Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2026年7月号)
大丈夫だよ!
多くの記憶は、感性的な結末だけが強く定着し、細部の過程は削ぎ落とされ、風化した残滓のみとなる。多くの大人は、子供から成長してきた過程の大部分を忘れている。その些細な過程が、後の結果の源泉となっていることも見落としがちだ。
親が果たすべき役目は、子供にとって大きな影響を持つ。子供が小さい間は「してはいけないこと」を躾けることが最優先であろう。そのために「ダメ!」と強く言い聞かせることになる。~してはいけない、~しなければならない(=must)という否定語による禁止の指示は、脳にブレーキをかけ行動を抑止する作用がある。小さい子が、後先見ずに危険な行動をしそうなとき「危ない」「ダメ」と、とっさに強く声をかけるのが、躾としての効果があるのは、その行動がいやな結末とともに記憶され、また再度その行動を起こそうとしたとき、いやな未来の結末を反射的に想像して、行動にブレーキをかけるからである。親がとっさにそうするのは、いわば親としての本能的反応として備わっているものなのかもしれない。
しかし、勉強に対して、子供に同じように声を掛けてはいけない。勉強は、やりたい(=want)と自ら選択し、自発的に起こす行動だからだ。これに対して、親は、反射的に~しなさいというmustによるアプローチを選択していないだろうか。それは結果として、勉強はやりたくないいやなものとして捉えさせることになる。
何かのために自らの弱い心に向かいあい、我慢して乗り越えた経験は確かに価値がある。受験はその代表的な関門として記憶しているはずだ。だからそのように育てたいという親の気持ちが、結果として否定語による声掛けを生み出してしまう。
受験期の葛藤に向かい合う前に、勉強したい(=want)という素朴な原動力を育ててほしい。親はその過程を忘れていないか見直してみてはいかがだろうか。そして、行動にブレーキがかかってしまった子供には「大丈夫だよ」と言ってあげてほしい。
※この内容は2026/7塾だよりに掲載したものです。
本題とは直接関連がないが、昨日の日経新聞朝刊に気になる記事を見つけた。
「科学者の伝記が科学離れを招いているのではないか」。米イリノイ大学などの教育学・心理学の研究チームが7月に、そんな分析結果を米科学アカデミー紀要に発表した。少年・少女向けのベストセラー伝記422冊に登場する655人の科学者の描写を教育心理学に基づいて分析したところ、子どもたちに「科学者は自分と住む世界が違う特別な人」と思わせる可能性があるというのだ。記事では細部が略され、論点は正しいが、元論文骨子は少々ブレているところもあるので修正しながら紹介しよう。
アメリカでは科学教育のために取り入れられている科学者伝記に対し、その描写と動機付け関して初の体系的な分析をしたのだそうだ。
論点の核心は、「子供向け科学者伝記は、科学の普及や多様化を目指す意図とは裏腹に、心理学的な動機付けの観点から子供の意欲を削ぐ(demotivating)メッセージを無意識に発信している」という。それを裏付ける具体的な根拠と構造は以下の通りだそうだ。
マインドセット理論(Mindset Theory)を基盤としていて、硬直(Fixed)マインドセット(才能や関心は生まれつきで変わらないという信念)は意欲を低下させ、成長(Growth)マインドセット(能力や関心は努力や環境で育つという信念)は意欲を高める
と考える。
分析した実証的根拠は4つ。
第一に、関心の固定化(Fixed)。科学者への「関心」の描き方は、固定的な描写が圧倒的に優勢。大半の科学者が「子供の頃から科学に夢中だった」と描かれ、後天的に興味を持ったプロセスが無視されている。これは、まだ科学に興味がない子供たちに「自分は科学者に向いていない」という疎外感を与える。
第二に、能力描写の混在。科学的「能力」の描写において、「生まれつきの才能(Fixed)」と「後天的な発達(Growth)」が全く同じ割合で登場している。メッセージが混在すると子供は「結局は才能が必要なのか」と否定的な側面に引きずられやすいことが、先行研究から分かっている。
さらに、特定分野の排他性。物理・工学・IT分野の科学者は、他分野に比べ「生まれつきの才能(Fixed)」による成功として描かれる確率が有意に高い。これは、これらの分野の不平等を助長する可能性がある。
最後に、ジェンダーに潜むステレオタイプ。女性科学者の伝記では、男性に比べ「必死の努力(Effort)」が不釣り合いなほど強調されていて、彼女たちが直面した社会的障害(差別など)の要素を統計的に排除・調整してもなお残った。これは女子に対して「科学で成功するには過剰なコスト(負担)がかかる」という誤った認識を与えかねない。
結論は、科学者の物語を歪める必要はないとしつつも、「幼少期の天才エピソード」や「女性=血のにじむ努力」の描写を無意識に選択してしまう伝記作者の傾向を是正すべきであり、「真実であり、かつ子供の意欲を高める描き方」への転換が必要であるとする。
それを新聞記事では最後に、こうまとめている。
『「子どもが共感できる科学者の姿を描くべきだ。がんばれば手が届く存在だと感じさせることが重要になる」。イリノイ大のジェシカ・グラッドストーン助教授はこう訴える。様々な経験を経て科学に関心を持つようになった過程、失敗するのは当たり前でそこから学ぶ、才能は後からでも伸ばせる――。これらを描く物語が効果が高いと提案する。読者に興味を持ってもらうための手法が逆効果になっている形だ。伝記作家だけでなく、マスメディアに携わる私たちにとっても耳の痛い指摘だ。』
同様に、教育に携わる私たちにとっても耳の痛い指摘とするべきだろう。