Shingaku Express / 誉田進学塾だより 巻頭言より
(2011年06月号)
ピンチこそがチャンス
教室によって外に花を植えている。塾生だけでなく、道を通る人たちにも楽しんでもらおうと、よく見えるようにしている。季節に応じて毎年、夏用と冬用を入れ替えている。今年も夏に向けて花を植え替えたところだ。この夏は、暑さに備えてゴーヤのカーテンもチャレンジしてみたところもある。
この花やゴーヤ、植えたらすぐに先端を切って詰める。すると切った脇から新しい芽が出て枝が増えて立派になる。また実をつけるものは別だが、花を楽しむだけのものは咲き終わった花はすぐに取る。すると次々とつぼみが成長して上がってくる。どちらも植物にとっては一種の逆境である。しかしその逆境が、結果的に生命力を強く発揮させることになり、成長を促す。
子供の成長も同じようなところがあるかもしれない。順調にすくすくと伸びることもあるが、壁にぶつかり伸び悩み、停滞しているように見える時期もある。この簡単に乗り越えにくい新しい壁にぶつかることこそが次の成長を生み出す。壁を越えるためにエネルギーを充電し、目に見えない自己変革をしているときなのだ。壁にぶつかることは悪くない。チャンスなのだから。
※この内容は2011/06塾だよりに掲載したものです。
「植物も育てられないのに、教育ができるわけがない」と、植物を例にだしてスタッフを諭すことがある。もちろん、植物を育てる方が簡単だというわけではない。
「育てる」という意味では共通することが少なくない。子供なら言って聞かせれば、思う通りになるという傲慢な過信をしてはいけない。子供は、適切な環境を与え、自ら考え行動させることで、自ら育つものである。誰かに育ててもらわなければ育たない存在にしてしまってはいけないはずだ。
植物は、日光と水と適切な環境条件を与えれば、自ら育つ。まさか植物に言って聞かせて育てようと考えることはあるまい。
また「農家は毎年が一年生」という言葉があると、農業を営む方から聞いた。農業は、一度うまくいくと、それに慣れて同じことをやればよいというような単純なものではないという意味だ。毎年毎年、天候などの外的条件が変わり、それに向かい合い続けなければうまくいかないということだそうだ。単なる経験則ではなく、いわゆる科学的アプローチを繰り返していかなければ前進しないという。
教育と通じるものがある。
すべてを厳しく見つめて前進していきたい。