高1生・高2生の皆さん、センター同日試験の結果はお手元に届きましたでしょうか。
現時点での志望校との距離に、がっくりと来ている方も多いと思います。
でも、ここは切り替えていきましょう。
自分と目標との差が分かったのですから、やるっきゃない!
昭和の大横綱、千代の富士関ってご存知ですか?
体が小さいのに強引な取り口でけがが多く、番付もなかなか安定せず一時は幕下まで陥落します。
横綱になる前のそんな彼には、大の苦手の力士がいました。
がぶり寄りのスピード相撲で有名な琴風関(現 尾車親方)です。
何をやっても勝てない。
初顔合わせから、●●●●●の5連敗です。
壁にぶち当たった彼は、当時の常識を破る行動に出ました。
なんと自腹でタクシー代を払って、琴風関のいる部屋に連日出稽古に出かけたのです。
「今日はいないだろうと思っても必ずいる。今でいうストーカーみたいな感じかもしれない。でも、あそこまでやらないと横綱にはなれないんだなと思わせていただいた。あの執念はすさまじいものがありましたよ(尾車親方)」
それ以降の対戦成績は、
○○○○○○○○○○○○●○○○○○○○○○○
通算22勝6敗。
筋肉の鎧でケガを克服し、
加えて琴風関を上回るスピードを身につけた千代の富士関は、
才能を開花させここから一気に大横綱にまで上り詰めます。
その姿勢は横綱に上り詰めてからも変わらなかったといいます。
旋風を巻き起こしていた巨漢の小錦関との初顔合わせのこと。
千代の富士の体重135kgに対して小錦関は実に2倍の270kg。
真っ正面から突き押しを受け止め、文字通りブッ飛ばされて惨敗。
場所後、やはり小錦関のいる高砂部屋への出稽古を繰り返したそうです。
胸を貸す立場の横綱が他の部屋へ出稽古に行くこと自体、めずらしかった時代、横綱の誇りを捨てたともいえる行動。そのことを問われ、のちにこう語ったそうです。
自分が弱いんだから当たり前でしょ
横綱だろうがなんだろうが勝てない相手があれば稽古して研究するのは当然
弱いから稽古する
どこがおかしいの?
(土気駅北口校 教務 松浦)