訳ない。
 替わりというわけではないが、それを探す過程の中で、関連はないが、少々興味深い論文を見つけたので、紹介しておく。
 dunning-kruger-recognize-incompetence.pdf (intrpr.info)
 ダニングクルーガー効果(Dunning–Kruger effect)と呼ばれているそうだ。
 「能力の低い人ほど、自分を過大評価し」「能力が低いということを正しく認知することができない認知バイアス」があるという。この研究は1999年に発表され、2000年のイグノーベル賞の心理学賞を受賞している。
 イグノーベル賞というと、古くは「たまごっち」も受賞し、つい、面白いが役にたたない研究や事柄の賞と思ってしまうが、この研究は、その後の広くさらなる研究につながっているそうだ。その論文を読むと、イグノーベル賞のイメージ(個人的な感覚に過ぎないかもしれないが)とは異なり、科学的な実証実験であることがわかる。
 論理学、文法、ユーモアの3つのテストを行い、その能力や得点の自己評価による予想と、実際の点数を比較したところ、多くは実際より高く評価をし、その乖離幅は最下位グループが最も大きかった(つまり非常に過大に評価した)。また最上位集団は、自己評価が低くなったという。また、その原因は、他人の能力や得点を正しく評価推定できないことで、能力が低い人ほど自分ができていないことを正しく認知できていなかった。反対に最上位グループでは、自分ができたことに対して、他人も同じように容易にできると思って、正しく自分の位置を評価できないことから低く評価する(ただし誤差は小さい)傾向があるらしい。さらに、他人の答案 (最下位集団では当然自分よりできがよく、最上位集団なら自分より劣る) を見せて予想評価させたあと、再度自己評価しても修正されなかった。
 ところが、メタ認知の訓練(上記の3つのテストとは直接の関連がないメタ認知訓練)をした後に、再度評価させると、両者ともに改善する傾向が表れた。つまり、認知の側の問題であり、メタ認知のトレーディングで改善できるということがわかったという。
 私たちの仕事は、その結果に対して、だからどうすればよいのか、が課題。この研究は、いろいろと改善のヒントになりうると思う。直接どう活かせばよいかは、もう少し研究してみないとはっきりとは言えないが。
 まずは、これに限らず、常に広くアンテナを張って、感度を上げておきたい。
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[巻頭言2014/02より] 受験は団体戦!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年02月号)

受験は団体戦!

 入試シーズンの前哨戦、序盤戦を終えて、いよいよ中盤戦から後半戦である。これがお手元に届くころには、中学入試はいよいよ最後の難関、都内入試と県内2次、高校入試は私立高校の後期入試から公立高校前期入試へ、大学入試は私大個別試験スタートの時期だろう。

 ここまで絶好調の生徒、第一志望をすでに勝ち取った生徒もいるが、なかなか望みの結果を残せていない生徒もいるはずだ。しかし、結果が出ない時こそチャンス。試練こそが人を鍛える。そして乗り越えられない試練は与えられない。

 試練の漢字の通り、試され練られている。鍛練の時、すなわち力が一番伸びるのは入試の本番の最中だ。その時の気づきや成長は、その時の試験では発揮できないが、それを糧にすれば、翌日以降の入試に生きてくる。本番の感覚は、本番の緊張感の中でしか体験できない。決して逃げることなく果敢にチャレンジしてほしい。

 高校サッカー選手権決勝戦の劇的な逆転をご覧になった方も多いと思う。諦めない気持ちが奇跡を起こす。そして、あと少しだと思う気持ちは心にブレーキをかける。まだまだゴールはずっと先。決してくじけることなく駆け抜けてほしい。

 毎年繰り返して言っているが、受験は団体戦。一人では気力が充実した時間を維持することは難しい。本当の意味でのライバルたちと切磋琢磨する環境が大切。周りのやる気が「磁場」を作り、より大きなやる気を引き出す。そしてその周りのためにも、自分が必死に頑張る。自分の頑張る姿で、周りによい影響を与えて、周りのやる気を引き出すくらいに頑張ろうと決意する。仲間のためにと誓う。

 脳科学の実証実験では、「誰かのため」と利他の気持ちで頑張る時が、脳が一番活性化することは明らかなのだ。そしてその時が一番諦めない時だ。受験は団体戦!!

 今年もやります! 千葉テレビ公立高校入試解答解説の番組を今年も生放送で担当させていただきます。少しでも受験生たちへの励みになるよう頑張って準備します。ご期待ください。
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※この内容は2014/02塾だよりに掲載したものです。
 ちょうど、東進主催の全国統一高校生テストと全国統一中学生テスト、四谷大塚主催の全国統一小学生テストが近づいてきている時期だ。
 その小学生テストのCM動画の中で、「テストを受験しているときが一番学力が伸びるって、一体どういうことなんですか?」と小学生が質問するものがある。https://www.youtube.com/watch?v=OuIJ4y5EF-I&t=3s
 CMとしての演出(笑)については、さておき...。
 実際に、試験に限らず、どんなことでも、本番でしか得られない体験は少なくない。一発勝負しかできないことでも、ある程度の同様の体験があれば、十分にイメージして事前にトレーニングはできる。ただし、そのトレーニングで大切なことは、そこから得られた気づきや改善点をきちんと次までに対策すること。そしてそのために、その瞬間が二度と取り返せない気持ちで真剣に臨まなければならないこと。
 それは、例えば、避難訓練などでも同じと言える。参加者が手順をルーティーンとして落とし込むための訓練にも意味はあるが、形だけの訓練では意味がないはずだ。
 普段の環境とは異なるところで受ける「大きな模擬試験」の重要性もそこにある。また、入試もでるきなら受験校を段階に並べる受験作戦を立てることを薦める点も同じ。
 だが、それにも増して「受験」自体にも意義はあると思うのだ。大学入試では、推薦入試やAO入試などのいわゆる総合型選抜で入学する生徒の方が多数派になった。多面的な能力を評価しようという選抜自体の理念は悪くないと思うが、少々、大学受験自体を「ゴール」として重きを置き過ぎ、できるだけ容易にゴールするための手段としての論議が少なくない気もする。
 受験、そして大学入学後も成長するための連続した過程であるととらえるなら、受験も成長のための通過すべき「試練」として受け入れ、真正面から経験することも、その先の人生には重要であると考えるがいかがであろうか。
 「受験」で問われているのは単なる知識や表面的な学力ではないはずだ。

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 毎年繰り返しで書いている本題の「受験は団体戦」に関連した小学生の質問(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=Oif1kf1uVNw&t=57s

[巻頭言2014/01より] 閃く瞬間

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Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2014年01月号)

閃く瞬間

 premium高校部東進衛星予備校ユーカリが丘校開校記念として安河内哲也先生特別公開授業を開催した。開会前の打ち合わせの際に、同席していたのだが、先生はお祭り的なイベントで盛り上がるのではなく、授業の内容自体で生徒に盛り上がってほしいと考えていらっしゃった。東進の先生方は、最近はテレビなどでも有名になり、ちょっとしたタレントとして見られがちだが、どの先生方も授業に対する真摯な態度は流石だ。

 そして本番。授業のラストのところで、英語でスピーチ。英語は何のために勉強するのか、それはテストで点数をとるためではない、就職のため、お金のためでもない、世界中の人たちと英語でコミュニケーションできること、その英語を学ぶこと自体が素晴らしいんだとお話しされた。この授業を通して、受験英語を超越した、日本の英語教育にかける情熱が伝わってきた。

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 英語だけに限らず、学ぶことの本質、それは学ぶこと自体がもつ素晴らしさにある。何かのために我慢して努力することも、もちろん大切だが、学ぶこと、わかったと閃く瞬間の感動、できた瞬間の嬉しさは、他の何にも代えることのできない特別なものである。

 若者たちに、若き日にその感動を体験し、学ぶことを一生の友とするような人生を歩んでほしいと願う。一人でも多くの生徒たちに、その素晴らしい体験を提供できるように、スタッフ一同、今年も今まで以上に頑張ります。

 縁あってチバテレビ「知ったかぶり甲子園」というクイズバラエティのお手伝いをさせていただいた。入試問題を題材にした閃きクイズバラエティで、中高大、全ての入試を指導する。

※この内容は2014/01塾だよりに掲載したものです。

 続きである。
 前回に続いて、勉強の成果の原点となる法則「成果の方程式」について。

  成果 = 心 × 質 × 量

 「心」と「質」と「量」の積で生み出されると考える。それらは相互に干渉し、一つひとつは小さな前進に過ぎなくても、やり続ければ少しずつ加速していく。時間をかけ努力を続ければ、成果は増加し、学力は伸び続けるはずだ。
 教育とは、その影響する「磁場」を創ることではないだろうか。

 ここまでが前回。

 磁場を創ることが、心を高めることにつながらなければ効果はでない。
 学ぶ「心」は「志×考え方」に分解することができるだろう。
学ぶことへの志。何のために学ぶのかという目的意義である。目的意義が明確で使命感を持って進む人は確かに強い。だが、これは繰り返し述べてきたが、時間をかけて成長したのちに生まれ、強くなる心である。以前に書いた通り、少なくとも学問的分野で卓越した業績を上げるような人たちが、その分野を志した時期は、他の分野の人たちよりかなり遅いことはわかっている。少なくとも思春期、反抗期の後であろう。
 その前の「好き」という気持ちが、やりたい気持ちを生む。そして、何か他の目的のための道具として「学ぶ」人たちよりも、「学びたい」という気持ちで動き続ける人たちの方が強い。使命感は続けていることで結果として生み出されるもののはずだ。
 根源的な力を生み出すのは、原始的で素朴な、「楽しい」「好き」という気持ちであると信じる。学んでいることが、わからないからわかるに変わる一瞬、閃いた瞬間の体験は他のものでは味わえない感動がある。その体験が「好き」を生む。
 根源的な力を生み出すのは、原始的で素朴な「楽しい」「好き」という気持ちであると信じる。

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[巻頭言2013/12より] 挑戦!!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年12月号)

挑戦!

 先日、異業種の経営者の皆さまたちと、ある製造業の大企業のライブラリを見学に行ってきた。そこには、一個わずか数円という部品の下請け製造からスタートして、一代で世界的大企業へと成長した過程の製品の数々が大量に展示されていた。普段は見学の案内をしていない広報の方にガイドしていただいたので、成長の歴史を、中にいて実感してきた生の声を聞けた。そして、そのどれにも挑戦と創意工夫、努力の歴史があった。

 新しい挑戦は、どんなことでも、努力なしには、成就することはできない。覚悟を決めて、誰にも負けない努力を続けることが、ことを成し遂げる。努力したからといって必ず成就するとは限らないというが、少なくとも成就したものは、努力した者だけである。そして、成就するまで諦めずに努力し続けた者である。

 もちろん、ただ闇雲に努力しても、成果には簡単に近づくことはできない。やり方、努力の質も問われるのだ。ただ機械的な反復だけするような作業を努力することで満足してはいけない。常に頭を使って考えて努力すること、創意工夫が必要だ。その方法論は、すでに多くが知られ、語られている。ただ、それを知っているだけでは成果を生み出さない。質の高いやり方で、努力してこそ結果を生み出す。成果を生み出すのは行動だけである。

 だが、一番大切なこと、それは「心」。何ごとも、ことを成すには、まず挑戦する意思が大切だ。必ず成功すると強く願うこと、そして成功するまで諦めないと強く誓うこと。未知のものに挑戦する勇気こそ「若さ」のはずだ。

 大人たちも、ぜひ子供たちに負けないように、若さで挑戦しましょう。

※この内容は2013/12塾だよりに掲載したものです。
 勉強の成果は、原点となる法則があり、それによって創出されると考えてみよう。その法則を「成果の方程式」と呼んでおく。

 成果 = 心 × 質 × 量

 「心」と「質」と「量」の積で生み出されると考える。そしてそれらは相互に干渉し、影響を与えあう。
 量によって心は磨かれる、量によって質は向上する。
 心によって量は増加する、心によって質は向上する。
 質によって量は増加する、質によって心は磨かれる。
 
 一つひとつは小さな前進に過ぎなくても、やり続ければ、相互ループによって少しずつ加速して大きくなり続けるはずだ。
 つまり、成果の方程式にしたがって、課題を明白にして、それをよりよくするために、時間をかけて努力を続ければ、必ず成果は増加し、学力は伸びるはずだ。
 それに加えて、その相互ループをより早く回し続けることを考える。成長速度を極大化することが、成果の極大化につながるはずだ。
 教育とは、成長速度(成果/時間)を高められるように、影響する「磁場」を創ることではないだろうか。その考えに基づいて、「教育」が高められるようにと、日々の挑戦に向き合っている。

[巻頭言2013/11より] 得意で勝つ!

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年11月号)

得意で勝つ!

 受験生はいよいよラストスパートの季節だ。この時期になると苦手科目の克服が大きなポイントになる。だが、苦手意識があるものに対して、初めから意欲的に立ち向かうことはとても難しい。そんなときは、苦手科目全体を見ずに、できるだけスモールステップに細分化して、一つ一つだけに注力する。一番苦手意識の少ない、どこかの単元、どこかの分野だけに集中して、そこだけでも得意にすることを考える。勉強はできるようになることで、意欲が増す。成果が見えず、前進している感覚がない状態が続くと意欲は減退する。そしてマイナスの気持ちからは成果は生まれない。少しずつに分けて、一つずつやり遂げていく感覚を掴むしかない。

 それでも苦手科目をいくら勉強しても、結局は得点が稼げる「武器」になる科目にはならないことがほとんどだろう。ある程度までいくと、最後は得意科目も磨かなければならない。得意科目で得られる達成感は苦手科目を乗り越える原動力も生み出す。周りから、余りマイナスの気持ちを押しつけないようにしてほしい。苦手科目を一番よく知っているのは本人なのだ。

 そして受験生以外は、なかなか目標を設定しにくく、やる気を維持するのが難しい、今のような時期には、得意科目を伸ばすことを優先するのがよい。どんどん問題を解いて○が増えればやる気もでる。一つでも自信を持っていると、あとで伸びるのも早い。これといった苦手科目がなくても、得意科目もそれほどでもないケースが一番伸びない。今のうちに、勉強は「勝って」終わる習慣をつけてほしい。

 12月にpremium高校部東進衛星予備校ユーカリが丘校を開校します。一歩ずつ皆様のご期待に応えるように全力で努力します。ご期待ください。

※この内容は2013/11塾だよりに掲載したものです。
 始めから、本当の意味での「得意」があるわけではない。「得意」だ、という思い込みが先に来るのだろう。次に、その「得意」で勝つ経験がやる気を生む。
 好きだからやり続ける。やる続けるからうまくなる。うまくなるから好きになる。その繰り返し、それが得意の正体だ。
 苦手はその逆。嫌いだからやらない。やらないからできない。できないから嫌いの負の循環。それを克服させると言って無理やりやらせると、嫌々の行動なのでますます嫌いになる。
 得意なものをどんどん伸ばすと自信が生まれる。自分は、やればできる。他もやればできるかもという心が芽生える。苦手の克服は、自分で克服できるかもと気づいてから始めるのがよい。
 受験期になれば、得意科目を生かすには、どうしても苦手科目を乗り越えなければ突破できないことに気づくはずだ。その時点で得意なものがとことん得意になっていれば、より大きな克己心が生まれるだろう。
 そして、そもそも苦手で勝つ必要はないのだ。苦手は負けなければよい。いや、大きく負けなければよい。得意で勝つ。苦手で少しくらい負けていても、ひっくり返して勝つ力があるくらいまで、得意を伸ばすことの方が大切だ。
 それまで、苦手に必要以上に焦点を当て過ぎないように、嫌いになり過ぎないように、騙し騙しで過ごさせることの方が大切かもしれない。「勉強」自体を嫌いなものにさせないように。

[巻頭言2013/10より] 見える化

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年10月号)

見える化

 受験生は、模試シーズンである。連続していろいろなタイプの模試を受験し、結果が返却される。だが、その結果に一喜一憂してはいけない。

 模試の一番の目的は現状把握。志望校判定はとても気になるものだが、それは過去の努力の結果である。

 大切なことは未来への今の行動。まず現状を客観的にしっかり見つめる。決していやなことに目をつぶってはいけない。まずしっかり見ることが出発点。そして次にゴールの位置を明確に掴む。志望校合格に必要な得点まであとどの科目、どの分野、単元を何点伸ばせばよいか、具体的に分析する。最後に、それを達成するのに必要なことは何か、具体的な行動に分解する。やるべき課題としてできるだけ具体的に細かく分解して、日々の行動に落とし込む。このときに忘れがちなのは期限。日付の期限をつけて、日数で「割り算」して時間当たりの量に、行動を分解する。

 模試は、単なる「評価」ではない。具体的な行動を引き出して初めて意味を持つ。そしてその行動は、自らの意志で「自己選択」した行動であり、必ず「できる」と潜在意識で信じられる「ぎりぎり」の上限に設定したときに、いちばん力を発揮できる。このとき、できるだけ明確にゴールが見えて描ければ描けるほど実現の可能性が高くなる。

 親が手伝ってやれることは、わずかしかない。私たちが手伝えることもわずかしかない。最後は本人の学びに対する意識。

 その原動力に点火できるようにスタッフ一同全力を尽くします。
受験面談が始まりました。ご協力よろしくお願いします。

※この内容は2013/10塾だよりに掲載したものです。
 「目標」を具体化する。成果を掴むためには、非常に大切な考え方だ。
 だが、それ自体は簡単で、実践が難しい、と感じる方も少なくないかもしれない。はたしてそうだろうか。実践が難しいのは「目標」の問題ではないだろうか。
 日本語は曖昧な言葉なので、目標というと、ゴールの「場所」の設定だと勘違いしやすい。ここでいう行動によって成果を実現するために必要な「目標」という概念を表すには、それだけでは定義が曖昧で、成果にはつながらない。
 まず第一に、ゴールは期限が決まっていないと有効ではない。「場所」と「時間」の両方が揃って初めて機能する。ここまでがゴールを明確にする段階。もちろん、どこに、いつまでにと決めるか、という「目標設定能力」が大切なのは言うまでもないが、それは、また別の回に。
 これだけで「目標」をたてたと思い込みがちだが、ここまでだけでは「目標」は機能しない。単にゴール地点が決まっただけである。
 次に必要なことは、そのゴールに至るまでの行動「計画」を立てること。ただし、この計画は、ただ、こうしよう、ああしようという感覚的なものでは役に立たない。ゴールから逆算して、必要な要素に分解し、ゴールと現状のギャップ(差)を測り、課題を明確にして、それを解決するための具体的な行動計画に分解し、最後に、期限までの時間で割り算して、日々の行動までブレイクダウンする。ここまで具体的な計画を立てて、初めて「目標を具体化」したことになる。その具体化した行動計画だけで、成果の実現に対して、必要十分性を満たすかまで検証しておくと、さらによいだろう。
 だが、「目標」は、それだけでは実現しない。ゴールに行きたいという気持ちを大きく抱いて、実践し続けるためには、日々の努力が、どれだけ前進したかが体感としてわかること、フィードバックが必要である。「見える化」は、その進捗状況を常にリアルタイムで体感するためのツールであろう。「見える化」は、「目標」と対で初めて機能する。
 ちょうど、本題の時期と同じ時期である。受験生にとっては、ラストスパートに向けて、まさに「目標を具体化」し、実践し続けることが重要な時期だ。また他の学年も、毎日を、日々の惰性にゆだねることなく、次の学年に向けた行動の指針を決めるべき大切な時期だ。
 迷う気持ちを振り払い、「目標」のための具体的な「行動計画」の「実践」に集中して、ゴールを実現してほしいと願う。

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[巻頭言2013/09より] やっていることを好きになる

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年09月号)

やっていることを好きになる

 夏期講習が開けると、いよいよ受験生たちにとっては終盤戦。ここまで蓄えた力を見せるときがやってくる。時間がどんどん迫ってくる。苦手科目からも逃げるわけにはいかない。勉強が「敵」に見えるときもあるかもしれない。

 しかし、勉強は「敵」なのだろうか。

 勉強を、問題と戦って得点を取らなければならない相手だと思うと、確かにそう見えてしまうだろう。だが、本当の「敵」は自分自身の中にあるはずだ。わかっていてもつい怠けてしまう気持ち、苦手だと嫌だと逃げたくなる感情、解決への行動を起こさずに、現状維持で先送りしてしまう弱い心。自分にとって、マイナスの「結果」を引き起こしている真の「原因」は、すべて自分自身の中にある。

 勉強は、その自分自身を外へと伸ばす大切な方法なのだ。やり続けることで、自分自身を磨くことができる。将来、大きな力を生み出すのは、取った点数やどこに合格したかという受験の結果ではなく、その結果を創り出した自分自身だ。その自分自身の力は、努力して自らを磨き成長することでしか伸ばすことができない。勉強は、そのための一番優れた方法、すなわち「味方」なのだ。

 けっして、勉強を「敵」ととらえてはならない。大切なのは、今与えられた全てのことを、自分に与えられたチャンスと思いやり続けること。そして、好きになるまでとことんやり続けること。最後に「勉強」が自分の「味方」をしてくれるようになるまでやり抜くこと。そのために、好きなことをやるのではなく、今、やっていることをまず好きになろう。道はそこから拓ける。

 受験生は終盤戦。保護者の皆様、体調管理をよろしくお願いします。

※この内容は2013/09塾だよりに掲載したものです。
 すべての「原因」を自分の中に求めて、それに向かい合い、自らのマイナスを変えていくことで「結果」をプラスに変えていく。勉強だけに限らず、すべての人生において言えることだ。
 「言い訳をしない」「愚痴や不平不満を言わない」「悪口や人のことを言わない」は、子供に、躾として言う代表的な言葉の例であろう。強く叱って、命令することとも少なくないだろう。子供はいやいや従うが、そのうち反抗期を迎え、親の言うことを素直に聴かなくなる。いやだと思いながらやらされていることは結局は身につきにくい。
 ときには叱ることも必要かもしれないが、その前に、なぜ言い訳や愚痴、不平不満、悪口はダメなのかを、大人は子供にきちんと説明しているだろうか。
 それらは、すべて「原因」を人のせいにすることと同値だ。「他責」にしてしまうと、潜在的に自分は正しいから変えなくてよいという考えを強くすることになる。
 「自責」と考え、自分の悪いところに向かい合うことは、自己防衛反応が邪魔をして難しい。だが、その嫌な気持ちを乗り越えなければ、自己変革は生まれない。
 日本の若者は、自己肯定感が不足している、若者の無気力はそれが原因だ、と言われることがある。しかし、安易に、現状の自分をただ肯定することが、本来の「自己肯定感」ではないはずだ。努力すれば、もっとよくなると考える「自己有用感」からの「自己肯定感」の方が大切なのではないだろうか。
 将来「好きなことをやる」ではなく、今「やっていることを好きになる」ことは考え方次第ですぐに変えることができる。
 そして、「やっていることを好きだ」と感じさせることは、教育の力で可能なはずだ。それが教育の第一歩であろう。

[巻頭言2013/08より] 知行合一

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年08月号)

知行合一

 夏期講習前半が終了したところ。後半も頑張ります!

 勉強で大切なことは「わかる」こと、そして「できる」こと。とくに、最近の世間の子供たちを取り巻く環境を見ていると、効率よく「できる」ことばかり求めて、「わかる」こと抜きになっていることが気になる。まず、どういうことなのか本質がわかるまで諦めずに学習しなければ、応用になればなるほど通用しなくなる。

 しかし、わかっていても「できる」まで習熟しなければ、自分の力にすることはできない。「わかる」は脳のシナプスとニューロンの配線が繋がる瞬間で、「できる」は脳の思考回路を反復して習慣化することにほかならない。潜在意識にまで落とし込むように、条件反射的に解決できるように、繰り返し繰り返し練習する。

 ただ、そのために無理やり強制的に練習させすぎると、イヤイヤやることになって逆効果になりやすい。間違えたことを厳しく否定する注意ばかり与え続けると、行動を起こす前に恐怖心で固まってしまう。この恐怖心は脳の扁桃体が司っていると言われているが、オキシトシンという脳内物質が、この扁桃体の活性を抑える働きを持つことが研究でわかっているそうだ。そしてオキシトシンは、人から思いやりをかけられたり愛情を感じたりした時に分泌されることも明らかになっている。

 挑戦する勇気を与えるために、ぜひ夏休みの間、お子様に愛情を注いでほしい。成果を誉めるだけでなく、失敗したときも、その挑戦自体を認めてあげてほしい。

 そして一番重要なことは行動。わかっているだけ知っているだけでなく、その通りにできることが大切。子供の欠点を指摘するだけなら容易い。その前にまず大人が手本となるように、勉強、すなわち新しいことへの挑戦の姿をみせよう。

※この内容は2013/08塾だよりに掲載したものです。
 「わかる」と「できる」についてである。これはたびたび取り上げるテーマだ。
 小中学校の勉強では、昔から目立つのは周知の事実。高校の参考書も、その傾向は強い。比較的最近、大学の教養課程レベルのいくつかの数学分野で、複数の参考書を見る機会があった。「わかり易い」という意味の副題が派手についた最近の流行りものらしいが、計算テクニックだけに終始していて、ハウツー本のようで驚いた。また理工系の資格試験などに必要となる物理分野の参考書を見たときにも、公式の使い方に終始していて、これでは暗記して計算だけできても、意味するところは理解できないはずで、そんな資格で安全なのだろうかいう感想を抱いた。だが、このような本の購入者は「難しい」理屈はいいから、とにかく点数だけ取りたいと考えるのだろう。
 教育、とくに民間教育では、目の前の結果を優先し過ぎて、効率よく「できる」方法論を選んでしまいがちだ。だが、本質的な「理解」を伴わない手順の反復学習は、いわゆる「型」の単なる詰め込みになり、応用が利かない。さらに自ら考える力を生み出す力になりにくい。
 一方、「わかる」ことを教えることは難しい。考えることや理解することが必要なものは、単純に教え込めば「わかる」わけではない。頭ごなしに正解を教えられ続けることは、なぞなぞの答えを丸暗記させられている状態と同じだろう。
 そこで、いわゆる「探求型」の学習を、となるのだが、これも非常に難しい。方法論を持たずに、なんでも体験だ試行だと、習うより慣れろの教育論も、効果の再現性という点で大きな問題がある。自由に考えろと本人任せにすると、興味のまま思考も散逸してしまい、何かを「わかる」ところまで、解決するところまでたどりつけずに終わることが大多数となるだろう。テーマだけ与えただけでは、自ら深く探求することはできない。できるための、基礎の知識や一定の「考える型」は必要なのだ。
 自ら考え「わかる」ことを、引き出すことは、とても難しい。
だからこそ、挑戦し続け、教育の方法論にまで高めることを努力していかなければならないと考える。
 原題は、知行合一。行動も実践していかなければならない。

[巻頭言2013/07より] 逆境との遭遇

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年07月号)

逆境との遭遇

 いよいよ夏期講習が近づいてきた。受験生にとっては天王山!!

 つい目の前の得点や結果に目を奪われると本質を見失う。どうやって得点を上げるか、成績をよくするやり方は何かと、成果を出す方法論ばかりを見ていてはいけない。得点や成績は結果であり、その結果を生み出す本当の原因、真因を見つめてみよう。

 結果を出す方法はただ一つ、ゴールから逆算した適切な行動計画を実行し続けることしかない。その行動を維持するには、心、すなわち精神力を鍛えなければならない。では、心はどうやって鍛えられるのか。心を磨くには、逆境を乗り越える経験をすることが必要であろう。簡単にたどり着くような整地された道を歩いているだけでは、決して心は成長しない。心にとって少し大変だと思うことを与えなければ磨くことはできないはずだ。

 ただし、挑戦する前から無理だ、できないと諦める気持ちがあってはいけない。それでは成長する前に、簡単に挫折する道を選択してしまうことになる。一度諦めるとそれが習慣化する。

 諦めない気持ちを育てるには、やればできるという乗り越える体験が必要だ。そのためには物理的な、難しいけれど乗り越えられると思えるぎりぎりの階段をうまく用意すること。そして、何より一番大切なことはその経験のスピードを限りなく早くしてたくさん繰り返すこと。実はこの夏期講習の目標の一つがそこにある。

 どんなに苦しく感じるときも、毎日、休まずに通塾することが一番大切。一度塾に来てしまえば何とか乗り越えられるように工夫してある。まずは休まず塾に来ること。保護者の皆様のご理解とご協力をお願いしたい。

 乗り越えるための「逆境」、ただ今、鋭意準備中です。

※この内容は2013/07塾だよりに掲載したものです。
 私たちの塾は、ときどき誤解を受けることがある。高校入試直前期の塾生たちが勉強に集中する姿から、イメージだけによって、勉強をやらされている、詰め込まれているのではとの誤解だ。そのイメージは、私たちの塾との実際とは全く異なる。
 いわゆる管理教育とは、まったく相反する考え方である。勉強の面白さを伝え、自分から自然に取り組み、それがわかって、できたという達成体験により、自発的、能動的に困難に立ち向かう気持ちを引き出す。小さい学年から、丁寧にトレーニングを組み立てている。どちらかというと、点数を取る詰め込みの量のトレーニングではなく、心のトレーニング。
 ただ、巻頭言本文だけ読むと、初めから安全なルートだけが用意されているように少々誤解されるかもしれない。このようなトレーニングは、一人ひとりがこれは困難かもと思うようなものをチャレンジするのでなければ効果がない。それは仕組みだけでは可能にはならない。易き道に心が逸れることなく、挑戦し続ける気持ちを引き出すためには、同時にメンタルのサポートも欠かせないからだ。
 このような考えによる指導によって入試時期になると、驚異的な集中力を発揮する。その姿がスパルタなものを連想することからの誤解だろう。やらされている行動と自分からやりたいと思っての行動とでは、次元が異なる力を持つ。見かけは似ているが、いわゆるスパルタによって頑張らされているのと、自らの意志で頑張り続けることとは、まったく違うものだ。
 そして、その心を順調に育てていけば、大学受験では、「物理的」に手を貸すような場面はほとんどなくなるはずである。スポーツの世界で言えば、必要なのは技術コーチではなくメンタルコーチということだろう。
 そのような指導で、多様な一人ひとりの生徒たちを育てるには、膨大な手間と時間がかかる。だが、それを諦めずに続けていきたい。

 写真は、同じ号に載っていた、救命救急の訓練の様子です。消防署の方たちに指導していただきました。

 こちらは安全過ぎるに越したことはないはずと信じている。
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[巻頭言2022/09より] 「無知の知」の「知」

Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2022年09月号)

「無知の知」の「知」

「無知の知」はソクラテスが残した言葉としてご存じであろう。「自分に知識がないと知っている者は、それを知らないものより賢い」という意味で言ったと伝えられている。「不知の自覚」とも訳されるそうだ。
メタ認知について調べている中で、たいへん興味深い研究(理化学研究所脳神経科学研究センター思考・実行機能研究チーム宮本健太郎チームリーダー、脳機能動態学連携研究チーム節家理恵子研究員、高次認知機能動態研究チーム宮下保司チームリーダーによる2022/03の論文)を見つけた。
メタ認知とは、自身の思考や知覚などの「認知」自体を「認知」することである。この能力が高度な学習の効果を高めることに影響していると言われている。
研究では、ある事柄を知っているか、知らないかの判断の脳の働き(マカクザルのfMRIデータ)を分析した。既に、記憶のために働く場所(視覚野と新しい記憶処理回路)とそれを監視する場所(前頭葉第6野)に対して、記憶している(海馬と長期記憶処理回路)かを監視する場所(第9野)が異なること(2017)、さらに知らないということを知覚する場所(前頭極第10野、海馬と強く同期)が異なること(2018)を発見していたが、今回その両者を、後部頭頂葉で融合統合し、確信度や内省を生み出すことを見つけたという。
つまり「知の知」と「無知の知」は脳の働くシステムが異なり、統合するシステムが別にあるというのだ。知のメタ認知が脳最前部外側にあることは知っていたが、統合は脳の後ろ寄りということに驚いた。十年以上前、脳科学者の篠原菊紀さんと、閃くために脳の前から後ろへ意識を移動するための方法について議論した(と自慢するほどではないが)ことがあったが、有効な考え方なのかもしれない。
現在のAIは、試行が多数必要な判断は飛躍的に難しくなる(次元の呪い)ため、少ない試行から推論できる人間の脳システムの研究が進められている。その知見を活かし、学習効果を高める応用を、実践を通して取り組んでいきたいと思う。

※この内容は2022/09塾だよりに掲載したものです。
この塾だよりの「巻頭言」は、文字数に限りがあり、言葉足らずでわかりにくいこと、言を尽くせないことが少なくない。単に、言葉数を増やせばわかりやすくなるかというと、そうとも言えないだろうが、まず、補足しておこう。
「あることがら」を最も原始的に記憶する「知」のメカニズム(視覚野と新しい記憶処理回路)と、その働きを監視する(階層化され脳の外側にある)メタ認知のメカニズム(前頭葉第6野)がある。さらに、その原始的な「知」を長期的記憶にするためのメカニズム (海馬と長期記憶処理回路)があることまでは、ご存じの方も少なくないであろう。ここまでを併せて、ひとまず「知」のシステムとでも呼ぼう。
その「知」が、過去にあったか、今もあるかを記憶する(さらに階層化された)メタ認知メカニズム(前頭葉第9野)がある。例えば「これは前に見たことがある」や「名前を知っているはずだが思い出せない」というようなことは誰しも経験があるだろう。「知っている」ことを知っているということ。これを「知の知」と呼ぶことにする。
ところが、それでだけでなく、「知らない」ということを知覚するメタ認知メカニズム(前頭極第10野)が、場所(階層)の異なるところにある。これは「知らない」モノと判断するシステム。まさに「無知の知」。
その「知の知」と「無知の知」を融合統合し判断する部分が、今度は単に階層が異なるだけでなく、大きく離れた、後部頭頂葉にあるというのだ。それより確信の度合いを判断したり、内省したりということができるらしい。
メタ認知が、現在のAIの壁である。AIはデータが複雑で大量になると、処理速度の壁に突き当たる。単なる量の増加ではなく、その要素項目が増える「次元」の増加によって、n倍ではなくn乗という幾何級数的な時間が必要となるからだ。
ヒトは、この次元の壁を、少ない試行の中で、閃きというような瞬間的な判断で突破していく。高度なメタ認知を活かした量を突破する判断が、ヒトができて、AIのできないことである。たが、現在の脳の研究の急速な積み重ねが、いつか、それを可能にしてしまうかもしれない。
その先のことは、あまり考えてみたくはないが、この「無知の知」の仕組みを「知」ることによって、「メタ認知」による考える力を伸ばすことが、時代を超えて重要であることは、改めて明らかになったと考える。
そのメタ認知を鍛えることを念頭にした教育方法を進化させ実践していきたい。
考える力は、時代を超えるはずだ。