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[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その3]

(4つ下の「根岸英一博士の訃報に接して」からお読みください)

根岸博士のノーベル賞受賞記念公開講演を聞きました。

根岸博士のノーベル賞受賞記念講演を聞いた。

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会場は東大安田講堂。
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東大教授F君に先日会ったときに紹介されたので、参加した。

根岸先生のお話、中盤からは化学構造式などを交えての専門的な話で、有機化学がわからないと...??
だったが、理系出身なのでなんとか、だいたいどんなことを考えて研究されていたかは、掴めたつもり。
物理系出身ではあるが、昔、少しは有機化学を勉強していてよかった。もっとちゃんと勉強しておけばもっとよくわかったかもしれないが。

ご講演の中で印象深かった点を挙げよう。

最初のところで、ノーベル賞を受賞するとはとお話された。
10の7乗分の1くらいの可能性だと考えると宝くじより大変に見えるが、1/10のセレクションプロセスを7回通り抜けると考えると十分に可能性がある。すでに、3回くらいはパスしてところからスタートしている状態なら、あと4回。これなら十分チャンスがある。
なるほど、である。

続いて、研究で何を考えていたかを専門的なお話された。
そしてまとめで、人の研究や論文は、まず参考にする、だがそのままでは真似で二流以上にはなれない。
そこから先だ、と力強く話された。

最後に「これからをめざす若い人から質問を」に対して
Q:「もし人生をやり直すとしたら?」
A:「やっていくうちにうまくいく、こんな楽しいことはない、人の真似は楽しくない、発見で身体が震えた体験をする若い研究者もたくさんみた、そういうことをしながらお金も、そういうものはあまりない、スポーツ選手などもっともらえる人もいるかもしれないが、私はこの程度でも十分。好きな化学をもう一度やる」
そして、
「有機化学によって、エネルギー問題、環境問題、食糧問題を解決したい、遷移金属にはその可能性がまだまだある、今の自分では全部できないかもしれない。だからもう一度化学をやる」
「化学者のやるべきことはまだたくさんある」
と締めくくられました。

感動的で、こちらもちょっと涙ぐんでしまいました。

たくさんの勇気をいただきました。
研究内容の専門的な部分をお話されたときは、終始楽しくてしかたがないという様子で話されていたのがとても印象的でした。
素敵なときを過ごせた余韻を、キャンパスの綺麗に色づいた銀杏が見送ってくれました。
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時間がなくて会えなかったF君にも感謝!

[2010/12/01当ブログに掲載の記事]

[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その2]

受験勉強とは何か(その2)(続きです。その1からお読みください。)

受験勉強の本質の二番目は、自分自身の気持ちをコントロールする訓練であることだろう。

目的のために、自分自身で目標を設定し、行動し続けることで達成し成果を掴む。
目標を達成するには、行動し続けることが大切である。そのためには、習慣化が決め手となる。そしてその規律を保つことができるかが問われている。

自分の意思の力で、自分の感情をコントロールすることで、苦しいときもやり続け、結果を出すまで決してあきらめることなくやり続ける規律を保つ。
そのためのトレーニングの一つが受験勉強であると考えてみよう。
もちろん結果として成果を残すことも大切かもしれないが、たとえ、うまくいかずに苦しんだことであっても、大切な経験なのだ。思考錯誤しながら、プロセスを体験すること自体が貴重なのだ。そして若きの挫折は、決して無駄にはならない。

そう考えてみると、最近の現役志向には将来のためにならないケースも少なくない。自ら努力することなく、どこかに合格できればそれでよいでよいのだろうか。たとえ浪人してでも、目的のためならあきらめない精神力。もちろん、その意識が早く芽生えて結果として現役で合格するなら、それでよい。覚悟がないままの浪人では意味がないのだ。

しかし、受験戦争と批判を受けることが少なくない。確かに、膨大な単純記憶、知識を意味もなく暗号のように記憶することが受験勉強だとすれば、そのような単純記憶からは独創的な創造力は生まれない。そして、勉強が、難行苦行として、強いられていることは批判されるべきであろう。

だが、勉強の本質は、そのような知識の丸暗記ではないのだ。そして、我慢する試練の一種でもないのだ。

本来、知的な興味を持って、学び、未知の知識や考え方に出会い、その本質を理解した瞬間は、大きな知的な満足感が得られるものだ。人は誰でも「わかった」「できた」の瞬間は、感動する。
その達成体験をたくさんもつものほど、もっと知りたい、わかりたい、そしてできるようになりたいと願う気持ちも強くなる。知的好奇心にあふれ、わくわくどきどきする気持ちで学ぶはずなのだ。
そして、その気持ちは、勉強することでしか育たない。

「学ぶことは素敵なこと」なのだ。

[2010/10/17 当ブログに掲載の記事]

[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その1]

受験勉強とは何か(その1)

ノーベル化学賞を受賞した根岸英一パデュー大学特別教授は、受賞会見の冒頭で、「私は日本の悪名高い受験地獄の支持者だ」と発言したという。高度な研究になればなるほど「基本が大事になるから」、そしてそれは日本の教育で身につけたということらしい。

たしかに日本のノーベル賞受賞者は、有力な国立大学の出身者か、そこで研究で係わった人たちが占めている。
しかし世間ではよく、受験勉強では独創性は育たないとも言われることもある。

受験勉強の本質について、考えてみよう。

まず第一の側面。学力の基礎基本とは何か。

例えば、数学の問題について考えてみよう。大学入試に出題されるような微分積分の問題を考える。図を書いてそれを数式で表し極限を考えて解こうとする。その際に文字式や方程式の計算力は欠かせない。そしてもっと原始的な計算力、掛け算の九九などは無意識で、つまり潜在意識が処理することになる。

このように、思考するときの意識は何段階もの階層構造になっている。

同じように自転車に乗るときを思い浮かべてみよう。
自転車に乗るには、ハンドルのさばき方や、ブレーキ、ペダルをこぐ力と速さ、そして体のバランスなど、たくさんのことを同時にこなさなければならない。だが、サイクリングに出かけるときに、それを一つ一つ必死に考えているだろうか。
初めて補助輪をとって乗ったときなら「あっ、右右、ハンドルっ、ブレーキ、もっと右、バランスバランスっ」などとやっていたかもしれないが、上達するとそんなことは脳は考えていないはず。「次の角を右に曲がって、その先を左に」、道順は意識しているかもしれない。しかしサイクリングを楽しんでいるときは、それすら潜在意識でコントロールして、周りの景色や、顔に当たる風の心地よさなどに意識がいっているのではないだろうか。

原始的な思考を観察している、より上位の思考をする自分が存在する。このようなメタ構造で脳が働いている。脳科学の研究によれば、ワーキングメモリという脳の使い方を鍛えることで脳の能力が増すという。
そして、独創的な閃きは、下位の階層から自由に離れることができなければ、生まれないのではないだろうか。

受験勉強は、基礎基本を潜在意識に到達させる訓練になる。初めは大変なときもあるが、練習すればより簡単に落とし込めるようにもなる。受験勉強は、その脳の基礎的なトレーニングを集中して鍛える大切なチャンスであるのだ。

そして、より高度な脳の使い方、ワーキングメモリを自由に行ったり来たりする力を磨く数少ないチャンスでもある。日常生活の中でこのような階層を複雑にコントロールする必要があることはそれほど多くない。ワーキングメモリを使う、脳トレなどのゲームも流行ったが、受験勉強ほど複雑で多様な脳の使い方を要求するものはないのではないだろうか。

第一に、受験勉強は、脳を鍛える、そして脳の使い方をマスターする素敵なチャンスなのだ。

(続く)

[2010/10/13 当ブログに掲載の記事]

根岸英一博士の訃報に接して

今朝のニュースで、ノーベル賞受賞者の根岸英一博士の訃報が流れた。

そのニュースで、悲しみとともに受賞当時のことを思い出した。

この後4回に分けて、当時の巻頭言、ここのブログ記事(現在は削除されているので)を再載する。

最初の巻頭言とブログ記事の通り、受賞の会見で、いろいろと思うところを書いた。その後、東大大学院教授の高校の同級生と旧交を温める機会があり、その際たまたまご講演の機会があり、参加できるから案内するよという誘いで、東大安田講堂での記念講演に参加するチャンスを得た。

それらのエピソードを当時の文のまま掲載する。
安田講堂という場所のせいもあるのか、今も思い出すと少し涙ぐむ、熱く感動した特別な空間時間だった。

(残念ながら安田講堂内部の写真は撮影禁止でした)

追悼の意を込め、その気持ちを紹介するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

※その講演の映像が、東大から公開されているのを見つけました。リンクを紹介します。ぜひご覧ください。
(4つ目のブログにある「質問」は1:08:40あたりからです)

https://todai.tv/contents-list/2013FY/negishi/2010-1

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