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[根岸英一博士の訃報に接し再掲載 その2]

受験勉強とは何か(その2)(続きです。その1からお読みください。)

受験勉強の本質の二番目は、自分自身の気持ちをコントロールする訓練であることだろう。

目的のために、自分自身で目標を設定し、行動し続けることで達成し成果を掴む。
目標を達成するには、行動し続けることが大切である。そのためには、習慣化が決め手となる。そしてその規律を保つことができるかが問われている。

自分の意思の力で、自分の感情をコントロールすることで、苦しいときもやり続け、結果を出すまで決してあきらめることなくやり続ける規律を保つ。
そのためのトレーニングの一つが受験勉強であると考えてみよう。
もちろん結果として成果を残すことも大切かもしれないが、たとえ、うまくいかずに苦しんだことであっても、大切な経験なのだ。思考錯誤しながら、プロセスを体験すること自体が貴重なのだ。そして若きの挫折は、決して無駄にはならない。

そう考えてみると、最近の現役志向には将来のためにならないケースも少なくない。自ら努力することなく、どこかに合格できればそれでよいでよいのだろうか。たとえ浪人してでも、目的のためならあきらめない精神力。もちろん、その意識が早く芽生えて結果として現役で合格するなら、それでよい。覚悟がないままの浪人では意味がないのだ。

しかし、受験戦争と批判を受けることが少なくない。確かに、膨大な単純記憶、知識を意味もなく暗号のように記憶することが受験勉強だとすれば、そのような単純記憶からは独創的な創造力は生まれない。そして、勉強が、難行苦行として、強いられていることは批判されるべきであろう。

だが、勉強の本質は、そのような知識の丸暗記ではないのだ。そして、我慢する試練の一種でもないのだ。

本来、知的な興味を持って、学び、未知の知識や考え方に出会い、その本質を理解した瞬間は、大きな知的な満足感が得られるものだ。人は誰でも「わかった」「できた」の瞬間は、感動する。
その達成体験をたくさんもつものほど、もっと知りたい、わかりたい、そしてできるようになりたいと願う気持ちも強くなる。知的好奇心にあふれ、わくわくどきどきする気持ちで学ぶはずなのだ。
そして、その気持ちは、勉強することでしか育たない。

「学ぶことは素敵なこと」なのだ。

[2010/10/17 当ブログに掲載の記事]

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