久しぶり♪
今日から春期講習スタート
その前に昨日、コロナ禍以降、初の全社員が集まる研修会を開催。
例年は、1泊2日の合宿で開催だったが、緊急に学校が休校となった2020年3月に中止して以来で4年ぶりの開催。
会場は最新の2号館を中心に東進鎌取駅南口校。
2号館には、初めて来たスタッフも多数。
全体での研修に続いて、事業部に別れてチームでdiscussion。
やる気を高めて春期講習スタートです。
3月22日、帝国大学(東京大学)発祥の地、学士会館での日本民間教育大賞授賞式にて、誉田進学塾塾長(創業者)清水妙子(母)が栄誉ある民間教育最高功労賞をいただきました。
母は、今月2日に92歳(たぶん最高齢受賞者)になりました。おかげさまで元気にしておりますが、表彰式は長距離長時間のため欠席させていただき、挨拶を預かり代読させていただきました。
(2度とない機会ですので、長文となりますが、挨拶の紹介と補足を少々書かせてください)
(受賞挨拶)
日本民間教育大賞という、大変栄誉ある賞をいただき、驚きました。
ご選出いただいた委員の皆様方に感謝申し上げます。ありがとうございました。
私は、昭和6年、京都市に生まれました。思春期は、戦中戦後の混乱の時代でした。女学校時代、空襲警報のサイレンが鳴る中、地下の下駄箱室に避難している際に、歴史の先生が聞かせくださった西洋史のお話しに胸が躍りました。専門的な学問を学びたいと思う気持ちを強く持ち、先生と同じ奈良女高師を目指すようになりました。ところが戦後、新制大学に大きく制度に変わることになり、女子が大学に進学できるようになったのです。その第1期生として、京都教育大学教育学部に進学、史学科で人文地理学を専攻しました。
先生として赴任した京都市立柳池中学校は、明治2年開校の日本初の公立学校柳池校を受け継ぐ伝統校です。そこで7年間、子供たちに社会科と美術科を教えました。
夫の東京転勤で退職し、主婦に専念していましたが、千葉に転居して、子育ても一段落したので、大手学習塾での講師を1年半勤めた後、自宅最寄りの千葉市誉田町の駅前に小さな塾を開きました。
当時のこの地域は、時代遅れで学校が荒れていた田舎でした。学校では、勉強したいという子、ちょっと勉強ができる子というだけで仲間外れにされてしまうようなところでした。
その子供たちに、純粋に学問の面白さ、楽しさを伝えたいと毎日、たくさんの話をしてきました。
また、勉強だけにとどまらず、冬期講習の昼休みに毎日百人一首をしたり、クリスマスに特注のケーキを配ったりと、子供たちと楽しく過ごしました。
私自身は、ただ教えることだけに専念していたのですが、だんだんと塾の指導が地域に浸透していき、生徒が増え、教室が増え、社員が増え、今年45年が経とうとしています。
このたびの受賞は、楽しく一緒に勉強してくれた塾生たちの頑張り、保護者と地域の皆様のご理解とご協力、塾創立の精神を受け継いでくれている社員たち、OBOGとして活躍してくれたたくさんのチューターたちのおかげです。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。
最後に、これから先の時代を築いていく塾、予備校、民間教育業界の皆様にお願いいたします。どうか学問の入り口に立つ子供たちに、学問の道筋をつけ、その広がり、奥行きを追究しながら、学問を楽しむ気持ちをお伝えください。よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
(以下、挨拶には入りきらなかった本人の話などを、少々、自慢話気味で僭越ですが書かせていただきます。ご容赦ください)
45年前、母は、当時、塾など何もなかった田舎の駅(駅前飲食店もそば屋1軒のみ)近くの路地の奥に、古い小さな木造平屋を借りて塾を始めました。47才主婦の創業でした。
玄関の引き戸を開けると、やっと10名が座れる部屋ともう一部屋だけのささやかの教室でした。トイレは一旦外に出てから入る汲み取り式、いわゆるボットン便所(苦笑;)。
それでも、勉強の面白さを伝えたいと、子供たちのためにずっと教え続けていました。その当時の卒業生たちからは、今でも「妙子先生」と親しく声をかけていただく付き合いです。
終電が早い田舎のため、生徒の送迎をしようと、50才を過ぎてから運転免許に挑戦し取得しました(そもそも運動神経はかなり鈍いのに...)。
それだけ勉強したい子に学問の楽しさを伝えたい気持ちが強かったのでしょう。
母は、幸い京都で戦火を免れ、女子が女学校卒業後に専門的な学問を目指すことができた唯一の道、関西では奈良にしかなかった女子高等師範学校を先生から薦められ目指します。
(奈良女高師⇒新制奈良女子大、東京女高師⇒新制お茶の水女子大)
ところが、戦後の新制大学制度に変更する年に当たり、女子が大学に進学できる道が開けることになり、両親に「お嫁入道具も何もいりません、大学に行かせてください」と頼み込み京都教育大学(当時は京都学芸大学、旧制府立師範学校⇒新制京都学芸大学⇒京都教育大学)に進学。戦後の自由で希望に満ちた大学生活を過ごします。
新卒で、日本初の公立学校発祥の柳池校(京都市内の御所の正面にあたる「柳」馬場通、御「池」通の交差点、市役所の隣の京都市内中心部)に赴任したことは、今でも母の誇りです。2万人受験した京都府教員採用試験でトップ合格したので伝統の学校に配属されたと言います。
その中学時代に担任した生徒さんたちとは、昨年も、京都での同窓会会場から電話がかかってきて、代わる代わる話しをするなど、70年近くたつのに、まだ慕われて交流が続いています。
教育の本質とは、長い時間ののちに真の評価を受けるものであると考えます。
今回の受賞は、まず母が長生きしてくれていること、そしてその間に、塾業界に関係する皆様の力で、業界が大きく発展し続けてきたことのおかげと思います。
奇しくも「帝国大学発祥の地」の学士会館での受賞となりました。
亡父は旧制の学校制度での京都帝国大学の学生のときに、学徒出陣となり、満州の厳しい戦地でソ連に追われながらなんとか生き延びて復員。戦後の混乱期に父親を亡くし苦労した上で、のちに復学し卒業。子供の頃からの学者になりたいという夢を諦め会社員の道に進みます。家族の生活を守るために仕事を続け、大手生保本社から、のちに得意の語学(5か国語=英語、独語、仏語、露語+関西弁)を活かし外資系に転じて定年。
そんな忙しい仕事の中、「文武両道」と一念発起、合気道を習い始めます。遅く(私が幼児だった頃)始めたハンディを努力で乗り越え晩年には7段に。全(オール)三菱合気道部創設者、京大合気道部名誉部長として後輩の指導を続けました。
学問の道も晩年まで諦めず続け、書斎の1万冊を遥かに超える蔵書の山に囲まれ、フランス文学の研究をしていました。
そんな両親に育てられ、子供の頃は期待されながら、親の意に背き、若き日を堕落し無為に過ごした「不肖の息子」が私です。
少しは改心したつもりですが、「教育の心」を次に繋げていけるように、社員たちを導き育てていくことを、改めて誓い、頑張ります。
塾民間教育の業界のさらなる発展に、微力ながら貢献していきます。
鎌取駅南口校で特別公開授業を開催しました。
東進数学科のエース志田晶先生の数学の授業
最近の入試問題で考えて解くと楽しい、わかると楽しくなる新鮮な問題をみんなで勉強♪
生徒たちはとても楽しく勉強してくれたようです!
明日は、東進数学科の志田晶先生の特別公開授業を開催。
なんと旗艦校である鎌取駅南口校で公開授業を開催するのは初!!
生徒数とキャパシティーの関係で、これまで開催できなかったのが、分室を新館に移転したので、ようやく開催できるようになりました!!
初の開催といえば、やっぱり志田晶先生の「体の芯からよくわかるおもしろ数学 数学を楽しもう!!」でしょう。
寝る前に、ちょっと予習に問題を見ておこうと思ったら、問題が面白くて、ついつい調子に乗って全部解いてしまいました(笑)。
最後の方で、思わず問題文を読み落として、危なくミスところでしたが...
明日の解説が楽しみです。
みんなと一緒に数学を楽しみます!
年が明け、冬期講習が無事終了と思ったら、あわただしくしているうちにあっという間に2週目も終わる。
とりあえず近況
先週末の連休から入試がスタート
恒例の入試解答速報のために問題を解く
スタッフたちは受験生の対応、受験生以外の授業や対応などで忙しいので、算数、数学の助っ人として参入
今年も解きまくっています♪
Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2013年05月号)
プラスのメッセージ
別ページ報告の通り、難関中学高校受験研究会Special Programを開催した(今年もたくさんの保護者の皆様にご参加いただきありがとうございました)。その中の入試報告の部分を見ていて、改めて思ったのだが、今年の卒業生たちはとてもよく頑張って成果を掴んでくれた。全体の合格者数の数字だけ見ているだけではあまり気づかないが、ひとり一人の進学結果、誰がどこに進学したかを見ていくと、よくわかる。とくに公立高校入試の実質不合格者数の少なさには、リハーサルの時点で、スタッフ一同唸った。これから難関大学受験研究会で報告する大学受験も合格者数だけ見ると去年ほど目立たないが、頑張ってくれたという点は同じである。
しかし、私たちとしては、それに甘えてはいけない。まだまだもっと成果に繋げることができた要素はたくさんある。現状分析から目を逸らせてはいけない。自分たちにとって都合の悪いことも、きちんと正視することで、はじめて前進する糸口を、自らの手で見つけ出すことができるのだ。
これは子供たちにとっても、全く同様である。うまくいかないとき、失敗したときこそ本当は大きなチャンスなのだ。悪かったところを逃げずに見ることができれば、自分で解決する方法に気づき行動に移すチャンスが生まれる。だが、その悪いところを素直に認めることこそ一番の難関。それは自己否定に繋がるからだ。本能的に回避してしまう。そしてまた同じような失敗を繰り返してしまう。
だからこそ、保護者が自己肯定感を強める役割が大切になる。自己肯定感が強ければ、自信を持って客観的に自分のマイナスを見つめられるようになる。どんなときでも、親からの肯定的なプラスのメッセージを積極的に伝えてほしいと願う。
6月に高校部4校目の校舎、五井駅前校を開校します。前進すべき課題がたくさんあるが、一歩ずつ皆様のご期待に応えるように努力します。ご期待ください。
※この内容は2013/05塾だよりに掲載したものです。
子供たちは「心の成長」によって大きな成果を生む。ただし、成長の過程での短期的成果に目を奪われると、長期的成果、もっと先の人生の大切なものを失うかもしれないことを、受験の指導者は心得て取り組まなければならないだろう。
冒頭に出てくる難関中学高校受験研究会は、コロナ禍で形態を変えながら続けているが、数年前まで大ホールで、保護者のための講演会も組み込んで開催していたことは何度か触れた。毎年、さまざまな分野の専門家から、子育てに参考になる話をお聞きする会。この年は、小児科医であり、ベストセラー「子育てハッピーアドバイス」シリーズの著者である明橋大二先生をお招きして、お話をお聴きした。子供の自己肯定感の重要性と、それを高めるため具体的な声のかけ方の例を挙げながらの楽しいお話に、たくさんの参加された保護者の皆さまにご満足いただけた。
思春期・反抗期の子供は、声のかけ方の、ほんのわずかな違いで、大きく異なる反応をする。「売り言葉に買い言葉」がきっかけとなり、今まで思っていなかった考えを生み出し、口に出したことで引っ込みがつかず定着させ、道を大きく踏みはずすことにつながるかもしれない。やり直しはできないこともたくさんある。
ほとんどの親は、親の「プロ」ではない。子供の存在によって「親」となり、親として成長するチャンスをもらっている。子供を 正しく成長させるには、親としての成長が必要となる。
世の中の親たちは、その大切な役割を、日々試行錯誤し悩みながら頑張っている。
少しでも、そのお役に立てるようにサポートしていきます。