「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。
然もその見所なきを余は却って愛するなり」
これは、明治時代の小説家の徳冨蘆花が
自身のペンネーム「蘆花」の由来について
書き記した言葉です。
私は、とても素敵な感性だなと思い、
ある時からこの小説家のことが好きになりました。
当時ベストセラーとなった『不如帰』には
その情景描写の鮮やかさに引き込まれる美文が
随所に散りばめられています。
一例を挙げると…
『~略~、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば、
つい下の榎離れて唖々と飛び行く烏の声までも
金色に聞こゆると時、~略~。』
このような感性で日常の風景を見ることができれば、
どんなに心豊かに日々をおくれるだろう…。
美文と言えば、鴨長明が書いた『方丈記』にも
随所に素晴らしい情景描写が見られます。
一例を挙げると…
『地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)にことならず。
家の中に居れば忽(たちまち)にひしげなんとす。
走り出づれば、地割れ割く。
羽なければ空をも飛ぶべからず。
龍ならばや雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけるは、
ただ地震なりけりとぞ覚え侍(はべ)りしか。』
(※1:現代語訳を最後に記載します。)
他にも、日本には古今を通して、読みたくなるような美文が
たくさんあると思います。
ただ、正直に言うと、学生の頃の不勉強がたたっているためか
時代が古くなるにつれて、文章をスラスラと読みとくことが
困難になってしまっています。
あ~、高校生の頃、もっと古文をしっかりと学んでいれば
『方丈記』を原文のまま、味わって読むことができただろうか…
と思ったりするものです。
現代文である明治文学の『不如帰』ですら、
知らない言葉や慣れない表現に出会う度に
小まめに意味を調べていたため、1ページ読むにも
相当な時間がかかってしまいました…。
それだけ時間をかけても「何が書いてあるのだろう?」
と解読したい好奇心をかきたてられたわけです。
このような体験を通して、現代文や古文の学習を通して
その時代の背景を鑑みて読解していく学びの重要さ
を感じることができました。
高校生の頃はあまり興味を持っていなかった国語という科目に対して
今では、いかにいとおもしろき科目だと感じるようになりました。
もし、
「古文を学ぶ意味って、全然わからない…。
なんで今使われていない言葉を勉強する意味があるんだろう…」
と感じている高校生がいたら、ぜひお気に入りの1作に出会って
みて頂きたいなと思います。
そんな出会いがあれば、見方/感じ方がガラっと変わるかもしれません。
ですから、現代文や古典の授業の際には、
「今日は何か良い出会いがあるかもしれない」
と胸をワクワクしながら受けてもらえるといいなぁと思います。
※1:本文中の『方丈記』の一説の現代語訳。
大地が鳴り響き、家々がバリバリと崩壊していく音は、
雷鳴が轟くゆな凄まじさだ。
家の中にいれば押しつぶされそうになり、
外へ逃げれば地面が割れ逃げ道をふさがれる。
羽がないので空を飛ぶこともできない。
龍であれば雲に乗って逃げることも出来るのに。
恐ろしいものの中でも、もっとも恐ろしいのは、
他でもない地震であったとつくづく思った。
(五井駅前校 轟)
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