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この時期に思うこと

この時期になると、妙な気分になるものです。
「これでよかったのかな?」と。
反省というのか…、謝罪というのか…
う~ん、適切な言葉が浮かびあがりません。

授業するのも、もちろん人間ですから。
授業を受けるのも、もちろん人間ですから。

うまくいくときもあれば、うまくいかないときもあります。
でも、それぞれがその時はその時で懸命に走っていて。
途中で歩いてしまったり、立ち止まったりしたりして。
で、なんとかここまで来るんです。
で、懸命に一歩一歩進んできた道を振り返るんです。
そこで初めて、自分が来た道は決して平坦な道ではなかったと実感するんです。
そして、その平坦でない道を一歩一歩進んできた自分を初めて振り返るんです。

あれをこうすればよかった
あの時は自分が未熟だった
こういう視点を持たないと
なんでこんなにダメなんだ
もうできないかもしれない

達成感がないわけではないけれど、それ以上に改善点(場合によっては自分がへこんでしまうような失敗)が浮かんでくるんです。

でも、道は続いていて。
ゴールだと思っていたところは、すぐにスタート地点に姿を変えて自分の背中を押すんです。
「さぁ、また進んで行け」と。

目の前にはまた平坦でない道が広がっています。
時には舗装されていない土の道、
時には雑草がすごく生えている道、
時には砂利道、
でも、アスファルトもある。
給水所も待ってる。
応援する人たちの声も少しずつ耳に入ってくる。

良いことであれ、悪いことであれ、すべてを前に進むためのエネルギーに変えるしかない。
下を向いてはいられない。さぁいこう。
そうやって自分を奮起させて、また進んでいくんです。
風が強かろうと、気温がいくら低かろうと。

ものを教える、というのはいつだってものすごいプレッシャーにされされています。
自分が発した言葉で、生徒たちが影響を受けていく可能性があるからです。
じゃあ、ものを教える人間は聖人君子のようじゃなきゃいけないのか。まぁ、理想はそうなのかもしれません。

でも、私は違うと思います。
そもそも人間に完全はないと思っています。
大人だから完璧?
子どもだからまだまだ?
そんなの生まれてきたタイミングが違うだけです。
それぞれ得意不得意があって、それぞれに個性がある。
だから面白んです。授業ってものは。

生徒たちに救われています。
ですから、ものを教えることはプレッシャーですが、それ以上に「こうしよう」という強い意志を出せる場でもあるのです。

いろんなことを考えながら、最後は生徒たちを思い出します。
初めは自分のことを振り返っていたのに、最後は生徒たちの表情に行きつくんです。
そこでパワーをもらうんです。

新しい服に着替えて、靴ひもを結びなおして、呼吸を整えて、再びスタートラインにつく。
スタートの号砲まで残り間もなく。
再び、強い思いを持って駆けていこうと思います。

(内田)